お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「透明化」するまえの異議申し立て2013/02/08

大津市には自衛隊駐屯地があります。
2012年12月28日に、駐屯地から
大津市に電話連絡がはいったそうです。

2013年1月1日から
隊員の通勤時の服装を、
戦闘服(迷彩服)に変更すると。

地域住民は、果敢にも、駐屯地にその説明を求めました。
自衛隊側はこれに応じ、
駐屯地内で、説明会が行われました。

しかし、変更の理由と根拠をめぐり
住民の納得できる説明はなく、物別れとなりました。

自衛隊は強行。

近隣の二つの学区の住民は、
「自衛隊の戦闘服通勤はやめての会」を結成。
2013年1月7日に、住民は大津市長を訪問。
自衛隊に戦闘服での通勤を中止するよう
求める要請書を提出しました。

私は年末から1月末まで今津にいました。
そこには、大津市より大きな駐屯地があります。
大津市から高島市にむかうには、
161号線を利用するのが便利です。

ときに軍事車両と数十台すれちがうこともあります。
幼いころから、自衛隊のエキジビションに
連れて行かれたことがあったので、
アレルギーが少ないほう(笑)だと思いますが、
軍隊のもつ威圧感は特別なものです。

高島市では砲声が頻繁に聞こえます。
もちろん、ときによりますが。
住民と旅行者の違いは、一目でわかります。
一発目でドキッとし、二発目で外を見渡し、
三発目で近くの人の顔をみる。
四発目で自分だけが不安を感じるのかと
疑問に思い、「あの~、花火ですか」
と聞いてみる。

地元の人たちには、演習は「透明化」しているのです。

軍隊という存在を日常化し、「透明化」させないために
住民は意義を申し立て。

私もその異議申し立てには賛成です。

「動的防衛力」への転換 ~新「防衛力大綱」~2010/12/18

これからは「動的防衛力」?
 1945年の夏に一旦解体された日本軍が、占領統治していたアメリカ政府によって、「自衛隊」として蘇り、海外派兵の既成事実を積み重ねて憲法九条の歯止めを限りなく空文化しながらも、考えのうえでは、自国防衛という内容でした。
 しかし、2010年12月7日に閣議決定された新「防衛力大綱」を読むと、さらに一歩踏み込んだ内容となっています。マスコミでも取り上げられていますが、新しくつくりだされた概念=「動的防衛力」の内容を見ると、中国や朝鮮など特定の地域を想定し、海外での活動に力点を置くものとなっています。そこには、これまでの「基盤的防衛力」とは、質的な変貌があり、極めて危険なことだと思います。
 CNNの報道記事ではつぎのように書かれています。
大綱は、最近の北朝鮮の動向や中国の近代化が「透明性の不足」とあいまって地域・国際社会の懸念を引き起こしていると指摘。北朝鮮と中国からの潜在的脅威を見据え、冷戦時代の「基盤的防衛力」から、機動力や即応性を重視する「動的防衛力」へとシフトした。
向こう10年間の日本の防衛計画を示した今回の新防衛大綱では、ロシア向けに北海道に配備されていた重装備の部隊を再編成し、沖縄の那覇基地の戦闘機部隊を増強するなど、南西諸島防衛を強化している。
 能動的に踏み込んでいくことには、アメリカの要請もありますが、1990年代に顕著となった多国籍企業化とは無縁ではないのでしょう。北朝鮮の最近の事態は、意図を覆い隠すには好適なものでしょう。
 日本は、近代国家の出発に際して、西南戦争という無惨な内戦を戦ったあと、外征を念頭に軍隊づくりを開始し、日清戦争、日露戦争、中国戦争、太平洋戦争に突っ込みました。そして、大陸進出の口実は、いろいろあり得ました。
 「歴史は常に現代史」といったのは、クローチェ。「歴史は現在と過去との対話」といったのは、E.H.カーでした。司馬遼太郎が日露戦争への過程を肯定的に描くドラマが放映されるいま、問われているのは、歴史への責任感だと思います。生きている世代は、好むと好まざるにかかわらず、過去の世代の負の遺産を引き受けざるをえないのです。

政府が軍部に気兼ねするのは危険~「暴力装置」発言に~2010/11/20

青い空に銀杏の黄色、古木に生気がよみがえっています
 秋は美しい季節です。旧い銀杏の木にも生気が蘇り、目を楽しませてくれます。社会の出来事にかかわりなく、人生は美しいと思えます。

 戦争の記事を書いてきました。そういうこともあり、一言いうべきだとおもったのは、「暴力装置」発言をめぐる騒動でした。

 人が人に暴力をふるうのは許されません。ですから、銃器の保持は(アメリカは別かも知れませんが)、基本的に認められていません。武器は、国家が独占しているのです。警察と軍隊で。
 国と国の間で争いを暴力で問題を解決するのが戦争です。それを担うのは軍隊なわけですから、軍隊が「暴力装置」というのは、疑問の余地がありません。戦車が田を耕したり、爆撃機が花の種をまくわけではないのです。
 旧日本軍が自国民を守る建前ながら、実際の振る舞いは自国民を虐げ、命を奪うこともした(自決の強要も含めて)のが沖縄戦の有りようでした。
 ですから、そういう軍隊の性格(「暴力装置」)と悲惨な歴史的経験(軍部の暴走を許す統帥権など)をふまえて、シビリアン・コントロールが確立していくるのです。
 いま、政権担当者が「暴力装置」と言うべき事かどうかは別かも知れません。しかし、その発言のそこだけをとらえて、だれが、どういう理屈で攻撃しているのかは、注目に値します。
 東京都の石原慎太郎知事は19日の記者会見で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて「軽率というか、ばかというか。はなはだ好ましくない発言で、陳謝で済むものか」と強く批判した。また「下手をしたら暴力団と自衛隊を重ねて想定するようなイメージにつながりかねない。自衛隊は傷ついたと思う」とも指摘した。(時事通信)
 つまり、軍部の心証を根拠にした非難です。
 ほぼ同じ趣旨ですが、自衛隊OB村井知事の発言。
自衛隊出身の村井嘉浩知事は19日、産経新聞の取材に対して「自衛官に対して大変失礼だ」と述べて、強い不快感を表明した。
 村井知事は取材に対して「他国の侵略に対して自衛するのと暴力を振るうというのは全く意味が違う。自衛隊は暴力を振るうために存在する組織ではない。あまりにも不謹慎な発言ではないかと強い憤りを覚えます」と語気を強めた。
 大阪出身の村井知事は昭和59年に防衛大学校を卒業、陸上自衛隊東北方面航空隊(仙台市)などに籍を置いていた。 .(産経新聞)
 「自衛隊」が暴力をふるうために存在していないならば、武器はいらないわけです。また、自国を守る軍隊が暴力装置でなく、攻めてくる他国の軍隊が暴力装置という議論は、心情論であったとしても、国際的に通用する理屈ではありません。お互いがそれを主張しはじめたら、どうなるか考えれば、わかることです。
 軍隊の客観的性格を論じるのではなく、自衛隊という名前の軍部の心証をもとに攻撃する手法は、戦前の不敬罪を思い起こさせます。
 適切不適切で議論はあったにしても、シビリアン・コントロールをする主権者の立場からではなく、それを受けるべき軍部の立場から非難が生まれ、それに影響されるのは危険な気がします。

軍事基地の強化と経済振興の狭間で揺れるまち~滋賀県高島市『饗庭野演習場周辺対策に係る要望書』(2009)から~2010/10/26

第十戦車大隊の74式戦車@今津駐屯地
 沖縄では、米軍基地の被害と政府による経済振興の関係は、いわばアメとムチの問題として、複雑なからみあいをもっています。それらを乗り越えて、普天間基地をかえせという総意は、尊重されなければなりません。
 基地と地域経済の問題は、なにも、沖縄だけの問題ではありません。明治8年の大阪鎮台大津営所の設置以来、軍都となった大津市では、京都府伏見への統廃合の際に、市長先頭に陸軍の撤収反対運動をしたときいています。
 昨日、机の中を整理していて見つけた書類(コピー)があります。『饗庭野演習場周辺対策に係る要望書 滋賀県高島市』。2009年のものです。
 前文を一読しただけで、「基地のまち」の屈折した行政担当者の立場が感じられます。
・・・本市は、明治19年に饗庭野が旧陸軍演習場として試用に供されて以来120年余、本市の中央に位置することから、常に「基地のまち」として、現地部隊との共存共栄のもと、まちづくりを進めてきたところですが、時代の変遷と社会情勢の急激な変化の中で、住民のニーズは、安全安心対策をはじめ、多種多様化とともに高度化しております。
 また、最近では、今津駐屯地の隊員数が部隊の削減、再編等により減少し、あらゆる方面にその影響を及ぼしているところです。
 このような状況にあって、近年、饗庭野演習場の使用が従来にもまして拡充されたことに伴い、場内からの濁水の流出、ヘリコプターおよび実弾射撃による騒音、振動障害はもとより、住民の憩いの場として古くから利用されてきた饗庭野への立ち入り制限の強化や、市内各地域での徒歩訓練も頻繁に実施されており、住民の演習場に対する意識の変化とともに、演習場着弾地周辺地域におきましては、その被害意識がますます高まっている状況となっております。
 このようなことから、防衛力の基礎となる防衛施設の安定的な使用の重要性に鑑み、周辺地域住民の理解と協力、国防に対する意識の醸成を強く推進することが、本市行政の責務であろうかとは存じますが、本市のみの対応には限界もありますことから、貴職(=防衛大臣、防衛事務次官、陸上幕僚監部陸上幕僚長、航空幕僚監部航空幕僚長、近畿中部防衛局長、陸上自衛隊中部方面総監、陸上自衛隊第3師団長)におかれましてもより一層のご高配を賜りますようお願いいたします。
 騒音や環境対策など当然の要望のほかに目をひいたのは「2.今津駐屯地への新たな部隊の編成と隊員の増員について」です。
平成16年に決定された、いわゆる「新防衛大綱」により、陸上自衛隊の組織改編や編成定数が縮減され、旧第2営舎に所在した第3特科連隊第5大隊も平成18年3月、41年間の歴史に幕を閉じ、現在は来演部隊の廠舎として利用されていますが、周辺地域は以前に比べ閑散とした状況となっております。
 ・・・昨年度、新たな常駐部隊として移動監視隊約50名の配置がなされ、また、本年度末には無人偵察機隊の編成もあり、大変心強く歓迎しているところですが、今津廠舎の有効活用という観点から、陸曹教育に手狭だと聞き及んでおります大津駐屯地からの教育部隊の移駐について検討いただき、更なる常駐部隊の配置ならびに隊員の復元増員について格段のご配慮を賜りますようお願い申し上げます。
 現高島市の苦境と行政の考えがどのようなものかは、わかります。さらに、2010年度に、どういうものが要望されたのか、知りたいと思います。
平和運動が住民の中に根をもつためには、この複雑さをよく理解し、ともに揺れながら、経済振興もあわせてすすめる必要があると思います。

4万円の「90式戦車」が10億円の本物に挑む2010/10/18

「90式戦車」を見る
友人のOさんがあるとき言った。
「90式戦車をつくりたい」

予算は?
・・・・4万円。

私の知っている「90式戦車」は
ソ連軍の北海道侵攻を想定して、
つくられた北海道専用の戦車。
50㌧あり、重すぎて本州では使えない。
しかも、一両が10億円する代物である。
高価であるうえに、小売もしていない。

そんなものをなぜ、つくりたい?

もちろん、許せないからである。

90式戦車は、1990年に採用された。
だから、90式。このときは、27両。
ソ連崩壊は、1991年のことである。
つまり、翌年には、対戦相手を失った戦車である。

しかし、自衛隊による購入は止まらなかった。
1991年には30両を購入した。
その後、毎年20両ぐらいづつ増え続け、
2009年に8両を加えて、全341両となった。

そして、生産中止。
製造元はよいだろうが、
国民の側からすれば、
あまりの無駄遣いに驚くほかはない。

「事業仕分け」していいはずのものである。
しかし、それは聖域とされた。

そのことへの怒りがO氏を駆り立てる。

怒りに燃えるベニヤの90式戦車。
4万円VS10億円。
さあ、勝つのはどっちだ!

10月9日から日米合同演習@あいば野演習場2009/09/27

日米合同演習に参加する74式戦車
 以前にブログで書いたことですが、防衛庁が饗庭野(あいばの)での日米合同演習の日程を明らかにしたそうですね。来月10月9日から18日まで。まもなくということになります。
 滋賀民報に次のような記事がありました。
 訓練に参加するのは、陸上自衛隊が第3師団第7普通科連隊基幹(京都福知山市)の約680人、米陸軍は第42歩兵師団第1-69歩兵大隊基幹(ニューヨーク州兵)の約200人、小銃、機関銃、対人狙撃銃、対戦車誘導弾、迫撃砲、155ミリ榴弾砲、てき弾発射機、74式戦車《上の写真です=BIN★》などの武器を使い、基本射撃、戦闘射撃、市街地戦闘、ヘリボン(ヘリコプターでの攻撃)、斥候(せっこう=偵察)の機能別訓練(10日、11日、13日、14日)と総合訓練(15~17日)、ホームビジット(米兵が家庭訪問、12日)を予定しています。
 10月3日に、抗議集会が予定されています。集会には、近畿各地から人が集まってきますが、私には、地元の人たちの参加や気持ちが気になります。抗議して去っていく人たちの目には、反応が鈍いとか思われるかもしれませんが、自衛隊基地とともに生きていくことを余儀なくされているわけで、その心を捉える抗議行動が望まれると思えるのです。

中島峰夫『饗庭野 高校生のための社会科読本4』2009/09/16

中島峰夫『饗庭野 高校生のための社会科読本4』
 あいば野演習場(高島市)の歴史については、この本がお薦めです。
 高校の社会科教員の中島峰夫さんが編んだもので、演習場の起源から、(出版は2007年なので、この時点までの)8回にわたる日米合同演習まで、本文と資料がついています。
 本文は、戦前編(10章)と戦後編(22章)に分かれていて、読みやすく、網羅的でもあります。
 資料編は、自衛隊の編成や年表などです。
 まえにも紹介しましたが、今、あらためて興味のある方にお薦めしたいと思いました。
 自費出版なので、購入を希望される方は、ご本人まで連絡をということになりますが、私にメールいただければ、お伝えします。
 書店にもあるかも知れませんが。
 ちなみに、同氏には、『軍都・大津』(2000年)、『続 軍都・大津』(2002年)という著作もあります。

あいば野演習場における過去の日米合同演習(メモ)2009/09/14

 先日、「日米合同演習反対 10/3 あいば野集会」 があることをブログで紹介しました。そのときに、「あいば野での日米合同演習は10回目」であることも合わせて、書いたのですが、その年代をすぐに思い出せませんでした。
 調べ直して、メモとして、残しておくことにしました。
 ちなみに、私は、このような合同演習が、海外で日米両軍が共同して戦争をする訓練であり、憲法を犯すものとして反対です。

■第一回目■
1986年11月24日から12月7日まで。
▽陸上自衛隊第35普通科連隊
(名古屋・守山  610名)
▽米海兵隊第3海兵連隊第1歩兵大隊
(沖縄 550名)

■第二回目■
1988年11月19日から12月1日まで。
▽陸上自衛隊第37普通科連隊
(大阪・和泉 543名)
▽米海兵隊機動展開部隊
(沖縄 620名)

■第三回目■
1991年11月22日から12月4日まで。
▽陸上自衛隊第7普通科連隊
(京都・福知山 730名)
▽米海兵隊第3海兵連隊第1歩兵大隊等
(沖縄 687名)

■第四回目■
1997年11月4日から17日
▽陸上自衛隊第46普通科連隊
(広島・海田 700名)
▽米陸軍第25軽歩兵師団第2-5歩兵大隊
(ハワイ 480名)

■第五回目■
1999年10月27日から11月6日
▽陸上自衛隊第33普通科連隊
(三重・久居 750名)
▽米第4海兵隊第3海兵連隊
(カリフォルニア 800名)

■第六回目■
2000年11月2日から18日
▽陸上自衛隊第15普通科連隊
(香川・善通寺 約750名)
▽米陸軍第25軽歩兵師団第1-27大隊
(ハワイ 約800名)

■第七回目■
2003年10月27日から11月9日
▽陸上自衛隊第36普通科連隊
(兵庫・伊丹 800名)
▽米第3海兵師団第4海兵連隊
(沖縄 850名)

■第八回目■
2006年2月19日から3月3日まで。
▽陸上自衛隊第8普通科連隊
(米子市 約350名)
▽米海兵隊第1-23予備役大隊
(テキサス 約250名)

■第九回目■
2008年11月28日から12月17日
▽陸上自衛隊第17普通科連隊
(山口 約250名)
▽米海兵隊第31海兵機動展開部隊
(沖縄)

とりあえずのメモです。
間違っている点があれば、ぜひ指摘をお願いします。

演習参加の各部隊についてお知りになりたい方は
以下のサイトを参考にしてください。

「在日米国海兵隊」のホームページは↓
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Index.html
陸上自衛隊中部方面隊のホームページは↓
http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/

「日米合同演習反対 10/3 あいば野集会」2009/09/07

 あいば野平和運動連絡会の事務局長のHさんから、文書をいただきましたので、紹介します。

 滋賀県の高島市にある「あいば野演習場」で、10月上旬から下旬にかけて、アメリカ陸軍第42歩兵師団第1-69歩兵大隊と陸上自衛隊第7普通科連隊(福知山)が参加する「日米合同演習」が実施されるそうです。
 あいば野での日米合同演習は、今回が10回目になります。
 抗議集会は、10月3日(土)午後2時から4時まで。集合場所は、高島市今津町の「住吉公園」。

 あいば野平和運動連絡会から、高島市に「あいば野演習場における日米合同演習に反対する請願書」が出されます。その文面も紹介しておきます。

あいば野演習場における日米合同演習に反対する請願書

高島市議会議長 渡邉近治 様

請願の趣旨
 陸上自衛隊幕僚監部はさる7月17日、「米陸軍と中部方面隊の日米共同実働訓練を、10月上旬から下旬に、滋賀県あいば野演習場および今津駐屯地で実施する」旨、発表しました。
 しかし、この演習は、自衛隊の海外派兵に向けて、「実戦経験豊かな」米軍から、自衛隊が「人殺し」の訓練を受けるものです。
 いま、海賊対策を名目にソマリア沖などへの自衛隊の派兵が行われていますが、このような「個別の派兵法では間にあわない」として『海外派兵恒久法』の制定が画策されています。
 また日常の演習内容も、専守防衛のための訓練から、海外で戦争するための訓練に変化し、あいば野においても、海外派兵の中核部隊として創設された「中央即応隊」との共同訓練が昨年9月全国ではじめて実施され、増設された「市街地訓練所(都市型戦闘訓練施設)」では、中部方面隊管内から年間数千人が来演し、「人殺し」の訓練を受けています。今回の日米合同演習は、これら日常訓練の集大成として行われるもので、自衛隊海外派兵を先取りする憲法違反の危険な演習です。
 今回参加する部隊は、自衛隊は第3師団第7普通科連隊(京都府福知山市)、米陸軍は第42歩兵師団第1-69歩兵大隊(ニューヨーク州兵)で、あいば野における日米合同演習は、昨年12月に続いて、1986年以来10回目になります。
 今後もあいば野に米軍が来ることが続けば、在沖縄海兵隊の「本土移転訓練」が年1回程度実施されている王城寺原演習場(宮城県)や日出生台演習場(大分県)などのように、あいば野に米軍専用の宿泊施設や食堂が建設される恐れがあり、米軍基地周辺で日常化している「米軍犯罪」が高島市内でおこる可能性も生まれ、高島市の発展にとって大きな障害になります。
 ついては、上記の趣旨をふまえて、貴議会が下記事項を決議し、関係省庁へ意見書を提出されるよう請願します。

 請願事項  あいば野演習場における日米合同演習に反対すること

これは、PAC2の写真ですが。2009/04/16

PAC2
3月末から4月4日まで、
『北朝鮮の「ミサイル」発射はいつなんだろう?』
が、話題となりました。

私の仕事場でもそうでした。

また、5日の夜、帰宅した私に、
カミさんが最初に発した言葉も
「ミサイル発射したよ!」でした。

たしかに、興味本位の人もいたと思います。
けれど、大多数の人は
「ミサイルが飛んできたらどうするんだ」
という心配をしたと思います。

政府は、北朝鮮の「ミサイル」発射を
口では非難しながらも、
心では歓迎しているように見えました。
そういうえば、不謹慎な発言も出ましたね。
私には、むしろ、相手を非難し、
脅威をかきたてることに
力を注いでいるようにも見えました。

政府(防衛省)がそういう対応。
マスコミも同じです。

冷静な議論ではなく、相手国の異常さや
「ミサイル」の怖さを宣伝しまくっていましたね。

そこで、評価をあげたものが少なくとも二つあります。

一つは迎撃ミサイルPAC3。
その存在が知られるようになったし、
国民からは、たのもしく見えたはず。
どんな金を払っても確保したい
アイテムだなんて感じた人もいるでしょうね。

もう一つは、いえ、もう一人は麻生さんでした。
勇ましく脅威に立ち向かう麻生さんの人気は、
最悪の水準から脱却。

絵に描いたような脅威論をかざしての
人気回復と軍備拡大宣伝でした。
防衛省のはしゃぎぶりは、
誤報騒ぎなどのおまけ付きでした。

ところで、上の写真は、PAC3ではなく、PAC2。
あいば野の「今津駐屯地創設55周年記念行事」で、
一般公開されたときに撮った写真です。

侵略の脅威には武器で対処するのが
一番いいんだというのは、わかりやすい議論です。
しかし、発射後わずか数分の余裕しかないうえに、
超音速で飛ぶミサイルに確実に命中させる
技術的水準に到達していないのです。

そんな不安定な手段に
膨大な税金を投入していいのでしょうか。
いやいや国を守るのだといっても、
派遣切りを野放しにしている政府に、
国民を真剣に守る気持ちがあるとは思えないのです。
もっと別のものを守りたいんじゃないかと
疑いたくなるのです。たとえば、在日米軍。

100歩譲って、
国の安全を武器に依存しようとしても、
結局は相手次第です。 
国際法を遵守してこなかった
経歴をもつ国相手では、
武力による威嚇は全面戦争への
引き金になりかねないのです。

それこそ、最悪のシナリオです。

そんな事態になったとき、
戦争を起こした相手が悪い、
自分は悪くないなどとといってられないのです。

では、どうして国の安全を守るのか。
武器を捨てさせることが一番です。

少なくとも、破滅につながる核兵器の
開発と保有はなんとしても
阻止しなければならないことだと私は思います。

それを明記したのは、
六カ国協議のなかの合意文書。
そこから、どう前進するのかが、
問題解決の本道なのです。

それは政府も認めているはず。

今回のように、これからも相手は
挑発をするでしょう。
いつでも、合意点から遠ざかる
口実を探すでしょう。

そんなときに、脅威を騒ぎ立て、
衛星なのか、ミサイルなのかも、
確認しないまま、
PAC3をこれ見よがしに配備するのは、
賢くありません。

それは、ある意味で相手の思う壺です。

無法に走る口実を与えないこと、
冷静に相手に迫ってゆき、
安定した核のない極東世界を
築きあげること。
この長くて忍耐力の必要な道を
歩むことこそ重要だと思います。

勇ましい対応をして、
国民を戦争の危機に直面させる
などというのは、
政治家のすることではないと私は信じます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)