お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

「ワコー」が消えて「あ・そ・び・ば 真野店」に2009/10/25

「ワコー」が「あ・そ・び・ば」に
2007年の2月に突然、「ワコー」が倒産しました。
大津市内に8つぐらいの店舗がある
生鮮食料品のチェーンでした。
品物はけっこう評判がよくて、いきなりのことに
驚いたことを覚えています。
近所の人たちに親しまれていた店もあり、
その後が気になるところでした。

瀬田店や晴嵐店は
すぐに別のお店として再開されました。
仰木の里店は、2年ぐらいのブランクが
ありましたが、住民の要望もあり、
なんとか別の店がオープンしました。
田上の黒津店ともみじが丘店はまだ
再開のめどがたたないと聞いています。

先日、高島へ向かう途中に、真野店が
「あ・そ・び・ば」になっているのを知りました。
食料品の店としては再開できなかった様子です。

とっくに知られたことでしょうけれど、
私は先日はじめて知りました。
「イオンモール草津店」や「フォレオ」などが
今年にオープンし、小売業界はおおきく
変化しつつある大津市です。
「まちづくりを考える会」にまたおじゃま
することにしたいと思います。

『花風香(カフカ)の湯』(旧甲賀町)がなくなった!?2009/09/27

『花風香の湯』閉業の張り紙
 カミさんが以前何度か言っていました。『「かふかのゆ」に行って来た』と。この「かふか」は、カフカだと思っていました。つまり、『城』とか『変身』を書いた作家のカフカです。私自身は、もくもくファームの帰りに家族でこのおフロに入ったことはあるのですが、どういう字を書くのか全然、気にもしていませんでした。



 久しぶりに立ち寄って発見したのは、この張り紙。
驚いたことに、今年の春に閉業されていたのです。残念!
           お知らせ
『花風香の湯』は、平成二十一年三月三十一日をもちまして閉業とさせていただきました。
 平成八年に心も体もリフレッシュできる天然ハーブのお風呂としてオープンし、創業から十三年もの永きに渡り、多くの方にご利用いただきましたが、近隣において本格的な温泉施設の整備も進み、公立施設としての役割をこの度終えさせていただきます。
 これまで『花風香の湯』をご利用いただき誠にありがとうございました。
      甲賀市役所都市計画課
 せっかく甲賀市に出張し、仕事をしているのですから、もう一度ぐらいは入りたいと思っていました。市民は600円、市民以外は1300円だったと思います。
 閉鎖の理由となっている「近隣において本格的な温泉施設の整備も進み」とは、なにを指すのでしょうか。それにしても、この広大な一角は、全体がシステムとして機能するはずだった土地。一つが閉鎖に追い込まれると、全体構想はどうなるのかと心配になります。
 そして、旧甲賀町時代に公立でつくられたお風呂です。なくなることに旧町民は、どういう気持ちでいるのでしょうか。

サンヨー工場の取り壊し2009/09/21

サンヨー工場の取り壊し
琵琶湖岸のサンヨー工場は、いつから存在したのだろう。大津市の代表的な工場であった。それが閉鎖されるということは知っていたが、無残にも取り壊されていく姿を見ると、衝撃を受けた。走行中の助手席から撮影。

閉店そして張り紙2009/07/10

なじみのお店が閉店。張り紙に思いがこもっていました。
三代つづいたお店が閉店したことを、
一枚の張り紙で知りました。
読めば胸に迫るものがあります。



「おばちゃん」の駄菓子屋が消えた・・・2009/06/18

マジックの文字だけがお店があった証
木の格子がはまったガラスの戸。
陽に焼けた白いカーテンが開かれると、
名もないお菓子が棚や天井からつるされていた。
表におかれたガチャポンには、
ときどき子ども達が固まっていた。
乱雑に並べられた自転車が
いまはなつかしい。

今日訪れると、表も店も、がらんとしている。
街から、ひとつ駄菓子屋さんが消えた・・・
胸のどこかに小さな痛みが走る。

つい先日、ささやかなパーティが
近所の人たちによって、行われた。
長年の苦労への感謝をこめて。
翌日、高齢となった「店のおばちゃん」は、
施設に入所することになった。

梅雨の季節というのに、
今日も晴れて、気持ちがいい。
お店の裏の自宅の格子戸が開いている。
足を踏み入れると、管理をまかされたSさんが、
空気の入れ換えをしていた。

「こんにちは」

家にあげてもらうと、食卓のうえに、
駄菓子の入れ物が置かれていた。
マジックで書かれた値段の文字。
それが唯一の証となってしまった・・・
「おばちゃん」のお店があったという。

仰木の里のスーパー復活2009/04/10

閉鎖された直後のフードショップ・ワコー
フードショップ・ワコーが破産して、
大津市内にあるすべてのワコーショップが
閉鎖されました。

旧市街から離れたところにできた
新興住宅では、高齢化がすすむにつれ、
歩いて通えるお店がないことは大問題。

地元の人たちが、市と交渉したり、
生協とも交渉したりして、
復活への願いをつないできました。

上の写真は、閉鎖された当時のもの。

知人から、別のお店として、復活したときいて、
立ち寄ってきました。
それが下の写真です。



駐車場も、公園もにぎわいを取り戻していました。



しかし、隣接したところにある地方銀行は、
閉鎖されるとのこと。
これも重大なな出来事です。

すべてはこの張り紙から始まった(2007年2月13日ワコー倒産)2008/04/07

ワコー倒産(閉店)を伝える張り紙(2007年2月)
2007年2月13日に、突然、この張り紙が現れました。
大津市の生鮮食料品のチェーン店・ワコーが倒産。

全体で8店舗が開店していました。
 私が調べたところでは、現在、つぎのようになっています(間違いがあれば訂正しますので、ご指摘お願いします)。

フードマーケットワコー 仰木の里店
   大津市仰木の里7丁目1-15
  閉店中

●フードマーケットワコー 大津店
   大津市馬場2丁目6-10
  経営主体が変わって営業中

●フードマーケットワコー 国分店
   大津市国分1丁目34-45
   経営主体が変わって営業中

●フードマーケットワコー 神領店
   大津市神領3丁目8-5
   経営主体が変わって営業中

フードマーケットワコー 田上店
   大津市黒津2丁目19-8
   閉店中

フードマーケットワコー 本部
   大津市大平1丁目7-18
   閉店中

フードマーケットワコー 真野店
   大津市真野5丁目36-6
   閉店中

フードマーケットワコー もみじが丘店
   大津市里6丁目20-1
   閉店中

仰木の里「3点セット」2008/02/09

仰木の里(里東)のみなさんのつどい
もう先月のことになります。
仰木の里でもちつき大会がありました。
たいへん楽しい集まりでしたが、そのときに
仰木の里(学区)の3点セットという問題が
あると言われていました。

具体的には、

①ワコーの突然の閉店問題。
  歩いて買い物ができるまちをどうつくるか、
  バス路線をどう充実させるか
 ・・などに発展する問題

②バイパス無料化にともなう騒音問題、
  バイパス料金が無料になったので、
  トラックが昼夜を問わず通過し、
  すさまじい騒音がでる。

③大津市が中核市以降にともなう
  動物保護管理施設計画が
  仰木の里団地の中にある。
  現在、署名運動をされているそうです。

なお、その集会で、
障害者自立支援法の欠陥について、
訴えられている姿も印象的でした。

私も問題の解決のために、力をつくしたいと思います。

シャッター前の張り紙・・・2008/02/02

もういくつこういう光景を見ただろう。

張り紙の中身は、もう見なくても
だいたいわかるようになってきた。

店主の方も、まちの方も
つらい思いで見つめているに
ちがいない。

閉店がつづく商店街の街角2008/02/02

商店街はみるまに変化していっている。

それは、活気のつく方向ではなく、
お店がつぎつぎと消えていっているのだ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)