お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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湖西道路の騒音対策で「前原大臣に、要望書」と「住民の会」ニュース2009/10/26

湖西道路の騒音対策で「前原大臣に、要望書」と「住民の会」ニュース
 甲賀市にでかけていたので、すれちがいが多くなり申し訳ありませんでした。《湖西道路の騒音対策を求める仰木の里「住民の会」ニュース》(2009.10.26)を確かに受け取り、拝見しています。私でお役にたてることがあれば、なんなりと。

「保守」と「革新」の時代の遺産が消えた・・・2009/10/26

先日まであったプレートだが、もう姿が見えない・・・
 事務所の近くの駄菓子屋。その柱には長い間、壊れかけのプレートが貼ってあった。輪の下には「明るい革新大津市政をつくる会」の文字。
 あらためて調べてみると、1972年に滋賀県として初めて「革新」自治体が誕生した。社会党と共産党、そして労働団体が共同して、選挙に勝利し、山田耕三郎市長が誕生したとある。
 このプレートはそのときのものなのだろうか。
 ちなみに、革新大津市政の誕生後、「革新」の流れはさらに太くなり、その4年後に、武村正義氏が県知事に当選。革新滋賀県政もまた誕生した。
 そういう時代をモノとして確認できる貴重な遺産。しかし、今朝見ると消えている。30数年そこに存在して、歴史の証言者としてあまり人に顧みられずに存在していたプレート。 「残してほしい」と一言言えばよかったと後悔した。

川が流れる街2009/10/26

「黒壁スクエア」のなかにある欄干から川を見る
 その川の名前は「米川」(よねがわ)という。
開店時間(午前10時)より前にたむろする観光客もいるほど、
長浜市の「黒壁スクエア」は繁盛している。
米川は、その中を静かに貫いている。
 賑やかな通りでは、その存在にほとんど気がつかなかった。
しかし、にぎやかな界隈から一歩出ると、
庶民の暮らしと溶け合うように流れている。
なつかしい風景に出会ったような気持ちになった。
キツネの「ハナチャン」のガイド音声を聞きながら、
欄干から撮影した。
米川は、稲荷神社の横を通り、
地蔵尊の祠と郵便ポストを眺めて、
住宅の裏手を流れていく。

まちで出会ったネコ(こっちはオスかな)2009/10/26

まちで出会ったネコ(こっちはオスかな)
雨上がりの夕方に駐車場へ駆け足で向かう。
団地で2匹のネコを見つける。
仲が良さそうに、散歩している様子。
以前見かけたときよりふっくらしている気がした。
なんとなくこっちがオスの気がする。

まちで出会ったネコ(こっちはメスの気がする)2009/10/26

まちで出会ったネコ(こっちはメスの気がする)
このネコは、はっきり見覚えがある。
もっとやせていたし、神経がピリピリしていた。
今日は、お友達ネコといっしょのせいか、
私が近づいても、逃げようとしない。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)