お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
10/27見学会への準備 その3 ― 2019/10/12
10/27見学会にむけての準備 その2 ― 2019/10/12
見学予定コースの最初は、旧大津陸軍墓地。私が詳しく調べている場所であるだけでなく、陸軍の駐屯地があった場所であり、明治初期から1945年の敗戦までの期間をカバーできるからです。
旧大津陸軍墓地の成り立ちなどの話は15分。その後、どの墓碑・記念碑を紹介して回れば、ツァーの趣旨に沿うものになるかです。
私が見学会をはじめたのは、2007年11月14日が最初です。そのときは、まだ憲法改正の動きはありましたが、集団的自衛権を認める閣議決定や安保法制の成立より前でした。情勢に触れず、旧大津陸軍墓地をそのまま解説するというものでした。
12年後の今回は、いよいよ日本が海外での戦闘に参加し、実際に犠牲者を出す可能性が生まれたものでの見学会、12月あたりにオスプレイが参加する日米共同訓練が近接している高島市で行われるもとでの見学会です。名前も「平和ツァー」ですから、なにを伝えるのかを鮮明にしたほうがいいと思いました。
そういう考えで、紹介する墓碑・記念碑を選ぶとどうなるか。
士族中心の軍隊から徴兵軍への移行については、簡単にして、侵略戦争の実相がまざまざと見ることができるものを選ぶということでしょうね。
日中戦争・太平洋戦争の末期以外は、日本は戦場になっていませんから、直接のものはありません。まちがいなく侵略戦争をしたという証拠は、俘虜(捕虜)の墓碑の存在だと思います。
清国の俘虜の墓碑が2柱。ロシア人兵士の墓碑が1柱。
これら3柱については、その存在は広く知られてないし、これまでの見学会よりもていねいに掘り下げるのがいいのじゃないかと思いました。
旧大津陸軍墓地の成り立ちなどの話は15分。その後、どの墓碑・記念碑を紹介して回れば、ツァーの趣旨に沿うものになるかです。
私が見学会をはじめたのは、2007年11月14日が最初です。そのときは、まだ憲法改正の動きはありましたが、集団的自衛権を認める閣議決定や安保法制の成立より前でした。情勢に触れず、旧大津陸軍墓地をそのまま解説するというものでした。
12年後の今回は、いよいよ日本が海外での戦闘に参加し、実際に犠牲者を出す可能性が生まれたものでの見学会、12月あたりにオスプレイが参加する日米共同訓練が近接している高島市で行われるもとでの見学会です。名前も「平和ツァー」ですから、なにを伝えるのかを鮮明にしたほうがいいと思いました。
そういう考えで、紹介する墓碑・記念碑を選ぶとどうなるか。
士族中心の軍隊から徴兵軍への移行については、簡単にして、侵略戦争の実相がまざまざと見ることができるものを選ぶということでしょうね。
日中戦争・太平洋戦争の末期以外は、日本は戦場になっていませんから、直接のものはありません。まちがいなく侵略戦争をしたという証拠は、俘虜(捕虜)の墓碑の存在だと思います。
清国の俘虜の墓碑が2柱。ロシア人兵士の墓碑が1柱。
これら3柱については、その存在は広く知られてないし、これまでの見学会よりもていねいに掘り下げるのがいいのじゃないかと思いました。
10/27の見学会にむけての準備 その1 ― 2019/10/12
週一回の休日を使って、見学会(「平和ツァー in 大津」 主催:全教滋賀教組女性部 10/27)の下見をしてきました。日程は午前10時から14時までの間。移動の手間を考えると、二カ所程度がいいのではないかと思いました。
そこで、①旧大津陸軍墓地(約600の墓碑と記念碑)、②「歩兵第九聯隊之跡」碑付近(歴史博物館に隣接)を回るプランを考え、実際に回ってみることにしました。
旧大津陸軍墓地では、偶然、奉賛会の方がたの清掃の日と重なり、ご挨拶することができました。あわせて、10/27で問題ないのかも確認しました。清掃後は、墓碑の文字も鮮明で感謝を伝えました。
10:00の集合場所(起点)からは歩いて15分ぐらい。10:15から10:30まで、アウトラインを話す。10:30から、墓地をめぐりながら、解説。
13:00に歴史博物館に到着すれば、2箇所目は十分時間があるはずですから、12:30までの2時間が案内で使えることになります。
そこで、①旧大津陸軍墓地(約600の墓碑と記念碑)、②「歩兵第九聯隊之跡」碑付近(歴史博物館に隣接)を回るプランを考え、実際に回ってみることにしました。
旧大津陸軍墓地では、偶然、奉賛会の方がたの清掃の日と重なり、ご挨拶することができました。あわせて、10/27で問題ないのかも確認しました。清掃後は、墓碑の文字も鮮明で感謝を伝えました。
10:00の集合場所(起点)からは歩いて15分ぐらい。10:15から10:30まで、アウトラインを話す。10:30から、墓地をめぐりながら、解説。
13:00に歴史博物館に到着すれば、2箇所目は十分時間があるはずですから、12:30までの2時間が案内で使えることになります。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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