お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
来るものとすでにあるもの:二つの商業施設の現実 ― 2008/09/06
秋の開業めざして工事がすすむ
西日本最大規模の複合商業施設「イオンモール草津」。
近江大橋のたもとに、姿を現しました。
先日、通勤ルートにあたるカミさんから、
「名前が入ったよ。見る?」と一言。
車に乗せてもらって写真を撮りに行きました。
確かにエンブレムが入っています。
---「イオン」と「イオンモール」
この建設をめぐる大店立地審議会には、
前例のない500通もの意見書がつきました。
その中心的な内容は、交通渋滞の深刻化でした。
もちろん、環境悪化や青少年の健全育成への
悪影響を心配する声もありました。
それでも、なお駆け込み出店は止まりませんでした。
私は複雑な思い抱いて、撮影しました。
建設後も、近隣への影響を最小限に食い止めるために、
住民運動は必要になるだろと思いました。
さて先日、別の商業施設、つまり、
まちなかの商店街をあるきました。
大津市は、活性化のために様々な対策を
打ち出そうとしていますが、
イオンモールが開店したとき、
その努力に負の影響が及ぶことは
必至と考えられます。
『イオンモール出店反対とまちづくりを考える会』の運動も、
曲がり角に来ています。
まち壊しからまちを守ること、そして
なによりも、だれもが安心して
住み続けられるまちづくりをすすめる運動の担い手として。
西日本最大規模の複合商業施設「イオンモール草津」。
近江大橋のたもとに、姿を現しました。
先日、通勤ルートにあたるカミさんから、
「名前が入ったよ。見る?」と一言。
車に乗せてもらって写真を撮りに行きました。
確かにエンブレムが入っています。
---「イオン」と「イオンモール」
この建設をめぐる大店立地審議会には、
前例のない500通もの意見書がつきました。
その中心的な内容は、交通渋滞の深刻化でした。
もちろん、環境悪化や青少年の健全育成への
悪影響を心配する声もありました。
それでも、なお駆け込み出店は止まりませんでした。
私は複雑な思い抱いて、撮影しました。
建設後も、近隣への影響を最小限に食い止めるために、
住民運動は必要になるだろと思いました。
さて先日、別の商業施設、つまり、
まちなかの商店街をあるきました。
大津市は、活性化のために様々な対策を
打ち出そうとしていますが、
イオンモールが開店したとき、
その努力に負の影響が及ぶことは
必至と考えられます。
『イオンモール出店反対とまちづくりを考える会』の運動も、
曲がり角に来ています。
まち壊しからまちを守ること、そして
なによりも、だれもが安心して
住み続けられるまちづくりをすすめる運動の担い手として。
シャッター前の張り紙・・・ ― 2008/02/02
もういくつこういう光景を見ただろう。
張り紙の中身は、もう見なくても
だいたいわかるようになってきた。
店主の方も、まちの方も
つらい思いで見つめているに
ちがいない。
張り紙の中身は、もう見なくても
だいたいわかるようになってきた。
店主の方も、まちの方も
つらい思いで見つめているに
ちがいない。
閉店がつづく商店街の街角 ― 2008/02/02
商店街ではあるけれど・・・。 ― 2008/02/02
中心店舗からもお客が奪われる ― 2008/02/01
商店街にまた空き地が ― 2008/02/01
商店街の真ん中に巨大なマンションがつぎつぎと ― 2008/02/01
商店街のにぎわいをとりもどせ ― 2008/02/01
なつかしいにぎわい ― 2007/10/06
アーケードのある商店街の中にも、
山車が置かれています。
町屋のイベントが行われているところから出ると
この人通りでした。
商店街ですから、自然なにぎわいに見えています。
しかし、日常的にはもはや失われているものです。
今晩かぎりのにぎわいなのです。
出店などに取り組んでいる人たちは、
複雑な気持ちで見ているのではないでしょうか。
たった一日、たった一晩でも、こういう姿が
見えれば、きっと再興しようとだれしもが
思うはず。
資本力にまかせて造られる住む人のいない街
=イオンモールにはない、あたたかみがここにあります。
山車が置かれています。
町屋のイベントが行われているところから出ると
この人通りでした。
商店街ですから、自然なにぎわいに見えています。
しかし、日常的にはもはや失われているものです。
今晩かぎりのにぎわいなのです。
出店などに取り組んでいる人たちは、
複雑な気持ちで見ているのではないでしょうか。
たった一日、たった一晩でも、こういう姿が
見えれば、きっと再興しようとだれしもが
思うはず。
資本力にまかせて造られる住む人のいない街
=イオンモールにはない、あたたかみがここにあります。
足立基浩和歌山大学准教授の講演をきいて:美しく魅力ある中心街をつくることがイオンモール問題のほんとうの中心点ですね ― 2007/08/29
「イオンモールとまちづくりを考える市民集会」で講演したのは、足立基浩氏でした。若い方ですね。新聞記者出身で、イギリスのケンブリッジ留学。
実地に、イギリスの「まち」を見てきておられるだけに、話はリアルでしたし、大学での活動も、実践的でした。
主催者側である私たちは、つい、「イオンモールはやめてほしい、開発許可まで出ているのに、どうしたら止められるんだろう」ということになりがちでした。話は、そういう運動の課題に直接答えるものではありませんでした。
イギリスは、中心市街地が活気があり、美しい。大型店もあるが、なによりも中心市街地との共存関係をとても大切にしている。
アメリカのように、大型店はあるが、中心地がスラム化しているようなまちづくりではない。
日本は大型店がなにもかも持ちこんで出店するので、中心市街地が衰退するのは当たり前。日本でも、大型店とたたかう勇気ある知事や市長さんがいるけれど、逆に大型店から訴えられる始末。
そうでなく、いま大切なことは、どうしたら、ヨーロッパのような魅力ある中心街をつくれるのかということ、そのための実践例をイギリスと日本で紹介します・・というのが講演の骨格でした。
中心市街地の大切さが自明のこととして語られていました。
それは、とてもうれしいことでした。
中心市街地は高齢化し、歩いて買い物にいける商店街はシャッター通り化し、もはや未来がない、時代に後れているのかもしれないという追い込まれたような気持ちを前向きに開放してくれたからです。
中心街には文化があり、伝統があり、歴史がある。それが人をひきつける街の魅力。それを生かせば、かならず人は集まる・・・。
イオンモールの進出(2006年5月に発覚)からはじまる住民の運動は、反対という一致点から、もう一歩先へ、つまり、中心街の再生へ、魅力あるまちづくりへの運動へすすむ展望をもったように思えます。
イオンモール出店への反対はするが、まちづくりには無関心というのは、ありえないことなのです。
この集会には、スーパーの社長さんが参加して発言されました。
高齢者が私の店に来ることを楽しみにしていて、それがなくなれば街にでることも、生活用品を買うこともできなくなると語ってくれている。そのために、なんとしても、店の灯を消すことはできない。灯をけす動きは止めなければならない。
そうです、街の灯を消さないために、それを少しでも明るくするために、がんがるってことですね。
実地に、イギリスの「まち」を見てきておられるだけに、話はリアルでしたし、大学での活動も、実践的でした。
主催者側である私たちは、つい、「イオンモールはやめてほしい、開発許可まで出ているのに、どうしたら止められるんだろう」ということになりがちでした。話は、そういう運動の課題に直接答えるものではありませんでした。
イギリスは、中心市街地が活気があり、美しい。大型店もあるが、なによりも中心市街地との共存関係をとても大切にしている。
アメリカのように、大型店はあるが、中心地がスラム化しているようなまちづくりではない。
日本は大型店がなにもかも持ちこんで出店するので、中心市街地が衰退するのは当たり前。日本でも、大型店とたたかう勇気ある知事や市長さんがいるけれど、逆に大型店から訴えられる始末。
そうでなく、いま大切なことは、どうしたら、ヨーロッパのような魅力ある中心街をつくれるのかということ、そのための実践例をイギリスと日本で紹介します・・というのが講演の骨格でした。
中心市街地の大切さが自明のこととして語られていました。
それは、とてもうれしいことでした。
中心市街地は高齢化し、歩いて買い物にいける商店街はシャッター通り化し、もはや未来がない、時代に後れているのかもしれないという追い込まれたような気持ちを前向きに開放してくれたからです。
中心街には文化があり、伝統があり、歴史がある。それが人をひきつける街の魅力。それを生かせば、かならず人は集まる・・・。
イオンモールの進出(2006年5月に発覚)からはじまる住民の運動は、反対という一致点から、もう一歩先へ、つまり、中心街の再生へ、魅力あるまちづくりへの運動へすすむ展望をもったように思えます。
イオンモール出店への反対はするが、まちづくりには無関心というのは、ありえないことなのです。
この集会には、スーパーの社長さんが参加して発言されました。
高齢者が私の店に来ることを楽しみにしていて、それがなくなれば街にでることも、生活用品を買うこともできなくなると語ってくれている。そのために、なんとしても、店の灯を消すことはできない。灯をけす動きは止めなければならない。
そうです、街の灯を消さないために、それを少しでも明るくするために、がんがるってことですね。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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