お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
夕暮れの琵琶湖@今津 ― 2008/09/23
湖岸で見つけたもの ― 2008/09/23
今津川河口で水が跳ねる音がしました ― 2008/09/23
私が車を停めたところから、湖岸を歩いて北上。
今津川の河口まで。
川の水が琵琶湖にむかって流れ込み
溶け合う姿を眺めていました。
ところが、人がいるわけではないのに、
なんか騒がしい。
薄暗いので、河口から上流20メートル
ぐらいの範囲しか見えません。
岸の方々で、バチャバチャという音。
じっと見ていても、よくわかりません。
上の写真は、右手が琵琶湖。
今津川は左から右へ流れ込んでいます。
堤防みたいに突き出ている岸の左手。
ただしくリズムを刻むわけではないのですが、
頻繁にバチャバチャいっています。
最初は、ぼんやりと、不思議だなぁくらいで見ていました。
私は季節にとても疎いんだと思いました。
これだけで、わかる方はきっと
いるんでしょうね。
そのとき、足元の水が跳ねました。
やっと、生き物・・・魚だって気がついたのです。
そして、姿が見えました。
つぎつぎと跳ねています。
今津川の河口まで。
川の水が琵琶湖にむかって流れ込み
溶け合う姿を眺めていました。
ところが、人がいるわけではないのに、
なんか騒がしい。
薄暗いので、河口から上流20メートル
ぐらいの範囲しか見えません。
岸の方々で、バチャバチャという音。
じっと見ていても、よくわかりません。
上の写真は、右手が琵琶湖。
今津川は左から右へ流れ込んでいます。
堤防みたいに突き出ている岸の左手。
ただしくリズムを刻むわけではないのですが、
頻繁にバチャバチャいっています。
最初は、ぼんやりと、不思議だなぁくらいで見ていました。
私は季節にとても疎いんだと思いました。
これだけで、わかる方はきっと
いるんでしょうね。
そのとき、足元の水が跳ねました。
やっと、生き物・・・魚だって気がついたのです。
そして、姿が見えました。
つぎつぎと跳ねています。
アユ???魚の群れがいっぱい! ― 2008/09/23
葛飾北斎展@滋賀県立近代美術館 ― 2008/09/23
小倉遊亀作品@滋賀県立近代美術館 ― 2008/09/23
葛飾北斎展を見た後、ボランティアの方が
常設展示を、紹介・解説していただくイベントに
参加しました。約一時間です。
案内していただいた方にお礼を申し上げます。
最初は、アメリカと日本の現代美術の
コレクションの部屋。
たとえば、ウォーホールの「マリリン」などですね。
次は、小倉遊亀作品の部屋。
この方は、私の地元である大津市出身。
滋賀県立近代美術館とも縁の深い方です。
女流画家・遊亀さんがすごいと思ったのは、
100歳を越えて創作活動をつづけられたことです。
北斎の90歳どころではないのです。
上には上がということですが、
生命があるかぎりという点では同じです。
絵の背後に、進歩してやまない
探究心を感じて、大きな刺激を受けました。
その次の部屋で見た近代日本画コレクションに
夭折した天才画家の作品がおかれていました。
その短命さがいっそう痛ましく思えました。
私も100歳までがんばるかなと思いました。
常設展示を、紹介・解説していただくイベントに
参加しました。約一時間です。
案内していただいた方にお礼を申し上げます。
最初は、アメリカと日本の現代美術の
コレクションの部屋。
たとえば、ウォーホールの「マリリン」などですね。
次は、小倉遊亀作品の部屋。
この方は、私の地元である大津市出身。
滋賀県立近代美術館とも縁の深い方です。
女流画家・遊亀さんがすごいと思ったのは、
100歳を越えて創作活動をつづけられたことです。
北斎の90歳どころではないのです。
上には上がということですが、
生命があるかぎりという点では同じです。
絵の背後に、進歩してやまない
探究心を感じて、大きな刺激を受けました。
その次の部屋で見た近代日本画コレクションに
夭折した天才画家の作品がおかれていました。
その短命さがいっそう痛ましく思えました。
私も100歳までがんばるかなと思いました。
ネコジャラシ ― 2008/09/23
ブログからブログへ: BIN★からけんちゃんへ ― 2008/09/23
《けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト》のけんちゃんさんが、ブログ世界について書いていました。きっかけは、「ブログ論壇の誕生」(佐々木俊尚・著 文春新書)。
私は、これを読んだことがないので、本について書くことはできません。でも、けんちゃんさんが、書いていることについて、自分のブログでも、エコーを返してみたいと思いました。
そういうことをやろうじゃないかって誘っているように読めたからです。
ブログって、自分で日記のように書いて、楽しめばそれでいいと思っています。アメリカや韓国のように、政治を動かすようなものでなくても、とりあえず、いいんじゃないかと。
個人ブログ、食べ物ブログ・・・他人が読んで、「?」と思っても、読む人を不快にしようと意図しているもの以外はOKじゃないかと。
ただ、気になる指摘が、ありました。
「結局自分の仲間内から出なくて、異質の人たちを排除する考えが言葉になっているようですね」「商売人は商売人だけ。労組は労組だけ。政党筋は同じ政党筋だけ。同じ仲間と同じ趣味で、だべって行動する。」・・・そういうブログでいいのかってことですね。
意識的というか、そういうものをブログでやろうという人はいるでしょし、そういう場合まで、あかんでぇっていえないと思います。
それも、サークル的というか、同じ趣味や主張の人が地域年齢などの違いを超えて、仲間が増やせるって、ブログのよさだと思うからです。
そういう場合でも、ブログって、もっと可能性があるよっていうアドヴァイスはOKだと思いますが。
そうそう、結局、ブログ世界をどうする、こうするは、どういう社会を望むのか、いまの社会はもう少し変わったほうがいいんじゃないかという、ところに根がある問題だと思うのです。
けんちゃんさんは、「異質の存在や意見を受け入れ、自己主張をできるようなブログでの交流が広がれば、ブログによる世論が社会に初めて影響が与えられると思います。日本はまだまだであると」と書いています。これは、本の趣旨なんでしょうか?
たぶん、けんちゃんさんが共感をもたれた部分なんでしょうね。
私も、共感できる部分です。
ブログ炎上ってありますね。これって、意図的にやられていることなんでしょうか。たぶん、そうだと思うのですが、「異質の存在や意見を受け入れ」る土壌が社会にあれば、そういう事態は少なくなると思います。
書くほうの問題もあるんじゃないかって思うときもあります。
みんなも当然こう思ってるだろうと思って、書いていても、実は、違和感を持つ人がいっぱいいる・・・。
私、ブログを書いていて、わかったのです。それは、大阪の橋下知事の言動を批判的に書いたときです。当然の意見のつもりで。でも、ちがったんです。猛反対のコメントされる方がいて、「ええぇ、そういう考えもあるんだ」と実感したのです。もちろん、 すべてのコメントに納得したわけではありません。 私が反省したのは、「異質の存在や意見」があることを、十分配慮して書いていたのかどうかっていう点なんです。
うまくいえないのですが、ブログには、いろんな楽しみ方があっていいし、サークル的でもいい。しかし、まずいことに、日本のように、タコツボ型の社会にあっては、タコツボ型の使い方が定着してしまう。もともと、それに止まらない可能性をもつツールなのに、もったいないってことですね、きっと。
大統領選挙に影響力をあたえるブログ世界ってお話なんですけれど、政治をブログで取り上げるって、簡単じゃないと思います。炎上の危険ってこともありますけれど、現実社会での意見の分岐は生々しすぎて、ストレートに思いを書けるときとそうでないときがあります。
そういう方向にあまり役立っていないブログだって自覚はしています。
突然、変なことを書くかもしれませんが、私は、トータルとしての自分をブログで表したいと願っているのです。願いっていうより、要求、欲求ですね。ネコのウンチから、異国の詩まで、関心のあることを感じたままに書いてしまいたい欲求ですね。仕事場でも、カミさんでも、そんな話、いちいちするわけにはいきません。それで、ブログに・・・。
そうすることで、タコツボの中から、意見の違いを認め合えるような人と人とのつながりの土台になるなら、うれしいと思うのです。
私は、これを読んだことがないので、本について書くことはできません。でも、けんちゃんさんが、書いていることについて、自分のブログでも、エコーを返してみたいと思いました。
そういうことをやろうじゃないかって誘っているように読めたからです。
ブログって、自分で日記のように書いて、楽しめばそれでいいと思っています。アメリカや韓国のように、政治を動かすようなものでなくても、とりあえず、いいんじゃないかと。
個人ブログ、食べ物ブログ・・・他人が読んで、「?」と思っても、読む人を不快にしようと意図しているもの以外はOKじゃないかと。
ただ、気になる指摘が、ありました。
「結局自分の仲間内から出なくて、異質の人たちを排除する考えが言葉になっているようですね」「商売人は商売人だけ。労組は労組だけ。政党筋は同じ政党筋だけ。同じ仲間と同じ趣味で、だべって行動する。」・・・そういうブログでいいのかってことですね。
意識的というか、そういうものをブログでやろうという人はいるでしょし、そういう場合まで、あかんでぇっていえないと思います。
それも、サークル的というか、同じ趣味や主張の人が地域年齢などの違いを超えて、仲間が増やせるって、ブログのよさだと思うからです。
そういう場合でも、ブログって、もっと可能性があるよっていうアドヴァイスはOKだと思いますが。
そうそう、結局、ブログ世界をどうする、こうするは、どういう社会を望むのか、いまの社会はもう少し変わったほうがいいんじゃないかという、ところに根がある問題だと思うのです。
けんちゃんさんは、「異質の存在や意見を受け入れ、自己主張をできるようなブログでの交流が広がれば、ブログによる世論が社会に初めて影響が与えられると思います。日本はまだまだであると」と書いています。これは、本の趣旨なんでしょうか?
たぶん、けんちゃんさんが共感をもたれた部分なんでしょうね。
私も、共感できる部分です。
ブログ炎上ってありますね。これって、意図的にやられていることなんでしょうか。たぶん、そうだと思うのですが、「異質の存在や意見を受け入れ」る土壌が社会にあれば、そういう事態は少なくなると思います。
書くほうの問題もあるんじゃないかって思うときもあります。
みんなも当然こう思ってるだろうと思って、書いていても、実は、違和感を持つ人がいっぱいいる・・・。
私、ブログを書いていて、わかったのです。それは、大阪の橋下知事の言動を批判的に書いたときです。当然の意見のつもりで。でも、ちがったんです。猛反対のコメントされる方がいて、「ええぇ、そういう考えもあるんだ」と実感したのです。もちろん、 すべてのコメントに納得したわけではありません。 私が反省したのは、「異質の存在や意見」があることを、十分配慮して書いていたのかどうかっていう点なんです。
うまくいえないのですが、ブログには、いろんな楽しみ方があっていいし、サークル的でもいい。しかし、まずいことに、日本のように、タコツボ型の社会にあっては、タコツボ型の使い方が定着してしまう。もともと、それに止まらない可能性をもつツールなのに、もったいないってことですね、きっと。
大統領選挙に影響力をあたえるブログ世界ってお話なんですけれど、政治をブログで取り上げるって、簡単じゃないと思います。炎上の危険ってこともありますけれど、現実社会での意見の分岐は生々しすぎて、ストレートに思いを書けるときとそうでないときがあります。
そういう方向にあまり役立っていないブログだって自覚はしています。
突然、変なことを書くかもしれませんが、私は、トータルとしての自分をブログで表したいと願っているのです。願いっていうより、要求、欲求ですね。ネコのウンチから、異国の詩まで、関心のあることを感じたままに書いてしまいたい欲求ですね。仕事場でも、カミさんでも、そんな話、いちいちするわけにはいきません。それで、ブログに・・・。
そうすることで、タコツボの中から、意見の違いを認め合えるような人と人とのつながりの土台になるなら、うれしいと思うのです。
田の畦に紅白のヒガンバナ ― 2008/09/23
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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