お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
日清戦争戦病死者埋葬者名簿(兵卒)@旧大津陸軍墓地Eブロック(あいうえお順) ― 2010/11/19
上の写真は、旧大津陸軍墓地にある日清戦争戦病死者の墓地です。左向こうに見えているのは、明治8年から11年までに亡くなった下士と兵卒の墓地です。
この墓地に眠る一人ひとりの若者の生きた姿とその死をできるだけリアルにつかむ---それが戦争の痛みを知る道だと私は思いました。
2007年に旧陸軍墓地を再会しましたが、これらの墓碑群を目の前にして、そうしようと決めました。
昨年までに、第九聯隊の戦史記録を読み、墓碑の死亡年月日と場所をたどりながら、一人ひとりがどういう様相のもとで亡くなったかがわかってきました。それらは、このブログで紹介しました。
いまやろうとしているのは、死の有り様ではなく、生きた姿を求めることです。その出発は、どこで生まれ育ったかです。つまり、出身地を明らかにすることです。
実は、それが容易ではないのです。
大津市が作成した埋葬者名簿があります。それをいちいち照合して私なりの名簿もつくりました。そこには、出身地や年齢の記述がありません。その名簿は、現存する墓碑から読み取って作成されたと思われます。しかし、日清戦争戦病死者の墓地の墓碑は、きわめて画一的。死亡年月日と場所は刻まれていますが、出身地や年齢などは、ありません。元の埋葬者名簿も求めましたが出てきませんでした。きっと失われたのでしょう。自力で調べるしかありませんでした。
出身地や経歴を調べる方法の一つが、『郡誌』や『市誌』なのです。
『郡誌』(高島郡、伊香郡などいろいろあります)の名簿と墓地の名簿を照らし合わせることによって、一人また一人と分かってくるのです。
実は、つい先ごろ、『近江愛智郡誌』を見つけて、さっそく作業をはじめました。その結果は、二三日前のブログに掲載しました。しかすぃ、墓碑名簿が、「あいうえお順」でないために、検索が大変でした。
それで、あいうえお順の名簿をつくったという訳です。
それが以下の名簿。
これまでの照合作業によっ判明した出身地は、氏名の横に記載しています。まだまだ少数です。私としては、すべての人のものを見つけたいと思っています。
この作業は実務的・事務的。現在とつながりのない作業に思えますが、そうではありませんでした。
それは墓碑をつうじての「出会い」があったからです。
この夏に、遺族の方がこのブログを通じて墓碑を発見されて、お墓参りができたそうです。私が調べた死に様についてもお伝えしました。墓碑の発見とともに、感謝されました。私の作業はムダではなかったのです。
その方は高島市出身の方でした。しかし、いまは故郷を遠く離れて生活されています。
この墓地は、陸軍歩兵第九聯隊の付属埋葬地(陸軍墓地)ですから、その管轄下にあった滋賀県出身者がほとんどのはずです。しかし、子孫の方は、現在滋賀県におられるとは限りません。移転などで遠くで暮らしておられる場合も多いでしょう。そうなると、墓碑の存在は忘れ去られることとなります。
陸軍墓地は陸軍=国家が管理していた墓地です。容易に近づくことができなかったと、近在の方はおっしゃっています。縁が薄くなるのは、そういう事情もあるかも知れません。
ブログに出身地などを掲載すると思い出していただける場合もあると思いました。
あわせて、出身地での墓碑の情報も大切だと思いました。
墓碑が旧陸軍墓地だけににあるとは限りません。出身地の共同墓地などに、立派な墓碑が建てられている場合があります。それは、この間の墓地見学を通じてわかったことです。問い合わせをうけて、旧陸軍墓地の墓碑の存在はつたえましたが、共同墓地までは調べていなくて、申し訳ないと思っていました。
最後に。
戦死者・戦病死者の墓碑は、一人の人でも、以下のように多重に存在しているのです。
①共同墓地
②陸軍墓地(すべての方がここではありません)
③郷土の忠魂碑、慰霊碑そして忠霊塔などに合祀
④靖国神社に合祀
しかし、衛戍地(営所)で、教練中に死亡した兵卒や将兵の場合は、どうなるのでしょうか。陸軍墓地はもともとそういう人たちを埋葬するところでした。その方の場合は、当時でも、名誉の死とはみなされなかったはずです。そういう人たちの墓碑は、共同墓地につくられたとは思えません。また、忠魂碑や靖国神社に合祀する基準を満たしていないわけですから、そこにも招魂され合祀されていないはずです。お国のために差し出した一家の将来を担うはずの若者が、そういう形で死亡したとき、両親はどういう思いを抱いたのでしょうか。
そのつらさを少しでも紛らわせるものがあるとしたら、陸軍墓地での埋葬ということになるのでしょう。
親子で将校の墓地に埋葬されている方々がいますが、記録を見ると、当初は、自分の菩提寺の境内に葬られていました。それをわざわざ陸軍墓地に移したのです。国家が直接管理する陸軍墓地での埋葬は、やはり名誉だったのです。
ネットで当時の文書を検索(アジ歴などで)できますが、軍隊からの脱走者についての記録も存在しています。ある記録によれば、脱走したけれど、ふるさとの家に帰ることができず(そこは捜索されるに決まっていますから)、なじみのお宮までもどってそこで死亡していたというものもありました。旧真田山陸軍墓地には、衛戍地で自殺した兵卒の墓碑もたしかあったと思います。しかし、衛戍地ではない脱走先で死亡した場合に、陸軍墓地に葬られることはないはずです。
この墓地に眠る一人ひとりの若者の生きた姿とその死をできるだけリアルにつかむ---それが戦争の痛みを知る道だと私は思いました。
2007年に旧陸軍墓地を再会しましたが、これらの墓碑群を目の前にして、そうしようと決めました。
昨年までに、第九聯隊の戦史記録を読み、墓碑の死亡年月日と場所をたどりながら、一人ひとりがどういう様相のもとで亡くなったかがわかってきました。それらは、このブログで紹介しました。
いまやろうとしているのは、死の有り様ではなく、生きた姿を求めることです。その出発は、どこで生まれ育ったかです。つまり、出身地を明らかにすることです。
実は、それが容易ではないのです。
大津市が作成した埋葬者名簿があります。それをいちいち照合して私なりの名簿もつくりました。そこには、出身地や年齢の記述がありません。その名簿は、現存する墓碑から読み取って作成されたと思われます。しかし、日清戦争戦病死者の墓地の墓碑は、きわめて画一的。死亡年月日と場所は刻まれていますが、出身地や年齢などは、ありません。元の埋葬者名簿も求めましたが出てきませんでした。きっと失われたのでしょう。自力で調べるしかありませんでした。
出身地や経歴を調べる方法の一つが、『郡誌』や『市誌』なのです。
『郡誌』(高島郡、伊香郡などいろいろあります)の名簿と墓地の名簿を照らし合わせることによって、一人また一人と分かってくるのです。
実は、つい先ごろ、『近江愛智郡誌』を見つけて、さっそく作業をはじめました。その結果は、二三日前のブログに掲載しました。しかすぃ、墓碑名簿が、「あいうえお順」でないために、検索が大変でした。
それで、あいうえお順の名簿をつくったという訳です。
それが以下の名簿。
これまでの照合作業によっ判明した出身地は、氏名の横に記載しています。まだまだ少数です。私としては、すべての人のものを見つけたいと思っています。
この作業は実務的・事務的。現在とつながりのない作業に思えますが、そうではありませんでした。
それは墓碑をつうじての「出会い」があったからです。
この夏に、遺族の方がこのブログを通じて墓碑を発見されて、お墓参りができたそうです。私が調べた死に様についてもお伝えしました。墓碑の発見とともに、感謝されました。私の作業はムダではなかったのです。
その方は高島市出身の方でした。しかし、いまは故郷を遠く離れて生活されています。
この墓地は、陸軍歩兵第九聯隊の付属埋葬地(陸軍墓地)ですから、その管轄下にあった滋賀県出身者がほとんどのはずです。しかし、子孫の方は、現在滋賀県におられるとは限りません。移転などで遠くで暮らしておられる場合も多いでしょう。そうなると、墓碑の存在は忘れ去られることとなります。
陸軍墓地は陸軍=国家が管理していた墓地です。容易に近づくことができなかったと、近在の方はおっしゃっています。縁が薄くなるのは、そういう事情もあるかも知れません。
ブログに出身地などを掲載すると思い出していただける場合もあると思いました。
あわせて、出身地での墓碑の情報も大切だと思いました。
墓碑が旧陸軍墓地だけににあるとは限りません。出身地の共同墓地などに、立派な墓碑が建てられている場合があります。それは、この間の墓地見学を通じてわかったことです。問い合わせをうけて、旧陸軍墓地の墓碑の存在はつたえましたが、共同墓地までは調べていなくて、申し訳ないと思っていました。
最後に。
戦死者・戦病死者の墓碑は、一人の人でも、以下のように多重に存在しているのです。
①共同墓地
②陸軍墓地(すべての方がここではありません)
③郷土の忠魂碑、慰霊碑そして忠霊塔などに合祀
④靖国神社に合祀
しかし、衛戍地(営所)で、教練中に死亡した兵卒や将兵の場合は、どうなるのでしょうか。陸軍墓地はもともとそういう人たちを埋葬するところでした。その方の場合は、当時でも、名誉の死とはみなされなかったはずです。そういう人たちの墓碑は、共同墓地につくられたとは思えません。また、忠魂碑や靖国神社に合祀する基準を満たしていないわけですから、そこにも招魂され合祀されていないはずです。お国のために差し出した一家の将来を担うはずの若者が、そういう形で死亡したとき、両親はどういう思いを抱いたのでしょうか。
そのつらさを少しでも紛らわせるものがあるとしたら、陸軍墓地での埋葬ということになるのでしょう。
親子で将校の墓地に埋葬されている方々がいますが、記録を見ると、当初は、自分の菩提寺の境内に葬られていました。それをわざわざ陸軍墓地に移したのです。国家が直接管理する陸軍墓地での埋葬は、やはり名誉だったのです。
ネットで当時の文書を検索(アジ歴などで)できますが、軍隊からの脱走者についての記録も存在しています。ある記録によれば、脱走したけれど、ふるさとの家に帰ることができず(そこは捜索されるに決まっていますから)、なじみのお宮までもどってそこで死亡していたというものもありました。旧真田山陸軍墓地には、衛戍地で自殺した兵卒の墓碑もたしかあったと思います。しかし、衛戍地ではない脱走先で死亡した場合に、陸軍墓地に葬られることはないはずです。
旧大津陸軍墓地Eブロック
日清戦争戦病死者埋葬者名簿
あ
○071 二等卒 青山 伊之助
○047 一等卒 浅田 安之助
○085 二等卒 有山 信太郎
○204 一等卒 安場 貝次郎
い
○153 一等卒 井岡 奈良吉
○121 一等卒 幾田 幾之助
○157 上等兵 池辺 喜市
○077 一等卒 石垣 房次郎
○093 二等卒 石田 嘉市
○177 一等卒 稲生 竹蔵
○116 一等卒 稲田 岩太郎 滋賀県大津市出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/02/4555644
○122 上等兵 井上 市次郎
○076 二等卒 井上 友次郎 大津市出身
○208 一等卒 井上 寅松
○203 二等卒 井上 直蔵
○101 二等卒 井上 嘉市郎
○022 一等卒 井上 幸太郎
○129 二等卒 伊藤 栄之助
○008 一等卒 伊庭 米二郎
○173 一等卒 井花 長太郎 滋賀県旧高島郡マキノ町出身
○187 一等卒 今井 久吉
○007 一等卒 今井 源松
○155 一等卒 今堀 欽次郎
○159 二等卒 井誥 嘉吉
○028 二等卒 岩井 音松
○087 二等卒 岩嶋 幸之助
○078 一等卒 岩田 多吉
う
○012 一等卒 上田 猶治
○036 一等卒 上田 竹之助
○103 二等卒 植田 菊蔵
○039 上等兵 内田 検次郎 滋賀県旧高島郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/11/08/4684276
○109 一等卒 宇野 治良吉
○160 二等卒 梅本 門造
○080 一等卒 梅山 竹二郎
○006 一等卒 浦谷 亀太郎
え
○174 二等卒 江龍 安次郎
お
○074 二等卒 大倉 菊次郎
○048 二等卒 大伴 圓蔵
○106 二等卒 太田 竹松
○070 一等卒 大橋 政次郎
○200 一等卒 大橋 卯三郎 大津市出身
○189 一等卒 大塚 長治郎 滋賀県旧高島郡新旭町
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/11/11/4687841
○212 一等卒 大原 欽三郎
○211 一等卒 岡崎 藤吉
○044 一等卒 隠岐 四郎
○114 二等卒 奥田 亀吉
○139 二等卒 奥村 久米蔵 滋賀県旧高島郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/16/4582116
○058 上等兵 奥村 徳蔵
○040 二等卒 小谷 友治郎
か
○161 一等卒 掛田 三治郎
○026 一等卒 勝見 市蔵
○162 一等卒 鎌田 辰治郎
○084 上等兵 川勝 善吉
○188 二等卒 川上 定吉
○018 一等卒 川崎 利吉
○015 上等兵 川富 吉之
○034 一等卒 川西 吉松
き
○043 一等卒 菊本 萬次郎
○052 一等卒 岸 駒次郎
○165 上等兵 岸田 安太郎
○035 一等卒 北川 十次郎
○059 一等卒 北川 長松
○156 二等卒 木谷 勇吉 滋賀県旧伊香郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583409
○147 二等卒 木下 京松
○132 輜重輸卒 北村 鶴吉
○117 二等卒 木村 市太郎
○060 二等卒 木村 忠氏 愛智郡稲村大字甲崎
く
○137 一等卒 草山 安次郎
○014 一等卒 楠浦 権之助
○082 上等兵 久保 槌松
こ
○024 一等卒 小泉 彌太郎
○031 一等卒 小笹 定吉
○108 一等卒 小嶋 房吉 愛智郡西押立村大字南菩提寺
○081 ニ等卒 胡内 梅太郎
○021 上等兵 小西 留蔵
○205 一等卒 小走 音松
○172 一等卒 小林 尚輝
○079 一等卒 駒澤 栄太郎
○051 一等卒 小和田 三次郎
さ
○152 一等卒 阪口 吉松
○011 上等兵 阪口 房吉
○038 一等卒 阪本 竹松
○184 二等卒 笹井 利三郎
○202 一等卒 佐々木 藤吉
○107 一等卒 里内 松太郎
し
○075 二等卒 清水 捨吉
○134 輜重輸卒 清水 常吉 愛智郡日枝村
○151 一等卒 清水 留吉 滋賀県旧伊香郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583409
す
○100 一等卒 菅井 宇吉
せ
○005 一等卒 善利 岩次郎
た
○198 一等卒 田井中 重吉
○110 一等卒 田尾 栄次郎
○113 輜重輸卒 高橋 伊之助 滋賀県旧伊香郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583409
○183 一等卒 高橋 彌三吉
○135 上等兵 瀧本 金治郎
○017 一等卒 竹内 栄次郎
○163 一等卒 竹原 國吉
○090 二等卒 竹村 藤吉
○170 一等卒 竹村 安次郎 大津市出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/11/05/1892908
○111 輜重輸卒 田中 市蔵 愛智郡愛智川町愛智川
○158 一等卒 田中 興吉
○140 一等卒 田中 時松
○194 上等兵 田中 廉次郎
○179 一等卒 田辺 長造
○180 一等卒 田辺 平吉
○175 一等卒 田畑 富蔵
○190 一等卒 谷 傳蔵
つ
○083 一等卒 津崎 辰之助
○192 一等卒 恒木 丈太郎
○142 一等卒 坪田 石之助
て
○099 一等卒 寺田 吉太郎
と
○066 一等卒 土井 友吉
○182 一等卒 利田 鶴吉
○197 輜重輸卒 冨田 楳吉 滋賀県旧高島郡出身
*「高島郡誌」では、「楳」が「梅」と誤記されている。
○119 一等卒 友田 喜三郎
な
○009 二等卒 中尾 萬次郎
○094 一等卒 中尾 幸太郎
○141 二等卒 中川 周太郎
○053 一等卒 中川 安治郎
○063 一等卒 中川 力蔵 滋賀県旧伊香郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583409
○067 一等卒 中澤 忠右衛門 愛智郡豊椋村大字池庄
○023 一等卒 中嶋 留次郎 滋賀県旧伊香郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583409
○002 一等卒 中田 留吉
○013 一等卒 中村 竹次郎
○019 二等卒 中村 林蔵 滋賀県旧高島郡出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2008/11/12/3910585
に
○010 一等卒 新畑 音吉
○186 二等卒 西尾 丈吉
○091 一等卒 西川 一茂
○191 二等卒 西川 十太郎
○054 一等卒 西川 為吉 愛智郡稲村大字石寺
○136 一等卒 西口 末治郎
○095 二等卒 西嶋 卯之吉
○088 一等卒 西田 柳吉
○089 一等卒 西村 小太郎
は
○148 一等卒 萩野 治三郎
○124 二等卒 畠中 熊次郎
○073 一等卒 波多野 藤次郎
ひ
○176 一等卒 日置 卯市 滋賀県旧高島郡安曇川町出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/16/4582067
○068 一等卒 比澤 兼松
○056 二等卒 平岩 作治郎
○057 二等卒 平川 幸造
○115 輜重輸卒 廣瀬 助松 滋賀県近江八幡市出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/17/4583538
ふ
○032 二等卒 福井 乙吉 滋賀県旧高島郡安曇川町出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/10/21/4644442
○097 二等卒 福知 虎吉
○016 一等卒 藤井 政次郎
○027 一等卒 藤井 常吉
○050 一等卒 伏木 清太郎
○171 輜重輸卒 藤田 芳治郎
○193 二等卒 藤村 留蔵
○209 二等卒 古田 栄次郎
ほ
○130 輜重輸卒 細江 巳之助
○150 輜重輸卒 堀居 留治郎
○120 二等卒 堀口 市松
○133 輜重輸卒 本田 政治郎
ま
○164 上等兵 前川 常治郎
○062 二等卒 前川 藤市郎
○154 一等卒 前田 繁二郎
○166 上等兵 増岡 竹治郎
○167 一等卒 松澤 鐵蔵
○064 一等卒 松田 善松
○149 輜重輸卒 松村 定吉
○146 一等卒 松本 岩吉
○041 二等卒 松本 嘉十郎
○206 一等卒 松本 由之助
○178 一等卒 松本 鉄次郎
○168 輜重輸卒 丸岡 嘉一郎
○003 一等卒 丸山 文吉
み
○037 一等卒 三木 房吉
○049 一等卒 宮島 岩松
○069 二等卒 宮嶋 作彌
○086 一等卒 宮田 梅吉
○072 一等卒 宮村 多治郎
○033 一等卒 宮本 為蔵
む
○042 一等卒 向井 ニ助
○131 一等卒 村上 米治郎
○118 上等兵 村田 喜治郎
○105 上等兵 村田 捨吉
も
○065 一等卒 森 巳之助 滋賀県現大津市大石学区出身
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/09/02/4556097
○199 一等卒 森田 阪松
○196 一等卒 森田 定吉
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2009/11/12/4688008
○123 一等卒 森田 徳太郎
○045 一等卒 森田 友次郎
○210 一等卒 森本 浅吉
○098 二等卒 森本 徳松
○096 二等卒 森本 民蔵
○046 二等卒 森本 栄三郎
や
○104 一等卒 安本 仙之助
○055 一等卒 矢野 久吉
○169 二等卒 藪内 駒吉
○207 一等卒 山口 萬吉
○112 上等兵 山口 晋吉
○185 二等卒 山田 藤吉
○138 一等卒 山田 鶴吉
○030 二等卒 山田 元次郎
○001 二等卒 山本清九郎
○181 一等卒 山本 重太郎
○092 一等卒 山本 松之助
よ
○029 上等兵 横田 勝次郎
○020 一等卒 吉川 竹松
○128 一等卒 吉川 源一郎
○195 二等卒 吉田 市松
○025 二等卒 吉田 清太郎
○201 二等卒 吉田 健吉
○102 一等卒 吉原 寅吉
○004 二等卒 吉村 広吉
ろ
○061 一等卒 六條 伊蔵
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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