お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲2010/11/03

バッハの無伴奏チェロ組曲。
カザルスが発掘し世に出したバッハの傑作。

私が最初に聴いた演奏は、カザルスではなく、
シュタルケルのものでした。
例の有名なコダーイのものとセットでした。
鋭角的で正確な演奏で、いまでも好きです。
カザルスの最初の印象は、あまりに自由!というもの。
ビデオは1954年のものらしいです。
演奏する姿は、端正そのものですね。



 カザルスが故国スペイン内乱への西欧諸国の対応に抗議し、公開演奏を中止したのは、有名な話です。演奏家には自殺とも思える行為によってしか、思いが届けられないと思ったのでしょうか。それだけ、怒りが大きかったのか、それとも、演奏家が演奏する以上の価値を、その行為に認めたのか。

 フランソワが演奏していたショパンもポーランドの独立運動とは無縁ではありませんでした。偉大な音楽家は、世界の動きや自民族の運命に無関心ではいられないのですね。

年代を超えて~ショパンの練習曲作品10-4~2010/11/03

音楽の話が続いて恐縮です。
ショパンの練習曲は難曲。
作品10の4も、もちろんそうです。
二人の演奏を見ていて、
「老いも若きも」といってすまされない迫力です。

ルービンシュタインはおいくつだったのでしょう。



つぎは、小林愛美ちゃん。噂には聞いていましたが・・・すごいとしか言えません。。

田中墓地の日清戦争戦没者の墓碑とその後(八代さんのコメントから)2010/11/03

鳥居より高くそびえる日清戦争戦没者の墓碑@田中墓地
 上の写真は、安曇川の田中墓地です。鳥居が見えますが、その左にそびえるのが、日清戦争の戦没者・山崎松蔵の墓碑です。
 実際の大きさが写真ではうまく伝わりません。

八代さんから貴重なコメントをいただいています。記事としてアップして、記録として残るようにします。
三尾里という在所では、毎年老人会主催の追悼会が勤まり、殆ど毎年、御法話に参上しています。
3年ほど前、日清戦争の話をしたとき、日置卯市さんのことに触れました。
御遺族は早くから、ここを離れられ、生家は現在残っていないとのことでした。
百十年も前のことですから、いろいろあったのでしょう。

それに比べ、山崎松蔵さんの御子孫はキチンと健在です。
私の寺の門徒総代の奥さんがその家出身で、今はその弟さんの代です。
奥さんのお祖父さんの御兄弟だそうです。
大字田中からの戦没者第一号ということで、大層な葬式が営まれ、石碑は墓地にではなく、一番目につく往来に、それもびっくりするほど巨大な墓碑でした。
大人も子供も、毎日その前を通り、その人の武勲を称えたのでした。

戦後の土地ブームで墓碑の傍が売れ、住宅が建設されたのですが、「墓が傍では困る」という苦情が出て、本来の田中墓地に引っ越すことになりました。
特別大きな墓碑ですから、設置には広い土地が必要ですが、すでにいっぱいで設置する場所がありません。
町が間に入り、今までなかった所に土地を造り、場所を与え、現在に至っているのです。

だから、あのお墓だけ、特別の処にあるでしょう?

(八代さんのコメントより)

高くそびえる日清戦争の戦没者「陸軍歩兵一等卒中村林蔵碑」2010/11/03

高くそびえる日清戦争の戦没者「陸軍歩兵一等卒中村林蔵碑」
 上の写真は旧高島町にある「陸軍歩兵一等卒中村林蔵碑」です。安曇川町田中墓地の「陸軍輜重輸卒山崎松蔵碑」も巨大ですが、こちらも負けず劣らずそびえたっています。墓地の入口に、他の墓碑とは一線を画して置かれています。
 碑文が刻まれていますが、上の方は高すぎてカメラでも撮影しにくいのです。

 明治の世になって、はじめて経験する対外戦争とその犠牲者。中野墓地でも、田中墓地でも、地域社会に与えた衝撃の大きさがそのまま墓碑の大きさとなって表れています。 、

日清戦争「紀念碑」@蝉丸神社2010/11/03

日清戦争「紀念碑」@蝉丸神社
 大津市藤尾の蝉丸神社にある日清戦争の「紀念碑」です。上部の文字が読めなくて、困っていました。「明治廿七八季○忠勇戦死者」の○にあたる字です。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)