お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ネットで閲覧できる村上春樹『ノルウェーの森』ロシア語版2010/11/11

 電子図書が著者に無断で、廉価販売されているそうです。たとえば、村上春樹さんの『1Q84』中国語版。それで、思い出したのです。ロシア語版も、ネットで無料で読むことができます。→Lib.Ru: Харуки Мураками
 下は『ノルウェーの森』の最後の部分。主人公がみどりに電話をかける個所です。『海辺のカフカ』ロシア語版は、洋書店で購入したのですけれど・・・。
Я позвонил Мидори. Сказал, что хочу с ней поговорить, все равно как, что мне многое нужно ей сказать, что мне много есть чего ей сказать, чего не казать нельзя, что я ничего во всем мире не желаю, кроме нее. Я сказал, что хочу встретиться с ней и поговорить, что хочу заново начать с ней все с начала.
Мидори долго молчала на своем конце линии. Одна тишина тянулась, точно все моросящие дождики в мире орошали лужайки на всем земном шаре.
Все это время я стоял, уперевшись лбом в стекло окна и закрыв глаза.
Наконец Мидори заговорила.
- Ты где сейчас? - спросил ее тихий голос.
Где я сейчас?
С телефонной трубкой в руке я огляделся вокруг таксофона. Да где же это я?
Но я не мог понять, где я находился. Не имел ни малейшего представления. Что это за место? Все, что отражалось в моих глазах, были бесчисленные фигуры людей, идущих в никаком направлении. Посреди находящегося в нигде пространства я продолжал и продолжал звать Мидори.

ブログで語学~『カラマーゾフの兄弟☆試訳』~2010/11/11

  勝手に紹介するのは悪いかなと思いましたが、ブログ『カラマーゾフの兄弟☆試訳』、すばらしいです。ドストエフスキーの遺作をていねいに翻訳して、解説されています。あらためてロシア語・ロシア文学の魅力を感じました。
 今晩夕食後、息子のH君に、語学のことを聞かれていたので、字幕のある映画でも見たらどうかといっておいたのです。しかし、こういうブログの使い方っていいですね。粘り強さもいるけれど。

カラマーゾフの兄弟☆試訳
 ブログの管理人は、mirさん。

 ときどきコメントをいただいているmirさんでしょうね。申し訳ないけれど、どんなブログをつくっておられるのか、知らずにきました。失礼しました。

George Winston AUTUMN2010/11/11

今津の秋
写真は、曲のジャケットでもなんでもありません。
今津の秋の風景です。

George Winston の AUTUMN

昔(いつか忘れました)、
TVのコマーシャルで繰り返し流れていました。
今聞いても、手垢にまみれた感じはしません。
さわやかな曲ですね。
いまの季節にふさわしい音楽だと思います。
ピアノソロというのも、お気に入りの理由です。

そのころ買ったCDを、
部屋の整理をしていて見つけました。
昨晩から文書を作りながら聞いています。

ネットでも、見つけることができました。
Longing Love

「陸軍歩兵卒軍曹 土屋和吉 之墓」(明治30年6月11日没)2010/11/11

「陸軍歩兵卒軍曹 土屋和吉 之墓」(明治30年6月11日没)
昨日から、旧大津陸軍墓地Cブロック18柱の
墓碑の碑文の読み取りを始めています。
最前列の3柱が終わりました。

今日は、前から二列目を見ていきます。

まずは、その一番右にある墓碑です。
階級名を見ると、「陸軍歩兵卒軍曹」とあります。
「卒」が入っているのですね。
階級、氏名、死亡年月日だけの墓碑です。

写真のピントがあっていませんね。

「陸軍歩兵軍曹 土屋・・・之墓」(明治33年1月7日没)2010/11/11

「陸軍歩兵軍曹 土屋・・・之墓」(明治33年11月7日没)
Cブロックの前から2列目右から2つ目の墓碑ですが、正面に刻まれた氏名が読めません。土屋・・だと思います。右隣と同じ姓ですね。
「年」あたりの判読が難しいのですが、十一月ではなく、一月でしょうね。
この墓碑も刻まれているのは、階級、氏名、死亡年月日のみです。

「陸軍歩兵軍曹村田・・・」(明治33年7月16日没)2010/11/11

「陸軍歩兵軍曹村田・・・」(明治33年7月16日没)
旧大津陸軍墓地のCブロックの前から二列目。
右から三番目は、階級は読めますが、
氏名を読み取るのは困難です。
「村田 文○」というように見えますが。
この方の墓碑も、階級、氏名、死亡年月日のみです。

「陸軍歩兵曹長 本田新○墓」(明治34年7月27日没)2010/11/11

「陸軍歩兵曹長 本田新○墓」(明治34年7月27日没)
旧大津陸軍墓地のCブロック。
前から2列目の4つ目の墓碑です。
この墓碑は、背面以外の3面に碑文がありました。
正面は、階級名と氏名。
そして、右側面には、所属部隊名が刻まれています。
「歩兵第九聯隊」以下はよく読めません。
左側面は、死亡年月日でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)