お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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第一草薙隊(特攻隊)中西三津夫飛曹の墓碑2010/11/30

第一草薙隊(特攻隊)中西三津夫飛曹の墓碑
偶然、「草薙隊」(特攻隊)の記事を読みました。

そこで、大津市の中部(京阪穴太駅山手)にある墓地を思い出しました。そこには、この隊の隊員で、神風特攻隊で戦死した若者の墓碑があったからです。

名前は、中西三津夫
上の写真では左の墓碑です。
昭和20年4月6日に戦死。
碑文では海軍少尉となっています。

この墓碑のことは、調べたことがありありました。
碑文から、所属が草薙隊とわかりました。
ネットで検索をかけると、下のビデオの後半に、
中西三津夫が出てきます。 若い顔の写真です。
それも当然、20歳!・・での戦死でした。

無惨な時代でした。

□参考サイト
海軍特攻隊の想い出「蒼空の果てに」
ここをクリック。

このサイトの記事を読むと、特攻に出撃することなく、多数の若者が訓練中の事故で死亡していることがわかります。悲惨きわまりない記録でした。

□参考ブログ
老兵の繰り言
ここをクリック。

元特攻隊員の方が書かれています。草薙隊の名簿もここで見つけました。

「沖縄戦殉職医療人之碑」2010/11/27

「沖縄戦殉職医療人之碑」
私は、沖縄を二度訪れました。一度目は、調査でした。
1995年の沖縄少女暴行事件のときです。
二度目は、家族を連れて、戦跡を巡りました。
そのときの写真を探していて、
「沖縄戦殉職医療人之碑」を
碑を撮ったことを思い出しました。

砲弾型にみえます。
それは、ふさわしい形ではないと
思えるのですが。

OKINAWA2010/04/26

4月25日の集会の映像を見ました。
1945年以来の不法占拠の米軍基地
いつまでもあって、いいはずはありません。

私は本土にいますが、
連帯の気持ちを伝えます。
沖縄のみなさんのがんばりに敬意を表します。

『米軍基地なくせ 沖縄県民に連帯する夕べ』@滋賀県2009/12/08

『米軍基地なくせ 沖縄県民に連帯する夕べ』
 『米軍基地なくせ 沖縄県民に連帯する夕べ』の開会は午後6時30分。この種の集会に出たいと思いながら、仕事とぶつかることが多くて、あきらめることが続いていました。今晩は、遅刻することになりましたが、参加することができました。
 沖縄なら歌と踊りがでるところですが、DVD上映、辺野古支援に行った若者の報告、そして、講演。集中度は高かったのですが、静かな集会だと私は思いました。もっと騒いでもいいのではと。

『米軍基地なくせ 沖縄県民に連帯する夕べ』@大津市(チラシ)2009/11/30

『米軍基地なくせ 沖縄県民に連帯する夕べ』@大津市のチラシ
ファックスでいただいたチラシですが、
勝手にブログに載せることにしました。
いい取り組みは、たくさんの人に知らせた方がいいと思って。
普天間の基地の沖縄県内たらいまわしはダメ
米軍基地は日本にいらないの声を全国から。

11・8沖縄県民大会にヴァーチャル参加!2009/11/11

へのこへのこ旗で参加しました(BIN★)
BIN★は、ばるタンさんに連れられて、
沖縄の県民集会に参加しました。
(う~ん、いつの間に)
そのときの写真です。
ばるタンさんのブログ
「犬と歩けばゴミを拾う in 沖縄」
にあった
「へのへのこちゃん」旗の写真が
欲しくて送ってもらいました。
ありがとうございます。
「へのへのこちゃん旗」(ばるタンさんのブログにあったもの)
 私は、ヴァーチャル参加ですけれど。気持ちは同じです。
集会の正式の名前は、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」。
「米大統領に強く訴えを」=普天間移設問題で県民大会-沖縄
11月8日14時18分配信 時事通信

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設反対を訴える県民大会が8日、同市の宜野湾海浜公園で開かれ、県内外から約2万1000人(主催者発表)が参加した。伊波洋一宜野湾市長が登壇し、「来日するオバマ米大統領に沖縄の米軍基地がいかに負担となっているか、(移設先とされる名護市の)辺野古の海がいかに貴重な海であるか、鳩山首相から強く訴えてほしい」と語気を強めた。
 日米地位協定の改定を求め、仲井真弘多知事と訪米中の松沢成文神奈川県知事が、県外・国外移設は不可能と発言したことに、沖縄県議の新里米吉大会事務局長は壇上で「県民を愚弄(ぐろう)する身勝手な発言だ」と批判した。
 会場を訪れた宜野湾市の無職新垣仁英さん(68)は「県内に移設されても危険な飛行場であることは変わらず、納得できない」と述べた。  那覇市の会社員石嶺淳也さん(35)は、政府の説明を「不十分」と感じて参加したという。移設先について「息子のためにも県外(移設)を望んでいるが、現実的に可能かどうか」と話した。
 大会では「新政権は米側の圧力に屈せず、対等な日米交渉で県民の声を堂々と主張すべきだ。小さな島沖縄にこれ以上基地はいらない」とする決議を採択した。

大石村の12名の戦死者2009/08/09

大石村の戦死者(忠霊塔のプレート)
大石村は、昭和26(1951)年に大津市に合併。
大石学区となった。私は、村の時代を知らない。
現在の人口は、4,300人ぐらい。
そのうち、住宅開発でできた団地が
三分の二ぐらいを占めている。
村の時代は、きっと、2千人程度だったのだろう。
(後日、国勢調査を調べて見ることにする)

その村にある「忠霊塔」
黒い金属のプレートがはめ込まれ、
村出身の戦没者の名前が刻まれている。

日清戦争時が2名。
あとは、1939年から1945年まで
戦死された土地は、
中国、ビルマ、南洋群島、フィリピン、
御前崎沖そして沖縄。

階級についての記述はなく、
年代が西暦で刻まれていることに、
私は、注目した。

後の戦争に比べて小数であった
日清戦争の死者が、この地に生まれ、
それをはるかにしのいだ日露戦争の
戦死者が出なかったのは
なぜだろう・・・などど思いながら、
しばらく、この場所にたたずんでいた。

サイト『沖縄発!役に立たない写真集』から2009/07/17

お借りしてセピア色に焼いた「読谷村の忠魂碑」
ネットは画像名でも検索ができる。
「忠魂碑」というキーワードを入れると、思ったより多数の画像が画面に表示された。ひとつひとつを丁寧に見ていく。
注目したのは、『沖縄発!役に立たない写真集』に掲載されている沖縄の忠魂碑とそのコメント。
トップには次のように書かれている。
特に断りを入れてある写真を除き、著作権等は一切放棄します。
個人利用、商用、軍用、医療用、食用、飲用、奥様の昼間のお楽しみ用問わず自由にご利用頂けます。また、承諾確認のメールは必要ありません。
当然ながら加工も自由です。煮るなり焼くなり好きにして下さい。
なお、ご利用になって、特にトラブル等有りましても、当方は一切関知しません。
当サイトの画像、文章の引用をされた場合、Web上、印刷物上問わず、当サイトからという事を明記して頂く必要は全くありません。というか、その前に、人様のお役に立てる様な写真は一切ありません・・
また、ここに書いてある内容の真偽は定かではありませんので、鵜呑みにする前にご自分で調べてみてください。当サイトをご利用になられる事によって、皆様の社会的信用の失墜、経済的損失、もしくは、クーデター、災害の発生等、皆様に不利益不都合となる事案が発生致しましても、当方は一切の責任を負いません。

こういう事情で、上の写真はこのサイトのものを使っている。ところで、下のリンクをぜひクリックください。サイトのオーナーさんが、忠魂碑につけているコメントはなかなかの代物です。「クーデター」覚悟で言うならば(笑)・・・。

読谷村の忠魂碑ここをクリック。

首里城の忠魂碑ここをクリック。

仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(角川文庫)2009/06/27

仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(角川文庫)
わたしは、何度も、映画『ひめゆりの塔』を見ました。
しかも、白黒にはじまりカラーになっても。
公開されるごとに見て、TVで放映されれば
録画して見ました。

それでも、記念館で、「ひめゆり部隊」の
生き残りの方から、お話を聞いたときの
衝撃は、はるかに大きなものがありました。

そして、この本
『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』

記念館でのお話と重なります。
・・・お国のために尽くそうと純粋な思いで
看護し、そして軍から捨てられ、追い立てられる
・・・戦争の大義を疑うことなく綴られるからこそ
いっそう痛ましいのです。

これは忘れては絶対にだめ!
そう何度も思いました。

人の記憶は悲しいもので、
日々薄らぐことは避けられません。
それでも、これを読めば必ず残るものがあります。
核のような思い・・・・戦争は絶対にだめだって思いです。

いま政治家のなかで、とくに若い世代のなかで、
・・・安倍さん、石破さん、前原さん・・・という名前が
すぐに浮かびますが、平然と戦争をする国に変えようと
いう主張をされる人がいます。

この事実を見ないで言っているのでしょうか。
私には、とても信じることができません。

仲宗根政善さんは「あとがき」で書いています。

 沖縄基地に駐留する米第三海兵師団は、インド洋・ペルシャ湾での有事に即応するよう緊急展開部隊として出撃態勢をとっていて、演習は激化しつつある。
二十余万の生霊の静かに眠る土の上に、このような巨大な基地をそのままにしてよいだろうか。平和が、沖縄県民はもとより全国民の心である。
沖縄戦を忘れてはならない。戦争体験を風化させてはならない。

沖縄「慰霊の日」(6月23日)に寄せて2009/06/22

「昭和二十年六月二十日於沖縄島戦死」と刻まれた墓碑
私がいま住んでいるのは、滋賀県の県都・大津市。
合併をくりかえして、いまや中核都市。
山野を切り開き、琵琶湖を埋めた土地に、
道路や新興団地や高層マンションが
つぎつぎと建設されています。

失われていく景観や街の変貌を注視しながら、
旧い時代の痛みを追跡する私です。
墓地を見かけると、戦死者の墓碑文を、一柱づつ
ていねいに読みつづける・・・「悼む人」状態です。

岡にむかって細長くつらなる墓地を、
見て回っていたときです。
「故陸軍伍長」の墓碑に、「沖縄」の文字を見つけました。

昭和二十年六月二十日於沖縄島戦死

そうです、この日は、「慰霊の日」の三日前。
つまり沖縄で司令官牛島満中将が自決して、
組織的な戦争が終わった日の三日前にあたるのです。

沖縄に行ったとき、「平和の礎」に沖縄戦で散った
全国の人たちの名前が刻まれているのを見ました。
ですから、滋賀県人がそのなかにいるのも
知識としては持っていたのです。
しかし、遠くはなれた大津の地で、
「沖縄」の文字を目にしたとき、15年戦争が、
全国民をまきこんだ総力戦であったことを感じました。

明日は、6月23日。64回目の「慰霊の日」です。

琉球新報に、「慰霊の日」についての記事が載っていました。
とても、大切な内容だと思いましたので、引用しておきます。

あす「慰霊の日」 5大学1129人、3割「由来知らない」

6月22日9時40分配信 琉球新報

沖縄戦アンケート
 23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99・4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29・4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61・6%にとどまった。
沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。
 高校歴史教科書の「集団自決」の記述から「日本軍の強制」が削除された問題について、県内出身者と県外出身者の意識に差があることも分かった。
 日本軍による住民虐殺があった事実は86・8%、学徒動員は92・8%の学生が知っていると答えた。学徒隊の名前を一つ挙げることができた学生は76・0%で、ほとんどが「ひめゆり」を挙げた。
 住民の「集団自決」はどのような死かを問うと「日本の軍事体制下で米軍への投降を許さない、追いつめられた死」を選んだ学生は83・6%、「国のために自ら命を捧げた美しい死」は4・4%、「分からない」5・2%、その他6・3%。
 「日本軍の強制」が削除された問題を知っているのは90・4%、削除は「正しくない」との回答は81・8%に上った。「正しい」は2・8%。「分からない」が14・2%いた。
 県内、県外の出身別でみると、県外出身者は「集団自決」を「―美しい死」と回答した割合が8・1%と県内3・8%よりも高く、歴史教科書問題を知らないと回答した割合も県外は27・4%で、県内6・4%よりも高かった。「日本軍の強制」削除は「正しくない」は県外65・9%で、県内84・3%よりも低かった。
 沖縄戦を学ぶことは「とても大切」88・1%、「ある程度大切」11・2%とほとんどが「大切」と回答。沖縄戦について小中高校の授業で学んだことがある学生は91・9%、戦跡や平和資料館に行ったことがある人も95・2%と多かった。
 調査は5大学の教員に協力を依頼し、講義の際、学生に回答してもらった。

◆識者分析 新城俊昭氏「意識高いが知識伴わず」

 「沖縄戦が終わって何年か」との質問に正答が約6割というのは気になる。8割は超えてほしかった。一方で沖縄戦を学ぶことが大切との回答99%はかなり高い数値だ。現代の若者は一般に言われるほど沖縄戦に無関心ではない。むしろ素直な気持ちで沖縄戦から平和の在り方を学ぼうとする姿勢がうかがえる。意識は高いが知識がそれに伴っていないのが実情だ。平和教育の在り方や教える内容に問題がありそうだ。生徒の実態に合った、体系立てた学習を工夫する必要がある。
 毎年6月は特設授業で、演劇や映画鑑賞、戦争体験者の講演などが実施されているが、近年、こうした学習法もマンネリ化し新たな平和教育の在り方が求められ、内容も問われている。
 1995年、2000年に高校生を対象にしたアンケートでは戦跡・平和資料館に行ったことのある生徒はほぼ半数だった。それが05年は94・5%と大幅に増え、今回のアンケートでも95・2%と高い。おそらく、多くの学校が総合的学習の時間に平和学習を取り入れ、学年単位で戦跡・資料館巡りをするようになったのだろう。07年の教科書検定問題による沖縄戦への関心の高まりも一因だ。
 沖縄戦をじかに語れる世代は急速に減少している一方で沖縄戦研究は大きく進歩し、県平和祈念資料館や対馬丸記念館の建設、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアル、各市町村の戦争体験記刊行など沖縄戦を継承するための未来への環境作りは着実に進んでいる。これからの平和学習はこれら戦争遺跡や資料館に何を語らせるかが大きな課題だ。
 教科書から「日本軍の強制」が削除されたことは「正しくない」との回答が県内出身者より県外が大きく下回ったのは気になる。単に沖縄戦への認識が足りないというより、15年戦争への歴史認識そのものに違いがあるように思える。だからこそ教科書で沖縄戦の真実をきっちり記述する必要がある。
 (沖縄歴史教育研究会代表)

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)