お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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明治10年代初期の兵卒の墓碑文 ~東98(L232)「二等兵卒川崎力之助墓」~2010/10/25

兵卒の墓碑文 ~東98「二等兵卒川崎力之助墓」~
 上は、東98の墓碑の左側面。兵卒の履歴が刻まれています。 
明治十一年四月廿九日應徴入営於大阪鎮台歩兵第九聯隊第三大隊第四中隊同年十月十一日病没於大津営所病室干時年廿年九月
 上記のように十分読み取ることができます。入営したのが4月、病死したのが10月。入営後、わずか6ヶ月で病死した20歳の若者の墓碑であることがわかります。

そういえば、Fブロックでも、このように大きな文字で深く刻まれた碑文がありました。私はその内容に強い関心をもち、37柱のすべてを解読しました。
明治8年から11年にかけての下士官と兵卒の墓地(Fブロック)
 Fブロックの37柱は明治8年から11年のかけてのものです。Lブロックにも近い年代の墓碑がありますから、碑文のあり方が共通しているのですね。

 ところで、下段墓地が竣工したのは、明治10年10月のこと。西南戦争の後始末に大津市の陸軍歩兵第九聯隊も忙殺されていたときのことです。同じ聯隊の兵卒でも、現地、たとえば田原坂のたたかいで戦死したものは、現地で埋葬。無事大阪まで帰還しても、聯隊営所に着くまでに、流行しはじめていたコレラでつぎつぎと倒れ、病死者がでました。大津衛戍病院で病死した出征兵卒も1名、記録に残っています。
 西南戦争の戦没者のために巨大な「紀念碑」が建立されましたが、それは陸軍墓地のなかではなく、だれもが市から見上げることができる場所、見晴らしのよい三井寺の境内に建てられました。現在は、目に触れない山中に移されました(下の写真)。
西南戦争の碑@大津市
 陸軍墓地の下段に、病死した兵卒の埋葬がはじまるのは、明治11年以降のことです。

 東側の墓碑の図を見ると、死亡年が明治11年の墓碑が4柱あることがわかります。それらは、すべて山手の一番上の列(5柱)に並んでいます。東98、東99、東100および東101。同じ横列にある東102だけが、明治12年です。
東102 明治12年 1月
      上等卒 堀田 源七
      Lブロックの235

東101 明治11年11月
      歩兵二等卒 澤崎 戈次郎
      Lブロックの218

東100 明治11年10月
      二等卒 堀川 鍋(?)次郎
      Lブロックの234

東 99 明治11年10月
      上等卒 宮崎 伊三郎
      Lブロックの233

東 98 明治11年10月
      上等兵卒 川崎 力之助
      Lブロックの232

コメント

_ やつしろ ― 2010年10月26日 03時41分59秒

国内戦最後の西南戦争・・・・戦死者は両軍合わせて、一万三千人を超えたというんですから、凄まじいものだったんでしょうね。

鹿児島の城山には、その時の戦没者の墓が、たくさんあります。


 巨大な「記念碑」・・・・見たいなあ・・・大津のどの辺です?

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年10月26日 08時42分43秒

見ていただいてありがとうございます。

大津に営所ができてわずか2年。
農民が主体の歩兵第九聯隊の若者が
当時最強といわれた薩摩軍との戦闘に
かり出されたました。
最初の戦闘で逃げ出した兵もあり、
恐怖したと思います。

西南戦争の碑は、三井寺の山中にあります。
観音堂側から行くと、入山料がかかります。
小関越の途中から、道が分かれる場所があり、
そこから、三井寺の領域に向かって登っていけば、
その途中に広場があり、そこにあります。
碑だけの高さは、6メートルぐらいです。
しかり、その台座はモダンな形状。
全体は、階段で10数段上る土盛の
上に置かれています。

_ やつしろ ― 2010年10月26日 11時00分24秒

湖西地方は、本格的な冬の到来のような気候で、名物「高島時雨」が降っています。
大津方面は、恐らく「晴れ」でしょう。
高島、安曇川はまだましですが、マキノ、今津、朽木は、もっと酷いです。

お墓探訪・・・雪の前にしておかないと・・・と思いますが、この時雨景色では、駄目です。

10月の暮れから11月にかけて、「今日は晴れ、時間あり」という日の朝に、御連絡下さい。こちらの都合と合わせたいと思います。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年10月26日 15時13分08秒

天候まで配慮していただいてありがとうございます。
湖西路を上っていくと天候の違いに驚きます。
快晴の大津市南部を出発して、
坂本あたりから曇り空、
堅田をこえると雪模様となり、
志賀町で雪がちらつき、
高島町から安曇川町では普通に雪が降っているのに、
今津では吹雪、マキノでは先が見えない状態って日がありました。
その違いが絵に描いたようだったので、記憶しています。

「今日は晴れ、時間あり」ですね。わかりました。
よろしくお願いします。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)