お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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日清戦争戦没者「陸軍歩兵一等卒 日置卯市之墓」@旧大津陸軍墓地2010/10/31

「陸軍歩兵一等卒 日置卯市之墓」(E176)正面
旧高島郡で日清戦争期に戦没した17名のひとり、日置卯市(安曇川町三尾里)の墓碑が、旧大津陸軍墓地のEブロックにあります。私がつけたIDは、E176。
墓碑によれば、明治28(1895)年4月29日に沙家屯で亡くなっています。これは、遼東半島上陸直後にあたります。

コメント

_ やつしろ ― 2010年11月01日 13時41分07秒

三尾里という在所では、毎年老人会主催の追悼会が勤まり、殆ど毎年、御法話に参上しています。
3年ほど前、日清戦争の話をしたとき、日置卯市さんのことに触れました。
御遺族は早くから、ここを離れられ、生家は現在残っていないとのことでした。
百十年も前のことですから、いろいろあったのでしょう。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年11月01日 17時53分55秒

貴重なお話です。

日置卯市さんのことが話題になっていることを知ったのも、
その後のご遺族のこともわかるなんて、
信じられないようなお話です。
ありがとうございます。

_ やつしろ ― 2010年11月02日 04時32分23秒

それに比べ、山崎松蔵さんの御子孫はキチンと健在です。
私の寺の門徒総代の奥さんがその家出身で、今はその弟さんの代です。
奥さんのお祖父さんの御兄弟だそうです。
大字田中からの戦没者第一号ということで、大層な葬式が営まれ、石碑は墓地にではなく、一番目につく往来に、それもびっくりするほど巨大な墓碑でした。
大人も子供も、毎日その前を通り、その人の武勲を称えたのでした。

戦後の土地ブームで墓碑の傍が売れ、住宅が建設されたのですが、「墓が傍では困る」という苦情が出て、本来の田中墓地に引っ越すことになりました。
特別大きな墓碑ですから、設置には広い土地が必要ですが、すでにいっぱいで設置する場所がありません。
町が間に入り、今までなかった所に土地を造り、場所を与え、現在に至っているのです。

だから、あのお墓だけ、特別の処にあるでしょう?

_ BIN→やつしろさん ― 2010年11月02日 13時20分14秒

貴重な数々のコメントありがとうございます。
いろんな方に読んでいただけるように
工夫をさせていただきます。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)