お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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柳沢大臣やめなさい!女性は産む機械なのか2007/02/11

●女性による抗議行動

大津市の中心街に10数名が抗議行動を。
ゼッケンに書かれた言葉は当然の要求です。

当然の抗議です。
見識を疑うしかない

●沖縄タイムスの記事

07年1月31日朝刊
 大臣の言葉がこんなに軽いとは思わなかった。こうなると、政治家に求められているはずの見識をも疑わざるを得ない。
 柳沢伯夫厚生労働相が島根県松江市での集会で述べた「(女性は)産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」という発言のことだ。

 少子化問題を解説する中で出た発言である。が、率先して少子化対策に取り組むべき厚労相が女性を機械に例えたのだから、あきれてしまう。

 厚労相は「機械と言って申し訳ない」と話しの途中で謝り、「産む役割の人」と訂正したという。しかし、それで済まされる問題なのかどうか。

 二十九日には、安倍晋三首相、塩崎恭久官房長官に「不適切な発言だった」と釈明している。

 「産業と経済に例えて説明した方が分かりやすいと思った」とも述べているが、言葉の裏に潜む厚労相の女性観を疑いたくなる内容と言っていい。

 政治家にとって言葉は武器であり、要諦だ。それを知らない政治家はいない。

 であればなおさらのこと、厚労相の釈明を「はい、そうですか」と聞き流すわけにはいかない。

 たとえ自らの言葉を訂正し、陳謝したとしても、もともとの発言が品格に欠け、しかも適切な言い換えでなかったのは誰の目にも明らかだからだ。

 自民党県議の集会という気の緩みがあったにせよ、主務大臣の発言としてのレベルの低さはいかんともし難い。

 女性蔑視と受け取られるような例え方自体おかしいのであり、これでは女性ばかりかほとんどの出席者が不愉快な思いで聞いたのではないか。

 厚労相は、近く設置する「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」の主要メンバーでもある。

 発言に伴う負の影響を考えれば、果たしてメンバーとしてふさわしいのかどうか疑問と言うしかない。

 二十七日の講演には、少子化対策の要になる子どもを生みやすくする社会に向けた具体的施策は盛り込まれていなかった。

 肝心要の政策に触れることなく、女性を「産む機械」に例えたのでは、厚労相という前に政治家としての資質が問われても仕方がないはずだ。

 安倍首相は静観する構えだが、任命権者としての責任が問われていることを忘れてはなるまい。

 政治家の言葉は重い。主務大臣であればなおさらのことだ。場所を問わずその発言が注目を集めていることをいま一度肝に銘じる必要があろう。

飼い主とのスタンス2007/02/11

モー♂のこの表情は、ときどき目にします。
カメラは迫ってくるし、逃げられないし。
迷惑だけど、断れないって表情ですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)