お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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来るものと去るもの:滋賀警察本部庁舎と琵琶湖文化館2008/03/05

来るものと去るもの:警察庁舎と琵琶湖文化会館
3月5日。今は、昼休み。
お弁当を食べた後、ブログを書くことにした。

昨日は、車を仕事場に置いて帰宅。今朝は、歩いて出勤。1時間ほど前に自宅を出発。中心街を歩くと、あちこちに、高いクレーンの姿がある。その大きさから見ると、地上15階以上。空が削られ、琵琶湖がどんどん消えていくのがわかる。
 浜大津港からは、湖岸のなぎさ公園をあるく。
 びわ湖ホールにさしかかって、振り返って写真を撮る。

 左が、建設中の警察庁舎。豪華なハイテクを備えた設備を持つことになる。これが15階建て。湖岸にわざわざ置く必要はないと私は思う。
 しかも、今年度の県の予算は、いろんな施策を次々を削った。だが、新幹線新駅の積立金を崩すこともなく、この建物の建設予算は、増額。その一方で、福祉医療や私学助成は削った。

 右は、この3月20日で、全館休館となる琵琶湖文化会館。46年の歴史を閉じる。これも、財政問題とからんでいる。

 来るものが左。
 去るものが右。

私は、琵琶湖岸の景観のよいところは、もっと市民に公開すべきだし、それを楽しめる施設がいいと思います。
 警察本部庁舎建設を建てるのなら、別な場所にすべきです。(旧)琵琶湖研究所(=一部は残る)の跡地というのは、安易です。

コメント

_ イサミ ― 2008年03月08日 03時05分29秒

なるほど。文化館前の湖岸風景は、いつもジョギングする人や犬の散歩をさせる人、小さな子どもを連れて湖岸でくつろぐ人たちで、とてものどかなものでした。空を引き裂くような厳めしい県警本部が建ち、玄関前に制服警官が立哨するさまを想像すると、私も「なぜここに?」と感じ始めています。

_ BIN★→イサミさん ― 2008年03月08日 12時59分44秒

コメントありがとうございます。
琵琶湖文化会館ができたときは、目の前に大きな駐車場と公園、お土産店をかねたレストラン、水族館もあり、人気のスポットでした。湖岸にそういう施設がなかったからです。そもそも、大津市には、坂本城、大津城、膳所城などがありましたが、明治時代に取り壊されて、いまはその姿を見ることができません。琵琶湖とひびきあう娯楽と文化を兼ね備えた施設として、誕生を喜んだことを覚えています。
 そうそう、この琵琶湖文化館の前には、県立琵琶湖研究所がありました。その一部だけが要望があって残っていますが、琵琶湖の魚類の鑑賞、琵琶湖の研究施設、そして近江の文化を展示する会場・・・これらた一体となって存在していたのです。
 しかし、築15年という新しい琵琶湖研究所は大部分が取り壊され、水族館は、草津市にできた新琵琶湖研究所に移りっていくなかで、客足が遠のくのは、予想できることです。貴重な文化財はありますが、それは派手なものではありません。
 結局、滋賀警察本部庁舎に押し出された格好になります。
 私は、琵琶湖と共鳴しあう施設がこの地点にできることを切望していました。残念なことです。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)