お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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さらに3基の砲弾型墓碑(日露戦争戦死者)2009/02/15

マキノと今津の境目にある砲弾型墓碑
古い戦争の傷跡は、あまり注目されることはありませんが、
各地の墓地のなか、しかも目立つところに見ることができます。
私は、2007年の夏から、そういう碑の記録を残そうと
しています。

この冬にも、いくつか見つけることができました。

日清戦争の個人墓碑は、ほとんどありません。
そもそも戦死者が少ないこともあるし、
病死者は、陸軍墓地に個人墓碑があるからです。

しかし、日露戦争以降は、合葬碑はあったにしても、
陸軍墓地のなかに、個人墓碑としては残っていません。
将校クラスは存在していますが。

ですから、戦死者の生まれ育った各地の墓地に、
個人の負担で墓碑がつくられていったのでしょう。

私の探索範囲は、大津市と高島市。
ちょうど仕事のエリアと同じです。
高島市での仕事が多かった前年の11月から
今年の1月にかけて、見つけたものがあります。
仕事に忙殺されてブログで紹介できなかったものを
いつくかお見せしたいと思います。

上の写真は、旧今津町と旧マキノ町の境目にある墓地。
そこで、3基の日露戦争での戦死者の墓碑を見つけました。
形は、「砲弾型」



まだ死亡年月日と死亡場所を読み取ることができます。

これで、砲弾型を見つけたのは、13基になります。
マキノで6基、今津で5基、新旭で2基です。

在りし日のクマネズミくん2009/02/15

イスの下に隠れるクマネズミくん
それは、正月前のこと。
事務所の床から外につうじる小さな
通風孔が家主さんによってふさがれました。
それからまもなく、部屋のなかに
ちいさなネズミが一匹現れるようになりました。
気の毒に、外への出口を失ったためなのでしょう。

私達は、珍しい闖入者に歓声を挙げました。
緊張した仕事が続いていたので、
ハプニングは、大歓迎でした。
追いかけたり、写真を撮るなど、アイドル扱いでした。

上の写真がそれです。

しかし、冷静になると、ネズミくんの存在は大問題。
お茶菓子などがおいてあるために、
かじられては大変です。
外に出て行ってもらえるよう
寒いなか、ドアを開け放して待ちました。
でも、うまく逃げてくれません。

仕方なく、お菓子やつまみ類を
夜には、レジ袋につめて、部屋に渡した
洗濯ロープにつるしておきました。
ところが、このネズミにとって、
綱渡りは苦にならないのです。

翌朝、レジ袋のなかのカッパエビセン
が食い荒らされていました。
このスキルから、クマネズミであるとわかりました。
あきれ果てた同僚のTS氏は、
収納用具を買ってきて、そこにすべての食品を入れました。

きっとそれが災いしたのですね。

それから一ヶ月、私達は、ほとんど徹夜の大仕事。
24時間だれかが起きているような始末です。
すっかり、ネズミくんの存在を忘れていました。

高島市の事務所をたたむ少し前、
コピー機の後ろから、変わり果てた
クマネズミさんの姿を見つけました。

とても気の毒で見ていられませんでした。
下の写真は、在りし日のクマネズミくんです。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)