お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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カーレド・ホッセイニ『千の輝く太陽』2009/11/27

カーレド・ホッセイニ『千の輝く太陽』
 ばるタンさんから紹介された『「坊ちゃん」の時代』(全五部)は読みきった。内容そのものに継続的な関心をいだいたけれど、関川夏央や谷口ジローの別の作品を探して読もうという気になった。
 それはそれとして、もう一冊読んでいるのが、カーレド・ホッセイニの『千の輝く太陽』。hummingbirdさんの推薦本。
 実は、同じ作者で『君のためなら千回でも』(早川書房)という小説もある。原題は、The Kite Runner。凧上げをする人という意味だろう。ホッセイニの話をするついでに、この小説のことに触れたら、カミさんが「知っている」という。そう、映画を見たのだ。「とても感動した。少年がどこまでも・・・」というので、思わず「その先をいわないで」と釘を刺した。だって、読む楽しみがなくなるじゃないですか。
 『千の輝く太陽』は、女性が主人公。アフガニスタンの物語に触れるのは、はじめてのこと。まだ数十ページしか読んでいないけれど、文明と因習、富と貧困が交差し、封建制時代のような印象もある。その場合、もっとも惨めな役割を振り当てられているのが女性。「女性の解放の度合いが文明化の度合いを決める」のような表現をしたのは、どの人だったのか思い出せないでいる。

『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』&『沈まぬ太陽』・・・あなたはどっち?2009/11/27

20代の子がいう。
『沈まぬ太陽』か、
『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』か、
どっちが共感するかというと、
私たちは、きっと『ブラック』の方ね

そうなんだ・・・。

モーのアクビを撮る2009/11/27

モー
飼い主しか撮れない写真が
いいなぁと思うのですが、
なかなかいい写真が撮れません。

アクビ顔がかわいいネコカレンダーを見つけて、
同じ雰囲気がいいと思ったのですが、
モー君は、あまりかわいくない!

下の写真も、アクビしているんですが・・・。
正面じゃないとわかりませんね。

佐木隆三『小説 大逆事件』2009/11/27

佐木隆三『小説 大逆事件』
 明治政府のフレームアップによって、幸徳秋水ほかのアナーキストたちが、大逆罪に問われて、判決一週間後に12名が処刑された事件が、「大逆事件」。発生は1910(明治43)年。死刑は1911(明治44)年1月に執行された。
 関川夏央・谷口ジローの『「坊ちゃん」の時代』ではじめて生々しく内容を知った。そのもつ歴史的意義も、この本をきっかけに調べることがなければ、通り一遍のものになっていただろう。
 手近にあった佐木隆三の『小説 大逆事件』に目を通す。史料などが丁寧に配置された長編作品である。
 思いっきり飛ばし読みをする。
 佐木隆三がオウム事件に突き動かされたことが興味深い。
 石川啄木のいう「時代閉塞の現状」のなかで、ことごとく言論を封じられた者たちが、仲間内の放談で憂さ晴らしをして、空想的なテロ計画を口にしたことが、「皇族ニ対スル罪」に凝せられてしまった。わたしは先に、オウム事件と大逆事件はどこか似ているような気がしたと書いたが、教祖の妄想が肥大化した無差別テロになったオウムの犯罪は、破廉恥罪でしかない。それに比べて大逆事件の冤罪者たちは、人間の自由を求めて戦っていたのであり、オウム事件とは似て非なるものだ。そのことに気づいて、「早く書かなければならない」と、執筆にとりかかったのである。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)