お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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少佐といえども戦病死すれば「特祀」~陸軍歩兵少佐小池友愛の場合~2010/10/12

 『大津市志』第十一章は「人物志」です。
 ここに「明治三十七八年戦役戦病死者略傳」の項目があり、そうとは書いていませんが、階級と死亡原因順に掲載されています。

 将校クラスは、陸軍歩兵少佐1名、陸軍歩兵大尉1名、陸軍一等主計が1名、陸軍歩兵中尉が1名、陸軍歩兵少尉が4名です。
 下士官クラスは、陸軍歩兵軍曹が3名、陸軍歩兵伍長が4名です。

 「人物略傳」を読んでいて、あらためて確認したのは、少佐クラスであっても、戦病死すれば、合祀基準を満たさないということで、「特祀」となるということです。
大津市寺町二十三番地
陸軍歩兵少佐従五位勲四等 小池 友愛
天保十三年十一月二十日生
 明治四年十月十六日陸軍大尉心得として出身同七年佐賀役並に後備役として二十七八年戦役従軍三十七八年戦役には第十三師団兵站司令官として樺太島従軍腰筋僂麻質斯兼胃加答兒病に罹り後送の際明治三十八年八月十五日青森港停泊の小雛丸船中に於て死亡同日戦功に依り叙勲四等旭日小綬章並に従軍記章を賜はり同四十年五月靖国神社に合祀せらる

なお、繰り返し書いていますように、日露戦争で戦死など「合祀基準」にあう戦没者は、明治38(1905)年と明治39(1906)年の臨時大祭で合祀されています。戦病死者は、たとえ明治37(1904)年に死亡していても、二度の大祭では合祀されず、「特別合祀」という形で、明治40年に合祀されたのです。

コメント

_ やつしろ ― 2010年10月13日 22時30分02秒

やっぱりそうなんですねえ。
どの戦争でも、戦病死の方が圧倒的に多いんですが、それは即、戦力の低下につながるから、戦病死するものを憎んだのでしょうね。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年10月13日 23時46分30秒

戦病死を戦死と区別し、靖国神社の合祀で差別するというのは、あまりに心が狭いです。しかも、それは、国家による戦争を鼓舞する靖国神社の性格に深い根がある問題だと思います。外国の捕虜でも、訓練中の病死者でも等しく葬る陸軍墓地との違いを感じます。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)