お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ワンコは小脇にかかえるものではありません(私の考え)2010/11/04

ワンコは小脇にかかえるものなんでしょうか?
Qooの散歩は大変です。
KくんがQooの散歩途中に、小学生から
「暴れ犬や!!」と言われたそうです。
・・・飼い主としては少しはずかしい。

でも、かわいいことには変わりはありません。

部屋のなかで飼うといいだしたのは
カミさんでした。
私は、犬は外で飼うものとしか
考えていませんでした。

「毎日、こうして隣にいるからかわいい」

とカミさん。

やってきた頃の小ささが話題にもなります。

「前はこうして脇に抱えられたのにね~」

・・・今も、抱えているじゃないですか。

報国隊員として千島列島に赴き戦没と刻まれた墓碑2010/11/04

報国隊員として戦没という碑文
 各集落の墓地を見て回ると、知らない事実につきあたります。たとえば、この墓碑。真新しいもののように文字はしっかり読めます。碑文には、千島列島に報国隊員として向かうとあります。それは、勤労奉仕だったのでしょうか。国家総動員令によって千島に送られ、非戦闘員として戦没・・・という意味でしょうか。。
 28歳での非業の死。 墓碑の正面は、「戒名」となっています。

砲弾型墓碑が並ぶ墓地にも慰霊碑@深清水2010/11/04

砲弾型墓碑が並ぶ墓地にも慰霊碑@深清水
 旧道を走ると、今津とマキノの境目に、砲弾型墓碑などがならぶ戦死者の墓地があります。そこに建てられている慰霊碑です。名称からして、戦後のものなのでしょう。
 マキノ、朽木、今津、安曇川では戦前建立された忠魂碑がありました。また、このような慰霊碑が存在します。いったいいくつあるのでしょうか。戦争の痛みを刻んだ墓碑や慰霊碑が目の前にあるのに、まったく気がつかないで過ごしていたときがありました。小学生のときの楽しい遊び場の一つは、西南戦争の巨大な紀念碑でした。
人は見たいものしか見ない、また目に入らないものなのでしょうか。
 慰霊碑の右には、墓碑がならんでいます。一番右手に、砲弾型墓地が見えます。

大津市南部の忠魂碑・慰霊碑など2010/11/04

大石の忠霊塔
 大津市南部は、北部ほど見て回ってはいません。それでも、いくつかは目にすることができました。
 上の写真は、大石にある「忠霊塔」。戦前建立された新しいものですね。

□ 軍人勅諭の碑(忠魂碑)  瀬田
いまなお小学校の校庭に忠魂碑が立っています。小学校で起きた事件のため、勝手に校内に立ち入れませんから、遠くから撮りました。鉛筆の先のような形をしていますlが、わかりますか。この忠魂碑には、軍人勅諭が五角柱の各面に刻まれています。

□ 「戦役紀念」碑  田上森
日露戦争の紀念碑だときいています。

□ 牛馬招魂碑  武者が谷(滋賀)
日露戦争を記念して、ある寺院が建立した牛馬のための招魂碑です。珍しいものだと私は思いました。

□ 西南戦争の「紀念碑」  三井寺御幸山
20m四方で高さ3mほどの高台が作られています。そこへ昇るには、10数段の階段。そこに、近代的なフォルムをした台座があり、その上にさらに6メートルをこす紀念碑が聳えています。見上げるばかりです。

□ 「明治廿七八年季没忠勇戦死者紀念碑」  蝉丸神社(藤尾)
最近紹介しましたので、別の角度からの写真にしました。手前に神社の碑があり、その右手に見えています。クリックして拡大してください。

「戦争に行った」という誇り ~出征軍人と刻まれた墓碑~2010/11/05

階級名だけでなく「出征軍人」と刻まれた墓碑@石山霊園
 従軍記章というものがあるのを知っています。戦争に行ったことで、年金などもついたことでしょう。戦死されたわけではないのでしょうが、「出征軍人」と刻まれた墓碑を見つけました。
 残念ながら、碑文は陰に隠れて読むことができません。
 なぜ、こう刻んだのか。
「戦争に行った」という誇りを刻んだのか、そのことを忘れてほしくないと遺族が思って刻んだのでしょうか。
無縁仏となった墓碑が集められているところなので、碑文の続きを読むことができません。刻んだ遺族の思いを半ばしか受けとめられない気がしました。

無縁仏となった陸軍二等看護長の墓碑2010/11/05

無縁塚に置かれた戦死者の墓碑群
 戦没者の墓碑は、共同墓地のもっとも目立つ場所に置かれています。そうではない場合も、その大きさと形状でいやでも目につきます。  しかし、時が経ち、縁者がなくなると、無縁仏となり、墓地の隅に追いやられる運命となります。私は、その光景を見るとつらくなります。
 私にできることは、碑文を読み取り、遺族が残そうとしたその人が生きた証を記録することです。
 上の写真は以前にも紹介したことのある墓碑群です。重なり合った墓碑群の右手に、「故陸軍二等」まで読める墓碑があります。わずかな隙間からのぞくと、「故陸軍二等看護長」と階級名が刻まれているのがわかります。
 左側面には、長文の碑文が刻まれていました。

なんででしょうね、クーの本気咬み2010/11/08

本気咬みはやめてください、Qoo!
ワンコの子育て講座にカミさんが行っています。
一回目は保護者だけ、二回目は、クーと一緒。

クーはドッグランで楽しいそうに他のワンコと駆け回っていたそうです。

それはいいのですが、
お散歩のときに、頑強に歩かなかったり、
いきなり噛みついたり・・・があったそうです。

なんなんでしょうね。
そんなことはなかったのに。

「故郷」の歌声が聞こえる~野戦重砲兵第九聯隊玉砕の地@サイパン~2010/11/08

「故郷」の歌声が聞こえる~野戦重砲兵第九聯隊玉砕の地@サイパン~
 ある大きな会場で、「故郷」を二度聴きました。最初は、合唱で、つぎにはジャズで。ともに感動的な演奏でした。
 この選曲が偶然とは思えないままに、私は、ある光景を思い浮かべていました。
 それは戦後60周年の節目の年のことです。
 私たち家族は、サイパンに旅行しました。選んだのは、少人数のヒストリカル・ツァー。ガタガタ揺れるミニバンに乗せられて、ある戦場跡に案内されました。そこは、米軍に追われて、ちりぢりとなった日本軍の残存部隊が手榴弾で自爆した場所でした。十数人が最後の瞬間に、輪になって、この歌を歌ったそうです。
 現地の少年がその光景を偶然に目撃したために、いまに伝わる「野戦重砲兵第九聯隊」の実話でした。
 私たち家族も、その場で歌いましたが、その一語一語が痛切な思いをもって、胸に刺さりました。そのとき以来、太平洋の諸島や中国で戦死した若者の墓碑を見る度に、「故郷」の歌声が聞こえるように思えるのです。
 天候のいい一日。ある小さな墓地をめぐりましたが、そこでも戦死者の墓碑は、十数柱見つけることができました。まだ建立されて新しい墓碑もあり、刻まれた文字は、あまりに鮮明で、戦死が昨日の出来事のように思えました。




第二次世界大戦で、戦闘員の死者は、570万人を超え、そのうち日本人の戦死者は、230万人といわれています。

棚田のログハウスにて ~TPP、尖閣諸島、千島問題を考える~2010/11/08

山間地のログハウスから棚田を撮りました
 棚田ののどかな風景は永久に続くものではないのかも知れません。それは、遠く離れた場所で、運命を変えられようとしているからです。
 ちなみに、TPPとは、「環太平洋戦略的経済連携協定」のことです。日常的にもなじみのない話ですが、それへの参加をめぐり、政権が揺れています。問題の焦点は、日本農業の再生と両立するかどうかです。
 関税を撤廃し、例外品目をなくすということになれば、日本の食糧自給率は上がるどころか、14%まで落ち込むというのが、農水省の試算です。
 私は、参加に反対です。
 私が注目したのは、尖閣列島問題、千島列島問題とは異なる世論とマスコミの反応が出ていることです。国際的道理と国民的利益を貫くという観点からは、私には同一の思えるのです。
 尖閣列島も、千島列島も、日本の固有の領土であり、そのことを率直に国際社会に伝えて、道理にもとづく解決をもとめるべきものです。TPPは、食料主権の確立という国民的国家的利益の核心にかかわる問題です。
 ただTPPについては、輸出を主にする大きな企業にとっては、利益となるものであり、一部の企業の利益と国民的利益が鋭く矛盾する側面もあります。それが、マスコミの論調にあらわれているように思えます。
 民主党政権への希望は失望と幻滅に変わっています。普天間基地移転問題、最近では八場ダムなど、そのブレは国際的にも失笑を買うはずです。しかし、それは、一政党の浮沈の問題にとどまらないことでしょう。長くつづいた自民党政権もそうですが、この一年の民主党の失政により、庶民の未来から多くのものが失われていこうとしています。
 私として、なにができるのか---せめて声をあげなくてはと思うのです。

What a Wonderful World Louis Armstrong2010/11/09

なんて素晴らしい世界なんだ!

・・・この言葉を幸福感いっぱいに歌えるサッチモに、感動します。
彼としても幸福な人生ばっかりとは
かぎらなかったでしょうに、
歌う表情に、魅了されっぱなしでした。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)