お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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県民の審判に真に向き合うことができるのか2007/04/10

いっせい地方選挙の前半戦が終わりました。

選挙がいかに政治に衝撃を与えるのかという見本が
以下の記事にあります。
記録にとどめたいので、転載しました。

問題は、参院選挙を念頭において、「政治的決着」するのか、
それともほんとうに県民の審判の前に頭をたれるるかです。

********************

2007統一選 滋賀県議会“嘉田ショック” 自民に分裂の動き
4月9日15時57分配信 産経新聞


 ■知事支持へ新会派も

 嘉田由紀子知事を支援する「対話でつなごう滋賀の会」が躍進した8日の滋賀県議選。定数47の県議会で、知事の政策に賛同する“親嘉田派”は民主や共産も含め27人と半数を上回る勢力に拡大した。投開票から一夜明けた9日には、大敗した自民の新議員の一部に党を割って知事寄りの会派をつくる動きも見られ、議会の勢力図はさらに変化する可能性も。一方、県議選でも争点となった新幹線新駅問題は、知事の主張する凍結論がさらに強まりそうだ。

 嘉田派が躍進した県議選の結果で議会の勢力図は大きく塗り変わった。

 議席数は、対話の会が改選前の0から4に増え、民主も11から13に、共産は2から3にそれぞれ伸ばした。一方で、自民は27から16と大幅に減少。共同歩調をとる公明の2と合わせても過半数には届かず厳しい状況だ。

 惨敗を喫した自民党関係者の焦りの色が濃い。大津市選挙区で当選した世古正・党県連幹事長代理は「大変厳しい結果。具体的なことは今は考えられない」とショックを隠せない。夏の参院選への影響も考えられるが、「じっくりと考えたい」と言葉少なに語った。

 選挙結果を受け、自民党会派に分裂の動きも出始めた。同党推薦のある当選者は「このままの自民党では県民の理解を得られない。嘉田知事に対して批判的な立場をとり続けるなら、(新会派結成は)当然の動き」と、知事に近い第2会派の結成を当選者間で話し合う考えを示した。

 別の党関係者も「地域に根ざした日常的な政治活動ができていなかった。政党活動を見直す時期にきているのかもしれない」と落胆した。新会派結成は数人規模の動きと見られるが、自民党支持者の中にも嘉田知事の施策などに賛同する声は多い。議会の勢力図がさらに変わる可能性も秘めている。

 今回、当選した対話の会の公認候補4人はいずれもトップ当選で、寺川庄蔵代表は「知事選と同じ風が再び吹いた」と勝利宣言。選挙戦で協力関係にあった民主と議会でも連携できれば、“嘉田与党”として大きな力を発揮しそうだ。

                   ◇

 ■新駅凍結の流れ加速

県議会で対話の会を中心に“知事派”が過半数を占めたことで、新幹線新駅(栗東市)凍結への流れは一段と加速する見通しとなった。

 新駅建設の「凍結」を打ち出した嘉田知事が昨年7月の知事選で当選。現在、県がJR東海に支払う19年度の地元負担金の県負担分21億5000万円を予算に計上しておらず、事実上凍結の状態にある。

 今回の県議選で、推進派だった自民党は過半数割れに追い込まれた。同じ推進派の国松正一・栗東市長は「選挙結果イコール新駅設置の是非が問われるものではない」として新駅推進に努力するとしているが、県民からより明確に凍結の方向性が示された形といえる。

 同市では対話の会公認候補は落選したものの、同じく新駅凍結を主張する民主新人が当選。対話の会の寺川代表は「(栗東でも)新駅凍結の民意は生きている」と主張。知事と連携しつつ、新駅凍結を進める構えだ。

 民主党の朝倉克己県連幹事長も「(新駅など)箱物に頼ったり、利権を追求したりという従来型の自民党政治に県民がノーを突きつけたということ」と選挙結果を振り返り、改めて新駅凍結を進めていく方針を示した

                   ◇

 ■知事「県民の意思尊重」

 嘉田由紀子知事は9日朝、大津市の知事公舎前で、県議選の結果について、「県民の意思として尊重する。これからが正念場。県民本位の県政を選ばれた人と作っていきたい」と述べた。

 また、「新幹線新駅をめぐる問題は、財政難の時代にどう予算を配分し、県民のために暮らしを作っていくのかという地方自治のあり方を象徴している。(新駅など)ハード面を整える政治以上に子育てや福祉、看護などのソフト面の問題を行政が支えてほしいと県民が思っていることを、今回の選挙結果が表している」と分析。さらに「多くの人が党派ではなく、政策でこれからの地方自治を行ってほしいということではないか。私は脱政党ではなく、超政党と言ってきた。政党性という色が地方自治で薄められたというのが今回の滋賀の結果だ」と話した。

 知事はこの日午前、彦根市の県立大の入学式に出席。その後、対話の会をはじめ県議選の当選者を祝福して回った。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)