お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
Wish You Were Here ― 2007/05/21
●Wish You Were Here
「あなたがここに(そばに)いてほしい」・・・ネットで検索すると、ピンクフロイド、小林瑞代、元ちとせといろいろ出てきます。
わたしが書きたかったのは、そういう人たちのことではありません。
20日の日曜日にたまたま仕事場で受けた電話の話です。
決して、仕事場の話は書かないというのが、このブログのポリシィ。
それに、その方は、最後に、「私をさがさないでください」とおっしゃいました。この二つの約束を守りながら、この方のお話を、私は伝えたいと思うのです。
●命にかかわる病に
その方は、上品な京言葉を話される老婦人でした。50年の間、夫婦として暮らした数年年上の夫の方がおられます。一生をかけた仕事がその夫の方にはあり、朝鮮戦争前後の暗闇の時期のなかで、普通の人々にはない辛酸をなめられたそうです。老婦人は、信念をかけた夫の生き方を理解し、長年にわたって、支えてこられました。ところが、命にかかわる大病を患うことになりました。動脈の血管が裂ける病でした。3ヶ月は心臓に負担をかけると危険なことになるそうです。
夫は高齢にいたってもなお、世直しの運動に身をささげようとし、そのために家をあけるときは、重病をわずらった妻のために有料のヘルパーを雇ってでていかれるそうです。
「わたしはお金を惜しんでいっているのではありません。この3ヶ月。せめてその間は、会議に出るのをやめて、わたしのそばにいてほしいのです。いつなんどき、まさかのことがおこるかわからないのです。そんな願いは、まちがっているかどうか、おききしたいのです」
●「いいえ」という返事
あまりにも当然の願いでしたので、私は、「まちがっているとは思いません。夫の方に私からお話させていただいていいですか」と聞きました。老婦人の答えは、意外にも「いいえ」でした。
夫の方の意思は固く、「だれが言ってもだめだと思います」と少し和んだ様子の声でした。
それからしばらくは、夫との半世紀にわたる苦労を語られました。夫の信念を深く理解しながらも、同じ道を歩まなかったこと、それには彼女なりの思いがあったことなどです。ありていにいえば、家族を守る、子どもを守るということだったのかも知れません。
「夫もガンコでしたが、私もガンコだったかも知れません。同じ道を歩まなかったことを夫はひけめとして感じていたと思います。それでも、私は自分の考えを変えませんでした。」
●私をさがさないでください
長いお話の間に、老婦人の心の中に決意が固まっていくのを感じました。
嗚咽にちかくなるのをけんめいに押さえたあと、自己抑制のきいた美しい京言葉で語られました。
「ありがとうございました。わたしがまちがっていないとおっしゃっていただいただけで十分です。名前を名乗ることができません。私を探さないでいただけますか。・・・あなたはなんとおっしゃいますか?」
私は名乗りました。そして、名残をおしむようなお礼の言葉を残して電話が切れました。
●なぜ?
この方が、なぜ、解決策がないことも知っておられながら、見ず知らずの私にお話になったのか。なぜ、最後に私の名前を知ろうとされたのか。
それは、夫に届かぬ思いをだれかの心に胸に刻んでおきたかったのだと思いました。
私は、届ける先のない重くて切ない思い、この方の最後の願い=「あなたにそばにいてほしい」を心にいだいて、迷いのなかにいます。
「あなたがここに(そばに)いてほしい」・・・ネットで検索すると、ピンクフロイド、小林瑞代、元ちとせといろいろ出てきます。
わたしが書きたかったのは、そういう人たちのことではありません。
20日の日曜日にたまたま仕事場で受けた電話の話です。
決して、仕事場の話は書かないというのが、このブログのポリシィ。
それに、その方は、最後に、「私をさがさないでください」とおっしゃいました。この二つの約束を守りながら、この方のお話を、私は伝えたいと思うのです。
●命にかかわる病に
その方は、上品な京言葉を話される老婦人でした。50年の間、夫婦として暮らした数年年上の夫の方がおられます。一生をかけた仕事がその夫の方にはあり、朝鮮戦争前後の暗闇の時期のなかで、普通の人々にはない辛酸をなめられたそうです。老婦人は、信念をかけた夫の生き方を理解し、長年にわたって、支えてこられました。ところが、命にかかわる大病を患うことになりました。動脈の血管が裂ける病でした。3ヶ月は心臓に負担をかけると危険なことになるそうです。
夫は高齢にいたってもなお、世直しの運動に身をささげようとし、そのために家をあけるときは、重病をわずらった妻のために有料のヘルパーを雇ってでていかれるそうです。
「わたしはお金を惜しんでいっているのではありません。この3ヶ月。せめてその間は、会議に出るのをやめて、わたしのそばにいてほしいのです。いつなんどき、まさかのことがおこるかわからないのです。そんな願いは、まちがっているかどうか、おききしたいのです」
●「いいえ」という返事
あまりにも当然の願いでしたので、私は、「まちがっているとは思いません。夫の方に私からお話させていただいていいですか」と聞きました。老婦人の答えは、意外にも「いいえ」でした。
夫の方の意思は固く、「だれが言ってもだめだと思います」と少し和んだ様子の声でした。
それからしばらくは、夫との半世紀にわたる苦労を語られました。夫の信念を深く理解しながらも、同じ道を歩まなかったこと、それには彼女なりの思いがあったことなどです。ありていにいえば、家族を守る、子どもを守るということだったのかも知れません。
「夫もガンコでしたが、私もガンコだったかも知れません。同じ道を歩まなかったことを夫はひけめとして感じていたと思います。それでも、私は自分の考えを変えませんでした。」
●私をさがさないでください
長いお話の間に、老婦人の心の中に決意が固まっていくのを感じました。
嗚咽にちかくなるのをけんめいに押さえたあと、自己抑制のきいた美しい京言葉で語られました。
「ありがとうございました。わたしがまちがっていないとおっしゃっていただいただけで十分です。名前を名乗ることができません。私を探さないでいただけますか。・・・あなたはなんとおっしゃいますか?」
私は名乗りました。そして、名残をおしむようなお礼の言葉を残して電話が切れました。
●なぜ?
この方が、なぜ、解決策がないことも知っておられながら、見ず知らずの私にお話になったのか。なぜ、最後に私の名前を知ろうとされたのか。
それは、夫に届かぬ思いをだれかの心に胸に刻んでおきたかったのだと思いました。
私は、届ける先のない重くて切ない思い、この方の最後の願い=「あなたにそばにいてほしい」を心にいだいて、迷いのなかにいます。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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