お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「ヤンバルの森」に2007/06/03

ばるタン様

「ヤンバルの森」を読みました。平良夏芽さんのメッセージも読みました。
それで、わたしからもメッセージを書こうと思ったのです。

●沖縄は二度

私は、二度、沖縄におじゃましています。

一度目は、1995年。あの9月4日の事件の直後です。
あらためて沖縄のおかれている地位に驚き、この眼で見て、そして抗議の意思を示したかったからです。
 そのときは、名護市に一泊したと思います。

二度目は、2002年。長男の中学卒業記念に沖縄の戦跡を訪れることにしたのです。95年のときの体験をひきつぎたいと思ったからです。

●都市型訓練施設

 そういうことを思い出しながら、「ヤンバルの森」を読んでいました。
そして、『金武町に「都市型実弾訓練場」・・・』という文章にいたったときに、心に強く響くものがありました。
 1995年の訪問のときは、金武町の町長さんから親しくお話を聞くことができたということもあります。
 しかし主には「都市型訓練施設」という言葉に強く反応したのです。

●あいば野演習場

 滋賀県には、ご存知ないかも知れませんが、あいば野演習場があります。近畿では珍しい米軍との共同訓練場です。そこに、「都市型訓練施設が」建設されました。それは、さらに予算をかけて増設されていますが、私はこれを直接見る機会を与えられました。
 こちらは、実弾演習ではありません。ハイテク設備による模擬訓練です。
 しかし、私の郷土の問題と沖縄の問題の結びつきを知った時に、このメッセージを書きたいと思ったのです。

●異常は異常としてどこまでも

 私は異常なものはいつまでも異常なものとして感じるべきだと思うし、正常なものに変えさせてはならないと思います。そのためには、抗議しつづけることが不可欠です。それをやめたとき、心のなかに、なにかが変容してしまうのだと思います。
 この点で、平良夏芽さんのメッセージには強く打たれました。

なにかまとまらないことを書いています。
沖縄以外の土地からの共感の声として読んでいただければうれしいです。

コメント

_ ばるタン ― 2007年06月04日 01時44分42秒

BIN★様

メッセージありがとうございました。

そちらにも「都市型訓練施設」があるのですね。
金武町では、コンクリートのビルを建てて、中にゲリラやテロリストが潜んでいるのを想定して訓練をしているようです。
でも、ビルだけでしたら、予算が10億円というのも変ですよね・・・。
何かほかにも設備があるのでしょう。

沖縄では、異常な状態が続きすぎて、心に蓋をしないとやっていけないということも現実だと思います。
毎回反応していたら、疲れちゃう。
だから、とりあえず歌ったり踊ったりしてしまう・・・^^;

以前と比べると抗議する力が弱くなっているのかもしれませんが、沖縄の人たちは62年間ほんとうに頑張ってきました。
頑張って頑張って頑張って、何も変わらないじゃないか、と言う人もいます。
私は、抗議し続けたから今の状態なのであって、抗議しなかったら沖縄は全部米軍基地になっていただろうと思っています。
沖縄県民は、みんな難民になっていたことでしょう。

ただ、これからは沖縄だけの力では足りないです。
沖縄の味方になってくださる人を一人でも増やしたいのです。
そんな意味もあり、同時に、少しでもボケ防止になるかな、とブログを続けています。

私もまとまりませんが、どうぞこれからもよろしくお願いします。

ばるタン

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)