お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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Oxalis articulata2009/04/10

Oxalis articulata
Oxalis articulata
要するに
イモカタバミ

コンクリートの壁に
寄り添うように
ピンクの花をつけている。

別の名前をつけたくなる。

ムスカリ2009/04/10

ムスカリ
オオイヌノフグリやタンポポが咲いている土手。
本来野草ではないのに、ムスカリが目立つ。
形が変わっているからだ。

ブドウヒヤシンスという別名があるらしい。
こっちのほうがイメージしやすいけれど、
私には、青いベルのように見える。

球根なのかな。
家で植えてみたくなった。

仰木の里のスーパー復活2009/04/10

閉鎖された直後のフードショップ・ワコー
フードショップ・ワコーが破産して、
大津市内にあるすべてのワコーショップが
閉鎖されました。

旧市街から離れたところにできた
新興住宅では、高齢化がすすむにつれ、
歩いて通えるお店がないことは大問題。

地元の人たちが、市と交渉したり、
生協とも交渉したりして、
復活への願いをつないできました。

上の写真は、閉鎖された当時のもの。

知人から、別のお店として、復活したときいて、
立ち寄ってきました。
それが下の写真です。



駐車場も、公園もにぎわいを取り戻していました。



しかし、隣接したところにある地方銀行は、
閉鎖されるとのこと。
これも重大なな出来事です。

「大津市保健所」?2009/04/10

建物は同じなんですけれど
私は旧い大津市の住民。
昔のことをよく覚えています。

私が通っていた中学校への道筋近くに
保健所がありました。
それは、県立のものでした。

琵琶湖が埋め立てられた
70年代に、湖岸に移りました。

それが上の写真の建物。
建物は変わっていませんが、
どこかが違います。

建物のエンブレム。
中核都市に移行したからです。

移行前はこれ↓

オオキカタバミ2009/04/10

オオキカタバミ 公園にて
オオキカタバミ。
わが家の入り口に咲いている。
公園の周りのグリーンベルトにも。

とても繁殖力が強そうな気がする。

ふつうのカタバミより大きくて、
茎が細長い。
少しだけエレガント。

ムー&モー2009/04/10

ムー&モー
今日はまったり休養日。

朝から家の前の公園で
野草を眺めていました。
カメラをもって。

すると近所のご主人が
出てきて、写真談義。
コニカに勤めていたそうです。
なるほど。

「プロも富士山とサクラは撮るのが難しい」
のだそうです。
「サクラは撮らないんですか?」
いえいえ、そんなことはないんですが、
・・・小さな野草が気に入っているので。

ご主人が立ち去った後、
やっぱり、サクラ撮ろうかなと
目と鼻の先の幼稚園まで出かけていいきました。
園児さんが写ってはまずいかなと上向きに
何枚か撮っていました。

すると、また声がかかりました。

通りがかりの滋賀民報社のKさん。
お知り合いでちなみに女性。
「なんでこんな所でサクラを?」
いえいえ、まあ・・・。
「京都の疎水の両側のサクラは見事で・・・」
なるほど。
「行かないんですか?」
・・・そこまでは。

平日にカメラをもってブラブラするのは
目立ちすぎるのかも知れません。
というところで、自宅に入って、
ムーとモーをモデルに写真を撮りました。

開け放した窓から空中をよぎる
カラカラという音が聞こえてきます。
ムーは無関心、モーは不思議そうに目を向けました。


菜の花2009/04/10

菜の花
菜の花が、鮮やかな黄色の
オーラを広げている。

あ!ハチがいる。

私が近づいたので
驚いてどっかへ消えていった。
なんか悪いことをしたみたいだ。

写真に付け加えることはないけれど、
公園の一角で眺めているよりは、
広い野原で見てみたい。

朧月夜の歌が心に浮かぶ。

”私の”憲法記念日2009/04/10

ジェームズ三木『憲法はまだか』
2009年5月3日は、日本国憲法が施行されて
62回目の記念日にあたります。
いまから、もう一ヶ月ありませんね。

滋賀九条の会は、5月4日に
ジェームズ三木さんを招いて、集会を開きます。

ジェームズ三木さんは、上の写真の本。
『憲法はまだか』(角川文庫)の著者ですね。
これ読まれましたか?

九条の会の呼びかけ人は9名(以下)敬称略)。
井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)
亡くなられた方がでてきたのは残念なことですね。

この会のアピールの最後を下に引用します。
これを読むといつも思いを新たにするのです。

・・・私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。

・・・じゃあ、私はどうしましょうか。

2008年の8月の平和行事のときに、
大津市の戦跡めぐりの企画がありました。
そのときに、私はガイドの一人として招かれました。
私が「旧大津陸軍墓地」の調査をしているのを
知っておられる方がいらっしゃたからです。
そのときは、私の話が海のものとも山のものとも
わからないので、「10分間で話してください」と言われました。

さすがに、苦笑しましたけれど、
できるかぎりの努力をして短く話しました。
それが功を奏したみたいですね。

今年の5月、憲法記念日の月に、
再び「戦跡めぐり」を企画されました。
そして、今度は陸軍墓地について、
「30分で説明してください」ということになりました。

とても30分間で話せる自信はありません。
墓碑だけで600近くあるのですから。
それに、まだ調査は初期の段階。
前回と同じ内容で話すのは失礼ですね。
この企画を節目に調査を少し前進させてみたいのです。

平和憲法を守るために、ガイドは私が決めた行動。
もちろん、それが私のできるすべてではありません。

そしてあなたの。

カラスノエンドウ2009/04/10

カラスノエンドウ
緑のつるが土手の草地に広く見られます。
ところどころにチャーミングな紫の花。

これは、カラスノエンドウ。

植物学的にはヤハズエンドウというらしいですけれど。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)