お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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キツネノボタン2009/04/21

小さな黄色い花(名前は・・・?)
昨晩は、仕事場に泊まり込み。
朝、交代してもらい朝食をとりにでかけました。
そのあとは、湖岸をあるいて戻ります。

曇り空から、雨がふってきてもおかしくない状態。
折りたたみ傘があるので
きにせずに歩きました。

右膝の痛みも薄らいできました。
かがみ込むこともできるようになりました。
それで、小さな花を撮ることも、
ためらわずにできます。

この花、小さいです。
柱頭やおしべの形状など、
写真に撮ってはじめて気がつくことも
多くて、カメラの値打ちを感じます。

穏やかな一日に、
ゆっくり草原をあるいてみたい・・・
マムシが心配ですけれど。

大津市の戦跡(7) 内戦時代 : 膳所城事件の墳墓と碑2009/04/21

墓地の案内看板に隠れる「膳所烈士墳墓所」の石碑
明治維新(1868年)以降の戦争遺跡を探し、
調べることが私の当初の目的でした。
私が「戦争」ということで思い浮かべていたのは、
日清戦争以降の対外戦争でした。

しかし、明治政府が成立する過程で、
いくつかの内戦が起こっています。
その最後で最大のものが、西南戦争でした。

1860年代後半からの内戦の傷跡は
大津市に残っていないのでしょうか?

そこから始めたいと思います。

私がご紹介するのは、膳所城事件です。

時は、篤姫の時代です。
第一次長州征伐のときに、事件は起こります。
将軍家茂が上洛し、長州に向かうさいに、
膳所城に一泊することになったのです。
ところが、膳所藩内の尊皇攘夷派が
将軍暗殺を企んでいるという噂が流され、
宿泊が取りやめになるという事態となりました。
膳所藩を揺るがす不祥事となり、首謀者とみなされた
11名が投獄され、処刑されたのです。

時は移り、将軍家は倒れ、長州や薩摩を中心に
明治政府が成立します。

そこで、処刑された藩士の墓碑と名誉はどうなったのか?



まず墓碑ですが、現在でも残っています。
大津市の岡山墓地(上の写真)と安昌寺にです。

膳所城事件の犠牲者は、
後年、明治維新の功労者として、
膳所の「護国神社」に祭られることになりました。



そこの境内には記念碑が建っています。



しかし、写真のように存在を示す石柱は残っていますが、
公式には「膳所護国神社」という名の神社は存在しません。
戦争推進にかかわったものとして、戦後は名称を変更し、
現在は「丹保の宮」として幹線道路から隠れるようにして
存在しています。

膳所城事件にかかわる墳墓や護国神社とその石碑は、
幕末の第一次長州戦争の戦跡であると同時に、
日清以降の侵略戦争の戦跡ともなったのです。


P.S.幕末の混乱と内戦の息吹を伝える碑文は、
他にも、この大津市で見ることができます。
それは直接、大津市とは関係ありませんが、
次回にご紹介することにします。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)