お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
村上春樹 『風の歌を聴け』(1979) ― 2009/05/06
本をタイトルにブログを書いています。
それは、その本を紹介することが目的ではなく、
自分のために書いているのです。
その日に、自分がなにをしていたのか、
どういうことを考えて、なにを感じていたかを
残したいと思うからです。
ですから、著者や著作への根本的な誤解や
あまりに立ち入って書いてしまったという
後悔も生まれます。
たとえば、そのとき、夢中になっていても、
あとで考えると、なぜなのか信じられないと
思うような事態もおこります。
それはそれで仕方がないこと。
人は永遠に未熟であるのですから。
そう思いませんか?
私がミドルエイジになっていないなら、
村上春樹の作品は受け入れがたいと
感じたと思います。
反感すら抱いたように思うのです。
『風の歌を聴け』は、1979年の作品。
思い出せば、いまにも空から大雨が
降りそうな雲行きの年でした。
抽象的な表現で申し訳ありませんが、
1970年代の後半から、雲がたれこめ、
空気は湿気が濃くなり、希望が
薄らいできたような気がしました。
1960年代後半から70年代前半に
かけての輝きと変動の気配は、
二つの「ショック」を経てゆらぎはじめました。
変革を信じた若者の時代は去り、
落ち着きを取り戻した古い人たちが
巻き返すチャンスをつかんだとき
だったのでしょうね。
そういう気配と動きは
それと対極にあると思えるこの本から、
感じることができました。
そうか、このようにして、
われわれは生きてきたんだと
思ったのです。
だれもが、そこを無事に
くぐってこれなかったように思うのです。
そういう時代と過去をまとめて、
慈しむことのできる年代に
自分が達したんだと思ったのです。
P.S.それは、そうと「鼠」は当初から
登場していたんですね。
ふ~ん、それぞれの作品は、
有機的につながっているんだ。
なんか面白い・・・。
それは、その本を紹介することが目的ではなく、
自分のために書いているのです。
その日に、自分がなにをしていたのか、
どういうことを考えて、なにを感じていたかを
残したいと思うからです。
ですから、著者や著作への根本的な誤解や
あまりに立ち入って書いてしまったという
後悔も生まれます。
たとえば、そのとき、夢中になっていても、
あとで考えると、なぜなのか信じられないと
思うような事態もおこります。
それはそれで仕方がないこと。
人は永遠に未熟であるのですから。
そう思いませんか?
私がミドルエイジになっていないなら、
村上春樹の作品は受け入れがたいと
感じたと思います。
反感すら抱いたように思うのです。
『風の歌を聴け』は、1979年の作品。
思い出せば、いまにも空から大雨が
降りそうな雲行きの年でした。
抽象的な表現で申し訳ありませんが、
1970年代の後半から、雲がたれこめ、
空気は湿気が濃くなり、希望が
薄らいできたような気がしました。
1960年代後半から70年代前半に
かけての輝きと変動の気配は、
二つの「ショック」を経てゆらぎはじめました。
変革を信じた若者の時代は去り、
落ち着きを取り戻した古い人たちが
巻き返すチャンスをつかんだとき
だったのでしょうね。
そういう気配と動きは
それと対極にあると思えるこの本から、
感じることができました。
そうか、このようにして、
われわれは生きてきたんだと
思ったのです。
だれもが、そこを無事に
くぐってこれなかったように思うのです。
そういう時代と過去をまとめて、
慈しむことのできる年代に
自分が達したんだと思ったのです。
P.S.それは、そうと「鼠」は当初から
登場していたんですね。
ふ~ん、それぞれの作品は、
有機的につながっているんだ。
なんか面白い・・・。
今日は雨模様 ― 2009/05/06
テントウムシ ― 2009/05/06
John Coltrane Quartet : Ballads ― 2009/05/06
それは10代の頃、
フルトヴェングラー熱は
向かいに住んでいた一年先輩のFさんに
ビートルズ熱は同級生のSさんに、
マイルス・ディビス熱は同じく同級生のTさんに
よって、私に伝えられました。
現在、私がもっているCDのほとんどは、
クラシックのものですけれど、
三四十枚はジャズ・アルバム。
そののうちのいつくかは
LDプレーヤーを差し上げた
返礼としてYさんからいただいたものです。
あとで見れば、名盤ばかり。
その一枚がこれ。
ジョン・コルトレーンのバラード。
熱が上がることを心配して早退した私です。
ぼんやり部屋で聴いていると、
K君が不思議そうに立ち止まりました。
「映画音楽?」
・・・そう聞こえるのでしょうか?
ちなみに写真はCDの裏側。
コルトレーンの顔もいいですが、
アルバムの内容がわかっていいでしょ。
フルトヴェングラー熱は
向かいに住んでいた一年先輩のFさんに
ビートルズ熱は同級生のSさんに、
マイルス・ディビス熱は同じく同級生のTさんに
よって、私に伝えられました。
現在、私がもっているCDのほとんどは、
クラシックのものですけれど、
三四十枚はジャズ・アルバム。
そののうちのいつくかは
LDプレーヤーを差し上げた
返礼としてYさんからいただいたものです。
あとで見れば、名盤ばかり。
その一枚がこれ。
ジョン・コルトレーンのバラード。
熱が上がることを心配して早退した私です。
ぼんやり部屋で聴いていると、
K君が不思議そうに立ち止まりました。
「映画音楽?」
・・・そう聞こえるのでしょうか?
ちなみに写真はCDの裏側。
コルトレーンの顔もいいですが、
アルバムの内容がわかっていいでしょ。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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