お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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下古賀の白い鳥は、シラサギですね?2007/08/04

アップするとこんな鳥です。シラサギですよね。

滋賀県知事選挙、県議選挙につづく三度目の大敗北をうけ自民党県連の参議院選挙総括が注目されました2007/08/04

 参院選挙直後のTVのワイドショーを見ていたら、滋賀県が自民党大敗北を先取りした位置にあると指摘した人がいました。滋賀県からといったら大げさであり、自民党の大敗北の中心問題を見落とすことになるでしょう。
 しかし、2006年7月の県知事選挙、2007年4月のいっせい地方選挙の県会議員選挙と歴史的な敗北をこうむったあと、参院選挙対策のために、新幹線新駅「推進」から「凍結」へ屈辱的な転換をはかってまで勝利への執念を見せていただけに、選挙区の現職候補落選は強烈な打撃となったはず。そのためにどのような「総括」がされるのかを注目しました。
 その場にいられるわけではないので、新聞報道で見るしかありません。草の根保守の方々からは危機感が伝わってきますが、県連のトップの方々は、どうも、まだ茫然自失状態というのか、無感覚というのか、まともな反省と総括からは遠いようです。
 いま有権者は、自民党政治のあり方そのものの存続を許すべきかどうかと自問していると思えるのですが、そういう切羽つまった歴史的時点に立っているという自覚がないようです。

 以下は、京都新聞の記事です。

******************京都新聞の報道から********************

参院選敗北「党本部の責任」
自民滋賀県連が総括へ (京都新聞)

 自民党滋賀県連は2日、先の参院選で党公認候補が落選したことを受けて緊急役員会を大津市内で開いた。選挙結果について、閣僚の不祥事など党本部の責任を挙げる声が相次ぎ、県連は敗因や今後の対策を検討する委員会を設けて今月中旬までに総括することを決めた。ただ、県連としては敗北の責任を負わず、役員も役職の辞任をしないことを確認した。
 役員会は非公開で行われ、国会議員や県議ら約20人が出席した。関係者によると、敗因について、年金記録不備問題や閣僚の問題発言など、党本部の責任を挙げる声が多数を占めたという。
 このほか、候補者の後援会がうまく機能しなかったことや、党員や市町議員が減少し、選挙運動の担い手が少なかったことなどが挙げられた。
 今後の対策については、出席者から「無党派層の取り込みに向けて普段から取り組むべき」「総括しても選挙運動に生かさないと意味がない」などの意見が出た。また「県連としてけじめをどうつけるか考えないといけない」と役員の責任を問う声もあったという。
 役員が責任を負わない理由について、岩永峯一県連会長は役員会終了後、「どこの都道府県もそういうところはない」と説明した。また、安倍晋三首相の続投については「賛成。これから大きな改革をやってくれると思う」と話した。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)