お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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フェリーでの夜明け2007/08/13

11日の午後7時に六甲アイランドを出港したダイヤモンドフェリーは、翌12日の早朝5時30分に大分港に到着予定。夜明けを見ようと5時を過ぎる頃に、甲板に出てみました。太陽は雲の中。空はどんどん明るさをましていきます。

到着までは甲板で2007/08/13

天気は快晴。フェリーが停まるまで、車置き場に入ることができません。アナウンスが出るまで、まだ時間がありそうです。甲板に出て、近づいてくる別府や大分の海岸を眺めることにしました。

大分港がもう間近です2007/08/13

大分港が近づいてきました。空はまぶしさを増しています。今日は、一日暑くなりそうです。

車両甲板はぎっしり・・2007/08/13

大分港に到着し、車両甲板へ向かうようにアナウンスがありました。ドアが開いて、乗客はバイクや車のところへ。ぎっしり効率的に詰め込まれています。

九州上陸ですね2007/08/13

午前6時40分。巨大なフェリーの車両出口が開こうとしています。九州上陸です。カミさんの里にお世話になるのですが、今回は、はじめて妹夫婦と一緒でした。
到着した12日は、カミさんの里に直行。そこから、熊本に向かいます。夜は、温泉に宿泊の予定です。

宝泉寺温泉で一泊2007/08/13

 妹夫婦がはじめて九州の里に来るということで、カミさんの実家の父母に全面的にお世話になりました。
 午前5時半に大分港に上陸したあと、軽い朝食をとって、カミさんの里がある竹田市に向かいました。途中雨が降りましたが、やがて青空も見えて、ほっとした気分で到着。本格的に朝食をいただいて、熊本に向かいました。
 九重のガンジー牧場、日本一のつり橋などに寄って、温泉に一泊の予定です。温泉は、別府のようなメジャーではない場所を選んでもらいました。それが、宝泉寺温泉でした。かつては鉄道の駅があったらしいのですが、それも廃線。 山の中をくねくねと車は走り、どこに温泉があるのだろうと不安になりました。それだけに、気に入ったのです。
 12日の夜は、フェリーでの長旅やいろいろ見て周ったので、ぐっすりと休むことができそうでした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)