お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「陸軍伍長田中米次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F312008/10/24

「陸軍伍長田中米次郎之墓」@旧大津陸軍墓地
旧大津陸軍墓地のFブロック。
兵卒の墓碑と同じ場所に、下士官の墓碑があります。
兵卒と異なり、明確に階級名「陸軍伍長」が
つけられています。



やはり、右側面には、死亡年月日。
「明治八年十二月二十九日」と刻まれています。
ちなみに、明治8(1875)年の墓碑は、
これまで見ただけです。つまり、
○舘源左衛門(7月15日) 兵卒
○喜多圭三郎(7月22日) 兵卒
○荒木彌兵衛(8月29日) 兵卒
○生田 高基(10月20日) 伍長
○堀田 音吉(12月 7日) 兵卒
○三浦 末吉(12月16日) 兵卒
そして、この田中米次郎(12月29日)で8柱。
階級別には、兵卒が5柱、伍長が2柱となっています。

この面の文字は鮮明ですね。
同じ石なのに、左側面の文字の損傷は大きいです。



私は、いろんな時間帯で撮影するようにしています。
ですから、墓石の印象がそれぞれ違うかも知れません。
太陽がどの角度に来たときによく文字が見えるのでしょう。
あまり光が強すぎるとわからなくなるときもあって・・・。

碑文は、4行あります。
2行目に「明治四年」
3行目に「伍長」の文字が見えます。
あとは・・・。

「奥田彌一郎之墓」@旧大津陸軍墓地F302008/10/24

「奥田彌一郎之墓」@旧大津陸軍墓地
旧大津陸軍墓地のFブロック。
明治8年から10年にかけて病死した兵と
下士官の墓碑が37柱並んでいます。
明治8年に没した方の墓碑は7柱。
奥田彌一郎からは、明治9年以降に亡くなっています。



「明治九年二月四日」と読み取れます。



墓碑が木の近くで陰になる場所ですので、光があたりません。
読解は困難のようです。

雨にぬれて2008/10/24

雨にぬれて花びらが少し重たげです
昨晩から雨が続いている。
夜が明けて、明るくなるにつれて
雨脚が弱くなり、もう傘がいらない様子。

強い日差しの下でなくても、
花は輝く。



つぼみは、たくましさを感じます。



そして、満開の花。

レインドロップの花2008/10/24

レインドロップも花の一部に
ふさふさした花も雨にぬれて重たげです。
でも、このしなりは雨のせいでは
ありません。



まろやかな花にレインドロップが
よくマッチしています。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)