お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「中村節男」の墓碑に刻まれた「中村定吉之長男」の文字2007/12/01

「中村定吉之長男」の文字(中村節男の墓より)@旧大津陸軍墓地
11月24日の「旧大津陸軍墓地を見て考え語り合う会」のあと、
AブロックとMブロックの墓碑の写真を整理していた。

Mブロックは、将校の縁戚者の墓地。
そこに「中村節男之墓」がある。
その左側面に
中村定吉之長男」と
刻まれていた。
私はてっきり「中村無一」という
第九連隊長の名前があるのだと思っていた。

中村定吉とは何者なんだろうか。

信じられないことに「中村定吉」の名前が出てきた2007/12/01

●中村節男はだれの縁者か

旧大津陸軍墓地のMブロック。
そこに「中村節男」と「中村男」という
二つの墓碑が並んで建っている。

「中村節男」の墓石に左側面に
中村定吉之長男」という文字がある。
私は、刻まれているとすれば、
中村無一」という
第九連隊長の名前だと思っていた。
Mブロックには、連隊長か副連隊長クラスの
縁戚しか埋葬されていないからだ。
だが、墓碑には
「中村定吉」とはっきり刻まれている。

●地権者の墓碑??

たまたま、この地に住んでいた
だれかのものかと思い、
用地買収した元の地権者の
名前まで探してみた。
だが、「中村」という文字はない。

●アジア歴史センターで

半ばあきらめながら、こんどは
アジア歴史資料センターのサイトで検索を試みる。
「中村」で検索して、
そのあと「定吉」で絞り込むという方法。
22件も登場。
少し期待がもてた。
だが、「中村」と「定吉」がバラバラ
(長谷方定吉と中村一男とか)になっていたり、
年代がかけ離れていたり・・・。

●中村少尉

そのなかで「中村少尉結婚願の件
というのが出てきた。
明治32年とある。
開けると「中村定吉」の文字。
少尉クラスで見事に当たるとは思えなかったが、
画像を開いて驚いた。

大当たりなのだ。

●中村無一連隊長の長女の婿

結論は、中村無一連隊長の長女の婿
それが「中村定吉」だったのである。
となると、「節男」は、
無一の孫ということになる。
だが、結婚願いが明治32年。
節男の没年が明治35年である。
3歳にならない・・・夭折である。
これも悲しい墓碑なのだ。

肆第一九九三号 第四師団 中村歩兵少尉結婚願之件 御指令案 願之通 十月十九日 結婚願 長﨑県肥前国長﨑市外浦町 士族武官 中村無一長女 ハワチヨ 明治十五年十二月一日生 明治三十二年十一月十六年十一个月 定吉儀 今般熟談ノ上右ニ記載ノ者ト結婚致度依テ別紙身元証書家計保護金証書相添差出候間御許可被下度此段奉願候也 明治三十二年十月十日 陸軍歩兵少尉中村定吉 陸軍大臣子爵桂太郎 前書之趣篤ト取調候処不都合无之ニ付御許可相成度候也 第四師団長陸軍中将男爵小川又次 家計保護金証書 一金六百円也 右今般結婚奉願候ニ付御許可ノ上家計保護金トシテ可差出候也 明治三十二年十月十日 陸軍

Roger Norrington の 「エロイカ」2007/12/01

いまさらベートーヴェンの「エロイカ」
でもないと思いながらも、
ロジャー・ノリントンのCDを聴いた。
オケは、Radio-Sinfonieorchester Stuttgart。
CD 93.085

いきなり快感!
透明さとスピード感にうれしくなる。
二度も連続して聴いてしまった。
自分でも不思議。

カモメたちが待っているものは・・・。2007/12/01

瀬田川の中洲。
岸辺にカモメがならんでいます。
じっと待っている様子。
突然、まとめて飛び立ちました。
その先にあったのは、遊覧船でした。
遊覧船のデッキにあつまって行きます。
通り過ぎたら、また戻ってきました。

遊んでいるんですねぇ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)