お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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野生のつぼみ、なんの花が咲くのでしょうか?2008/04/15

野生のつぼに、どんな花が咲くでしょう?
小関越で見つけたつぼみです。
どんな花になるのでしょうねぇ。

たんぽぽコーヒー初体験2008/04/15

このお店で一休み。たんぽぽコーヒー初体験。
↑のお店で、「たんぽぽコーヒー」を飲みました。
コーヒーというよりも、濃い麦茶という感じでした。
ネットで見ると、製法まで書いてあります。
つくしは食べられるし、タンポポは飲める。
いい季節ですね。
「はなればなれコーヒー」というのもありました。
説明されたのですが、よくわかりませんでした。
こっちは、コーヒーそのものでしたね。

土手にイタドリがたくさん出ていました。2008/04/15

イタドリ
 緑が覆っていると思っていた土手でしたが、ほうぼうに赤褐色のイタドリの葉が見えます。昔はためらわず食べていましたが、環境汚染がすすんだ現在、素直に食べていいのかどうか、わかりません。
 この土手は近所の小学校のもの。
 でも、イタドリを食べている子どもたちを見かけません。

シダ・・・ゼンマイ・・・ワラビ?2008/04/15

シダ・・・ゼンマイ・・・ワラビ?
これってゼンマイ?
もしかして、ワラビ?
いやいや単なるシダかな?

この形から思いつく名前を頭に浮かべました。
考えても、どれかわかりません。

ぽかぽか陽気の人工のなぎさ公園を歩きました。 岸は岩で埋まっていますが、その間から、濃い緑や若い緑の雑草が遠慮なく葉や茎を伸ばしています。でも、それをじっと見ている人は少ないようです。
いつのまにか、ユリカモメがいなくなりました。
カモはいますね。

湖岸だからこそ生えるのかな、シダ類も2008/04/15

岩の間にはえる若いシダ@びわ湖
 護岸用の岩が湖岸に並んでいます。その間のほうぼうに緑の葉っぱが見えます。それはさっきも書きましたね。大きいけれど四角く砕いて並べてある岩はいかにも殺風景。波が打ち寄せるところから2~3メートルはこういう岩ベルトです。
 そういうむき出しのところに、なぜ、シダが?
 シダって、木が茂るジメジメした木陰に生えるんじゃなかったのかな。波が運ぶ湿気・・・そしてよく見えませんが、岩の隙間に土があるんでしょうねぇ。
 それにしても新緑がキレイでした。
 強い日差しに輝いています。

家族で「もののけ姫の森」へ@屋久島2008/04/15

家族ともののけ姫の森へ@屋久島
屋久島旅行の二日目は「もののけ姫の森」ウォーキング。
家族でゆっくりすごせる時間がうれしい。
三日目は、午前4時に起床して、縄文杉トレッキングですから、あまり体力を消耗しては大変と、私は、すこし控えめに歩くことにしました。なにせ、縄文杉ツァーは往復22kmを歩くことになりますから。

もののけ姫の森@屋久島2008/04/15

もののけ姫の森@屋久島
屋久島旅行は、3月末のことでした。
もう半月以上が経過しています。
私にとって、家族全員が、縄文杉めざして歩いた体験はかけがえのないものでした。クールな言動が目立つ高校生のH君ですが、「自転車で全島をまわってみたい」といっています。なにか心に残るものがあったんでしょうね。
 屋久島で2日目に行ったのは、「もののけ姫の森」
 森のなかにわざわざこういう看板がありました。
 記念撮影用かな。

シシ神ではなくヤクシカ@もののけ姫の森2008/04/15

シシ神さまのようなヤクシカです@屋久島
 屋久島の「もののけ姫の森」を訪れたときは、晴天の日でした。森は明るく、散策は楽しいものでしたが、神秘性は薄れていたのかも知れません。「七本杉」ちかくで、森をあるくヤクシカと出会いました。
 暗いなかを歩いて、やがて光がさす場所にさしかかりました。
 毛並みが日の光にすけてみえて、神々しい姿でした。
 アニメのなかのシシ神さまを思い出しました。

もののけ姫の森を歩く@屋久島2008/04/15

もののけ姫の森をあるく@屋久島
 屋久島といえば、縄文杉トレッキング・ツァーがメインのように思いますが、決してそうではありません。
 縄文杉への旅は、日帰りトレッキングとしては限界の長さです。そのため、ほとんど休まず歩き続けることになります。その緊張と負担は大きくて、ゆっくり風景を楽しむことはできません。ゆっくりしていたら、帰り着けないからです。
 「もののけ姫の森」の散策は、時間にして4時間コース。ですから、負担もすくなく、ゆっくり森を眺めながら、歩くことができます。
 元気な息子たちを先に歩かせても、紅いリボンが道につけられていますから、迷うことはありません。それに人も多数いますから。
 私はひとり、ゆっくりと写真を撮りながら、あるきました。
 森と対話しながら歩くには、こっちのほうがおすすめです。

年金天引き・・怒りの記念日@後期高齢者医療制度2008/04/15

 今日15日は、後期高齢者医療制度の保険料が、年金から天引きされる日です。たまたま出合った方は、「通帳を見るのが怖い」とおっしゃいました。それは、少ない年金が削られることの恐怖と不安の表現だと思いました。
 怒りのことばもありました。
 「米軍におもいやる予算があるくらいなら、なぜ自分の国民を(高齢者を)おもいやる予算がないのだ!」
 もっともな意見だと思います。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)