お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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日露戦争の個人墓碑2009/06/06

「明治三十八年三月九日 清国奉天ニ於イテ戦死」
私は、あるときから突然、
墓地を歩くようになりました。
家族は、驚くばかりです。
それも当然、本人も驚きなんですから。

身近な特定の人を探すのではありません。
戦死者の墓碑をたずねているのです。

大津市内には、軍人の墓碑が多数あります。
最も古いものは、明治五(1872)年。
さがせば、近代日本が引き起こした
あらゆる時代の墓碑が存在します。
古いものでは130年以上になります。

私がそれらの存在を目にしながら、
無関心でいたことに気づき、後ろめたさを感じました。
それで、自分の住む街のすべての
戦死者の墓碑を探し、記録しようと思ったのです。

日清戦争の個人墓碑は、とても珍しく、
見つけることは稀です。
日露戦争の墓碑は、一つの墓地にいくつか
見出すことができます。
ある墓地では、それは無縁のものとして、
つみあげられたなかに存在しています。

大津市の穴太駅ちかくの墓地は、
山にむかった細長く広がっています。
そこで2柱見つけました。

ひとつの墓碑には、写真のように、
『明治三十八年三月九日 清国奉天ニ於イテ戦死』
と刻まれています。

中村悟郎 『母は枯れ葉剤を浴びた』(新潮文庫)2009/06/06

中村悟郎 『母は枯れ葉剤を浴びた』(新潮文庫)
 中村悟郎さんの写真によるベトナム戦争告発の書。
 カバーはいわさきちひろさんの絵です。

 ベトナム戦争でのアメリカ政府の許されざる所業が胸にささる鋭さで迫ってきます。私は、文庫本になるまえに読んで(見て)、寝られなくなるほどの衝撃を受けました。
 『枯れ葉剤』による深刻な被害は、ベトちゃん・ドクちゃんだけではないのです。大地も、合衆国自身の兵士も。

 つぎの箇所だけ、引用しておきます。
 ヒロシマ・ナガサキとかかわる重要な指摘と告発です。

 戦争のさなか、ベトナムで核兵器を使う誘惑に、アメリカは何度もかられたようだ。
 ・・・秘密裏にたてられた限定核攻撃プランは、しかし踏み出せぬままに終わる。ヒロシマ・ナガサキを知る国際世論、ベトナム侵略そのものに反対する世論がすでに生まれていたからであった。
 ベトナムで核が使えぬならどうするか。そこでスポットライトを浴びたのが化学兵器だった。大きな破壊力、安価、容易に「生物学的絶滅」が可能なこと、そして、”人畜無害な人道的兵器”の宣伝が可能だった。報復の恐れもなく、どこから見ても”核兵器よりすぐれている”のであった。
 核にとってかわった化学物質。それを長期にわたって投与した場合、人間にはいったい何が起こるのか---まさに新しい生体実験の輿望をになって、ダイオキシンはベトナムのヒトの頭上にふりそそぐ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)