お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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陸軍兵卒・山中鹿蔵の死亡と埋葬についての記録2010/12/07

陸軍兵卒・山中鹿蔵の死亡と埋葬についての記録
 山川招魂社に、西南戦争で亡くなった歩兵第九聯隊将兵の墓碑が16柱あるのを、ネットで見つけました。その際、同じ人物の墓碑と思われるものが2柱でてきました。それが「滋賀縣近江国甲賀郡三大寺村平民」山中鹿蔵の墓碑でした。
 2柱あることが不思議でしたから、名前が記憶に残っていたのでしょう。アジ歴の資料のなかから、偶然、この人物の死亡と埋葬についての記事を見つけました。
 これを読むと、いったん別な場所に仮埋葬して、あとで移葬したことがわかります。それが2柱ある理由でしょうか。しかし、同じ人物の墓碑を一つ別の墓碑をはさんで並べるのは異常です。
 内容から、いざ凱旋というときに、コレラで亡くなったことがわかります。なるほど、気がつきませんでしたが、死亡年月日は、西南戦争の終結後です。
陸軍省
内容 工兵第六方面ヘ御達案 後備第五大隊故兵卒山中鹿蔵一昨十年西南之役凱旋之際筑前刻山家駅ニ於テ虎列剌病ニ罹リ死込之末同所字本谷ヘ仮埋葬相成居候ニ付於其方面筑後国久留米茶臼山陸軍埋葬地ヘ改葬可取計此旨相達候事 但改葬入費ハ旧軍団会計部ヨリ可請取事
もうひとつ記事がありました。ほぼ同じ。
陸軍省
軍会事第四百六十七号 筑前国山家駅ヨリ久留米茶臼山埋葬地御改葬之儀ニ付伺 後備第五大隊第四中隊 故兵卒山中鹿蔵 一昨十年西南之役平定凱旋之際福岡県下筑前国山家駅ニ而虎列剌病ニ罹リ死亡之末同地山家村字本谷御仮埋葬相成居候由有ハ戦死同様取計可申儀ト被存候願@@最寄久留米字茶臼山埋葬地御改葬致度然ル処僅一名之儀ニ付工兵第六方面御依託レ改葬相成度候旁々便利ト被存候間有改葬方之儀同方面御達ニ相成度然シテ改葬入費之儀ハ非常金之内ヨリ御支払相成候様致度此段相伺候也 明治十二年二月十七日 旧軍団会計部副長監督川崎祐名 旧軍団事務所御中
 私がほんとうに探していたのは、名古屋鎮台「朽木六蔵」少尉についての記事でした。あとでわかったことですが、山中鹿蔵は、この名前だけで記事が出てきます。朽木六蔵の場合は、出てきません。記録がない・・・ということなのでしょうか。

コメント

_ (未記入) ― 2010年12月09日 17時35分11秒

こんにちは。
靖国神社忠魂史・西南の役編に朽木少尉の名前が見られます。
記載事項は下記の通りです。

朽木雄六 少尉 第4旅団 歩兵第四連隊一大隊第四中隊 滋賀 明治10、6、24
鹿児島郡吉野村

推測ですが…
埋葬場所は現在の鹿児島市祇園之洲公園。以前は官軍墓地がだったのですが、現在では 慰霊碑になっています。

_ BIN★→(未記入)さん ― 2010年12月10日 00時13分37秒

いらっしゃいませ。
歓迎します。

「靖国神社忠魂史」って本があるんですか。
知りませんでした。

朽木少尉のデータを教えていただいて
ありがとうございます。
名古屋鎮台ということで、歩兵第六聯隊を
検索していたのです。
ないはずですね。

墓碑の場所まで教えていただきました。
官軍墓地だったということは、もう昔の個人墓碑は
ないということでしょうか。
・・・もしそうなら、残念なことです。

また教えていただけたら、助かります。

_ きへいたい ― 2010年12月11日 02時04分34秒

こんばんは。
昨日の名無しは自分です。
南部由松さんは、熊本県玉名郡玉東町木葉の高月官軍墓地に埋葬されています。
3月15日横平山で戦死しています。

墓地は去年に補修、復元作業が施され、来年度は一部整備の調査がはいるようです。
時間がある時に大津、高島の不明分を調べてみます。

木葉の駅から徒歩2分ぐらいで、看板もあるので機会があったら
訪ねてみたらいいと思います。最大規模の官軍墓地です。

_ やつしろ ― 2010年12月12日 00時43分09秒

「南部由松」さん、ちゃんと埋葬されていたんですね。感激です。

となると、私が「清水(しょうず)の櫻墓地」で見付けた「南部由○」という墓碑は、やはり日清戦役の戦没者「南部由造」さんのものだったのでしょうね。

お二人は、どういう関係か分かりませんが、恐らく同家族だったのだと思います。
(そのお家?は、今でも名前に「由」の字を使っておられます。)

(だから海津村の忠魂碑はあの場所にあるのかな?・・お家の近くです。)

_ やつしろ ― 2010年12月12日 02時05分30秒

訂正・・・忠魂碑の近くではなかったです。

_ BIN★→きへいたいさん ― 2010年12月12日 23時10分21秒

貴重な情報をありがとうございます。
高月官軍墓地はぜひ行ってみたいです。
時間があるときでけっこうですので、
調べていただければうれしいです。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年12月12日 23時11分57秒

南部由○さんの○の字が判読しにくい状態にあるということですね。推測どおりだと私は思うのですが。

_ やつしろ ― 2010年12月13日 14時27分08秒

南部さんのこと、気になりましたので、お近くの寺(たくさんあります)に訊いてみました。
海津村は、大字海津・西浜だけの小さな村ですが、往古から江戸時代にかけて、関西・北陸を湖上交通で結ぶ重要な港町として大層栄え、立派な寺院もひしめいていますので、何処の御門徒かを特定するのは難しいのです。
なかなか情報が得られず、肝心のお手次ぎ寺の住職は入院中でしたので、思い切ってお宅に電話をしました。

結論は、「墓地にある名前が読めない墓石は、『由造』さんのものであること。」
    「『由松』さんのは、戦没者の所ではなく、一般の所にある。
      この地で、91歳まで長生きされた。」
    「由松さんは、由造さんの父親である。」  でした。

  私は、熊本の情報も、御家族がおっしゃったことも、正しいと思います。

_ BIN★→やつしろさん ― 2010年12月14日 11時19分59秒

聞き取りまでしていただいたんですね。
すごいことです。
だれも、マネができないことです!

_ やつしろ ― 2010年12月22日 21時35分36秒

この推測は当たっていなくて、どうも、西南戦争の戦死者「南部由松」さんの碑だと確信するようになりました。
「南部由造」さんの軍人墓はちゃんと別にありましたから・・・
となると、旧高島郡西南戦争戦没者14名の中で、初めてのお墓です。

 最終的な確認の方法としては、お寺にある「過去帳」が拠り所となるのですが・・・

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)