お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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盧溝橋事件(1937年7月7日)の日です2007/07/07

本日7月7日は、七夕の日でもありますけれど、
日中戦争の発端となった盧溝橋事件があった日でもあります。
しかし、この日がそういう日であることは、
あまり話題になっているとはいえません。

「従軍慰安婦」問題でも、この事件についても、
歴史jの塗り替えとも思える動きがあり、
Wikipedia でも、対応が難しそうです。

日本の戦後政治の特別なあり方に深くかかわっていますし、
現在の憲法改悪の動きとも密接に結びついているからです。

シンプリー・バロック :トン・コープマン&ヨーヨー・マ2007/07/07

ヨーヨー・マさんの話題に、熱中しています。
あらためて魅力を感じたんです。
それで、棚からCDを探して並べてみました。

ピアソラの次に聴いたのは、これです。
シンプリ・バロック(Ⅰ)

曲目を見たとき、う~ん、なんでバロックでなのかと思いました。
それで、解説を読んで、これもヨーヨー・マさんらしい挑戦で
あることがよくわかりました。
ストラディバリウスのチェロの改造までしたんですね。
そういう改造がありえることも知りませんでした。
金属のガットではないことも注目だし、平均率っぽくない音階を
採用していることも、バロック時代のチェロ奏法を学ぶことも、
そして、なにより、トン・コープマンとの共演。

トン・コープマンとの共同作業が実りあるものであることは、
このⅡがでたことでよくわかります。

トン・コープマンがボッケリーニのカデンツを作曲し、
しかもそれが演奏不可能の難曲の仕上がり。
なのに、ヨーヨー・マがひきこなすことに驚いたというあたりは
面白かったです。

チェロの音色は、太陽に輝く秋のススキ色です。
ちょうどそういう写真があります。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/28/1612279

演奏曲目

1. カンタータ第167番「人びとよ,神の愛をたたえよ」BWV167~「讃えよ,誉めよ」
2. マタイ受難曲BWV244~「神よ憐れみたまえ」
3. カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」BWV147~「主よ,人の望みの喜びよ」
4. カンタータ第22番「イエスは十二使徒をひき寄せ」BWV22~「汝の慈愛によりてわれらを死なしめたまえ」
5. オルガン小曲集~「主イエス・キリストよ,われ汝に呼ばわる」BWV639
6. シュープラー・コラール集~「イエスよ,いまぞ汝御空より降り来たりて」BWV650
7. カンタータ・第163番「各々に各々のものを」BWV163~「私の心を,イエスよ」
8. カンタータ第136番「神よ,われを調べ,わが心を知りたまえ」BWV136~「汝の血は,けだかき命の糧」
9. 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068~G線上のアリア●ボッケリーニ:
10. チェロ協奏曲ト長調G.480
11. チェロ協奏曲ニ長調G.478

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)