お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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歩兵第九聯隊 の歴代聯隊長と旧大津陸軍墓地2007/11/05

歩兵第九聯隊 の歴代聯隊長は、以下のとおりです。

大津陸軍墓地に眠るのは、第5代目の井戸順行、第九代目の草場彦輔。 (前回にアップしたときは、旧大津陸軍墓地に葬られているのは、草場少将ただひとりと私が誤解していました)

1 竹下弥三郎
2 津田正芳
3 山口素臣
4 高島信茂
5 井戸順行 ←この人の墓碑が大津陸軍墓地にある
6 高橋維則
7 内藤正明
8 田村怡与造
9 草場彦輔←この人の墓碑が大津陸軍墓地にある
10 中村無一←孫の墓碑が大津陸軍にある
11 岩田正吉
12 遠藤伸二郎
13 中村無一
14 斎藤力三郎
15 木村捨馬
16 今屋友次郎←この人の子どもの墓碑がある
17 市川堅太郎
18 船橋芳蔵
19 木原仙八
20 斎藤徳匡
21 瀬戸口弥太郎
22 名越時中
23 中村半之助
24 舞 伝男
25 兼久幸一
26 片桐護郎
27 古閑 健
28 河越重定
29 上島良雄(戦死)
30 武智 漸(戦死)
31 神保保孝(戦死)

「大洞火薬庫」についての資料:支へ彦根火薬庫上兵砲面へ引渡伺(陸軍省明治10年12月11日)2007/11/05

「大洞火薬庫」は、旧彦根藩の火薬庫だと思います。「大洞埋葬地」も同じ敷地にあったと思われるのは、住所が同じだからです。とりあえず、火薬庫について書かれている文書を見つけました。

砲五百九十九号 彦根旧火薬庫地所兵工兵方面へ引渡ノ件伺 当廠所轄滋賀県下犬上郡第二区松原村字大洞火薬庫ノ義ハ旧彦根藩ニ於テ古ク建設セシモノニ有之是迄在来ノ@火薬格納致置処元来経年致シ久@腐傾ノ敗庫ニシテ微風少雨ト雖モ破損ニ至リ都度修理ノ手数ヲ煩シ来候義然ルニ右火薬モ追々払渡等相成当今既ニ空庫ト相成候就テハ斤々破壊モ其敷迚モ此末火薬格納応用ノ倉庫ニ無之ト存候ニ付地所建家共悉皆工兵第四方面本署へ引渡候様致度別紙図面相添此段相伺候也 十年十二月十一日 砲兵支廠提理御用取計兼勤 陸軍中佐関廸教代理 陸軍大

ねこじゃらしのレッドバージョン?2007/11/05

赤い色つきのねこじゃらしに遭遇。
本家よりも、ふさふさ感がある。
ネコよりも、牛が好みそうな気がする。

パンチパーマの土偶がいっぱい?2007/11/05

妄想をめぐらしてみるのだが、これはなに?
小さな実?花?
あえて似ているといえば、土偶なのか?
植物に無知なおかげて、楽しみがいっぱい。

派手な色がついているトリに出会いました2007/11/05

これは、すずめでもなく、シジュウカラでもないのではないかと思います。

年代別墓碑数(下段)@旧大津陸軍墓地2007/11/05

バイパス工事のために移設を余儀なくされた下段の年代別墓碑数(1976年に大津市が作成した資料に基づく by BIN★)

年代 東側 西側 合計
明治5
明治6
明治7
明治8
明治9
明治10
明治11 15 19
明治12 12 15 27
明治13 13
明治14
明治15 11 19
明治16 12
明治17 11
明治18
明治19 15
明治20
明治21
明治22
明治23
明治24
明治25
明治26
明治27
明治28
明治29
明治30
明治31
明治32
明治33
明治34
明治35
明治36
明治37
明治38
明治39
明治40
明治41
明治42
明治43
明治44
明治45・大正元年
大正2
大正3
大正4
大正5
大正6
大正7
大正8
大正9
大正10
大正11
大正12
大正13
不明
合計 102 135 237

清国大弧山兵站病院で病没した「陸軍歩兵一等卒竹村安次郎之墓」@旧大津陸軍墓地2007/11/05

「陸軍歩兵一等卒竹村安次郎之墓」
 この方については、「大津市志」下巻に死亡の経過が書かれた文書があることを、以前にも書きました。そのときは、死亡年月日に注目していたときでした。207名ある日清戦争期の兵の犠牲者が、旧大津陸軍墓地に葬られていますが、経過がわかる方は、稀なのです。これからも、記録を探してみることにしたいと思っています。

●死亡の経過(再度アップ)

大津市石川町六十八番屋敷
 陸軍歩兵一等卒 竹村安治郎
明治二年二月四日生
 明治二十二年徴兵出身予備役として歩兵第九連隊に属し、二十七八戦役従軍。赤痢病に罹り明治二十八年九月一日清国大弧山兵站病院に於て死亡。同年十一月十八日従軍記章授与せられ、同二十九年五月靖国神社に合祀せらる。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)