お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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井戸順行歩兵少佐(この方の墓碑は旧大津陸軍墓地最大)に謹慎10日の処分という資料2007/11/26

「十四年決裁録 陸軍 二 明治十四年決裁録」というものがある。

 目次を読むと、「 第三二 陸軍武官ニテ太政官書記官兼任ノ者取扱方 第三三 暴風ノ為破損ノ箇所修繕費別途御下渡 第三四 仙台鎮台歩兵営焼失 第三五 歩兵卒長谷川榮太郎犯罪処分済 第三六 徴治隊編制 第三七 憲兵下士卒選挙概則 第三八 陸軍武官結婚条例 第三九 達甲第十一号教導団条例第十二号下士文官志願手続等附録第十三号結婚条例 第四〇 歩兵少佐井戸順行犯罪処分 第四一 陸軍武官進級条例改正 第四二 旧征討軍団事務所来ル六月三十日限閉鎖 第四三 教導団条例第一章第五条及第十四条達 第四四 士官学校及教導団曹長軍曹士官適任証書証附与 第四五 後備軍体員商売営業差許 第四六 砲兵少佐竹橋尚文外一名犯罪処分」などと並んでいる。

 第四〇に「井戸順行」という名前が見える。
 第5代の第四師団第九連隊長。
旧大津陸軍墓地に墓碑があり、それは、この墓地で最大である。

その判決文が見つかった。

それが上の写真である。

井戸順行が、歩兵少佐として、東京鎮台第一連隊第一大隊長の任務についていたときの処分である。

A04017249600
101から105ページにある。

碑文が背面に刻まれている井戸順行中佐の墓碑@旧大津陸軍墓地2007/11/26

旧大津陸軍墓地最大の墓碑:井戸順行中佐の墓碑の背面
大津第九連隊長であった井戸順行中佐。
碑文が墓碑の背面全体に刻まれています。
残念ながら、背面は山手です。
常に日が当たらず、いつ出かけても、影になっています。
そのため、全文を読み取ることができませんでした。
資料も出てきましたから、次回の「つどい」(春)に向けて、
碑文を全部読み取ってみたいと思います。
石は上質で、碑文も明確。

●幼名について

 父は、藤井清三郎。本人は、小太郎。

陸軍大尉井戸順行 明13日礼服着用出頭の 式部寮より達(明治5年4月12日)2007/11/26

●井戸順行(第5代第九連隊長)についての資料

 四月十二日 土曜日 第三百十三号 陸軍大尉井戸順行 御用之義候間明十三日第十字礼服着用出頭候様御達有之度此段申入候也 申四月十三日 式部寮 陸軍省

検索のコツをつかんだようで、いくつかの資料にヒットするようになった。

 旧大津陸軍墓地にある碑文には、「明治四年任陸軍大尉」との文言も見える。
「大日記 壬申4月 太政官の部 戊」にある記述。

C04025010800

赤坂離宮下乗規則皇族及1等官或は非役華族御門内外外相仰出の件(明治5年4月)2007/11/26

●井戸順行が大尉から少佐に昇進

陸軍大尉井戸順行 任陸軍少佐 右 宣下相成候条此旨相達候也 壬申四月十三日 式部寮 陸軍省御中 第三百二十号 別紙之通候条及御達候也 壬申四月十三日 史官 諸省宛 太第百二十二号 赤坂離宮下乗規則 皇族 右中御門内 一等官及玄射香間詰 右中御門外

「大日記 壬申4月 太政官の部 戊」

C04025011500

陸軍少佐能美成章外9名叙従7位の件(明治5年6月17日)2007/11/26

●井戸順行の叙勲

六月十七日 月曜日 第四百二十九号 陸軍少佐能美成章 同中村尚武 同秀嶋転 同国司順正 同厚東武直 同長谷川好道 同岡本盛胤 同茨木惟昭 同井戸順行 同高嶋茂徳 叙正七位 右宣下候

C04025029400

近衛局より照準御門鑑三葉御引換伺(明治7年)2007/11/26

陸軍少佐井戸順行 陸軍卿殿 第四千百五十八号白第五千三百二十五号 一照準御門鑑一葉右者兼而御渡付相成候処破却ニ及ヒ照準ニ難相成候ニ付御引替相成度尤右鑑取扱粗暴之者は於其隊処分可致候此段相伺候也 都督代理 十二月十五日 西少佐 陸軍卿殿 追而御門鑑也 別控差添進簡候也 伺之通 引換下渡候事 十二月二十日

明治7年 「大日記 諸局 12月水 伺届弁諸達書 陸軍第一局」

C04025570800

非職井戸少佐より府下滞在願(明治7年12月)2007/11/26

●井戸順行少佐からの願書

第四千二百四十九号黒第五千六百六十二号 順行儀十一月二十八日 東京鎮台付被差免当地滞在致度候間此段奉願候也 七年十二月十四日 非職陸軍少佐井戸順行 陸軍卿山縣有朋殿

明治7年 「大日記 諸局 12月水 伺届弁諸達書 陸軍第一局」

C04025580700

乃木井戸両少佐処分申渡の申進(明治9年12月1日)2007/11/26

裁五百五十二号 陸軍少将乃木希典外一名処分申渡之儀ニ付申進 小倉営所歩兵第十四聯隊長 陸軍少将乃木希典 青森営所歩兵第五聯隊 第一大隊長 陸軍少将井戸順行 右待罪書之趣判断伺済ニ付当所於而処分可申渡之儀肩書之所ヘ在勤之者ニ付其所管ニ於而可相達候様御達相成度依而罰文並謹慎心得書申添此段申進候也裁判長黒川通軌代理 明治九年十二月一日裁判評事池内重華 陸軍卿山県有朋殿

「大日記 学校教導団裁判所 12月金 陸軍省第1局」

C04026676100

 ちなみに乃木希典は後に旅順攻撃で有名な大将である。

正院へ井戸少佐犯罪処分伺( 明治9年11月14日 )2007/11/26

土千七百四十九号 井戸少佐犯罪処分之儀ニ付 陸軍少佐井戸順行犯罪処分之儀別紙疑律案並待罪書相添此段相伺候也 九年十一月十四日 陸軍卿山縣有朋 太政大臣三條實美殿 伺之通 明治九年十一月二十日

「大日記 送達の部 11月土 陸軍省第1局」

C04026834700

青森営所厩造作の義伺(明治10年12月)2007/11/26

伍第四号 一第八百六十四号 仙第六号 青森営工兵官々舎内厩造作之義ニ付伺 今般青森営業所将校官舎新築落成相成度長官々舎ニ厩差之支ル付現実建造此旨陸軍少佐井戸順行別紙達指揮相成此段相伺候也 明治十一年十二月二十一日陸軍中佐堀尾 陸軍卿山縣有朋殿追而厩建築方等去ル十月十四日付ニ御相伺費コトモ相成度迄ノ本文自費ヲ此段新居度都合ヲ此段御添候也 伺之趣当分内聞届事 十一年十月十二今叔御新築之上長官々舎之内順行居住之官舎江自費ヲ以テ厩制作致度之儀ニ付願 今般殊典ヲ以テ青森営所将校官舎御新築落成之上既ニ官舎御引

明治11年 「大日記6鎮台 1月木乾 陸軍省第1局」

C04027982500

●東京鎮台から仙台鎮台へ

 井戸順行の経歴を碑文で追うと、明治5年に、東京鎮台第十五番大隊長。そして中佐。明治9年に、仙台鎮台第五連隊第一大隊長兼青森営所司令官に任じられている。上の文章は、青森営所司令官としてのものであろう。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)