お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
イオンの住民説明会 ― 2008/04/07
「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」事務局から4月2日に『対策会議のご案内』が届きました。そのなかで、イオンの住民説明会の模様がレポートされていたので、伝えることにします。
これらを受けて行われる4月15日の対策会議には、私も出席するつもりです。問い合わせ先=「イオン出店反対とまちづくりを考える会」(電話077-525-7360、FAX077-524-1519、〒520-0041大津市浜町9-28)。もしくは、私にメールください。
*はじめての方に
2007年11月30日から、「これ以上の大型店の郊外出店は既存の市街地を一層衰退させる」として新まちづくり3法が施行され、「郊外へ1万㎡を越える大型店の出店は禁止」になりました。ところが琵琶湖の南では、守山わんわん王国跡地に「琵琶湖・守山リゾートSC」が、大津瀬田ヤンマー跡地に「フォレオ大津一里山店」が、草津市新浜に「イオンモール草津店」が駆け込み出店をしています。
ちなみに、問題となっているイオンモール草津店は西日本最大規模で、敷地面積=167,000㎡、売場面積=60,000㎡。駐車場は、4,330台。
(3月)29日、30日、31日とイオンの大店立地法にもとづく住民説明会が行われました。29日の(草津市)新浜会館は分かりませんが、30日の草津市民交流プラザは30人ぐらいで、(イオンモール開店による)深夜営業の青少年への影響や交通渋滞問題が質問として出ました。(草津市の石坂・前市議が参加)
31日の(大津市)瀬田北公民館は会場一杯で50人以上の方が参加され、殿田自治会の人を中心に一杯質問や意見がでて、終了8時30分が9時30分になるほど白熱?した説明会になりました。おもに交通渋滞問題が中心でした。
イオンは、「法的説明会はこれで終わるが、単なる説明会ならいく」と回答していましたし、「開店後の交通量調査にフォレオ(大津一里山店=新たに開業する大型店舗)は入れていない」、「1号線への渋滞は知っている。誘導を広報するが効果はわからない」などと回答していました。
これらを受けて行われる4月15日の対策会議には、私も出席するつもりです。問い合わせ先=「イオン出店反対とまちづくりを考える会」(電話077-525-7360、FAX077-524-1519、〒520-0041大津市浜町9-28)。もしくは、私にメールください。
*はじめての方に
2007年11月30日から、「これ以上の大型店の郊外出店は既存の市街地を一層衰退させる」として新まちづくり3法が施行され、「郊外へ1万㎡を越える大型店の出店は禁止」になりました。ところが琵琶湖の南では、守山わんわん王国跡地に「琵琶湖・守山リゾートSC」が、大津瀬田ヤンマー跡地に「フォレオ大津一里山店」が、草津市新浜に「イオンモール草津店」が駆け込み出店をしています。
ちなみに、問題となっているイオンモール草津店は西日本最大規模で、敷地面積=167,000㎡、売場面積=60,000㎡。駐車場は、4,330台。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2008/04/07/3008644/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。