お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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花壇の花ではありません。→ムラサキツユクサ2008/05/23

花壇の花ではありません。
大きく写すとりっぱな花に見えますね。
花壇で大切に育てられている
花のように思えます。
しかし、実際には、花壇ではありません。
咲いているのは、ここ↓です。



駐車場の角なのです。
たまたま、いつもそこに止めている車が
いなかったので、咲いているのがわかったのです。

石垣を飾って咲いていました2008/05/23

石垣にそって咲いていました
いつも通る道なのに、あ、こんな花あったっけと
気がつくのがこの季節かも知れません。
目でたどると石垣のまわりにずっと咲いていました。



私の「花鳥園」2008/05/23

私の「花鳥園」
入場するだけで、ひとり1500円もかかる
有料の「花鳥園」を、先日見てきました。
上の写真ではなく、下の写真です。
たしかに、珍しい花やたくさんの
かわいいフクロウと出会うことができました。



でも、私は、そういう観賞用の花園ではなく、
生活感がある下町の花壇を歩くのが好きです。
もちろん、入場料はタダ。
一番上の写真のような
どこまでも続くような狭い路地を歩きながら、
花をかわいがっている人と、気軽に声をかわして、
撮らせてもらっています。
これが、私の「花鳥園」ですね。

講演 : 近江絹糸「人権」争議とはなんだったのか2008/05/23

第3回平和・人権を考えるつどい@大津市
 近江絹糸争議(1954年)は、戦後まもない時期の大事件のひとつです。しかし、それと知ったのは、ずいぶん後のことです。こういう事件は、公教育のなかで知らされることが少ないからだと思います。
 人権闘争と呼ばれているのは、労働条件の劣悪さだけではなく、手紙の開封がまかりとおったり、外出が不当に禁止されたり、宗教を強制されるなど封建的な人権侵害とたたかって勝利したからだと聞いています。
 ここで講演される白石道夫さんをはじめ、近江絹糸「人権」闘争を当事者として、たたかいぬいた人たちが、私のまわりに多数存在しています。
 しかし、まとまって話をきく機会はありませんでした。それがこういう形で実現することになりました。
 いま小林多喜二の『蟹工船』が異例のブームです。
永いときを隔てて、人の生き方が重なりあり、響きあう姿を見るとき、歴史の試練に耐えることの意味を考えることになります。
 近江絹糸争議は、日雇い派遣など人としての尊厳を奪われるような働かせ方を強要されている人たちに、受け継がれるべき事件として、蘇ってくるように思うのです。
 この講演は、明日24日です。
 詳しくは上の写真のチラシを見てください(クリックで拡大)

アザミ2008/05/23

アザミ
「アザミ」という言葉から受ける印象は、よいものでは
ありませんでした。棘草という別名もあるらしいので、
そういうことからもきているのでしょう。




上の写真は、不思議な形をしています。
こんな形を見たら、とてもアザミだとは思えません。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)