
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
杉浦日向子『二つ枕』 ― 2008/05/30
杉浦日向子『二つ枕』は、浮世絵がそのままマンガになっている・・・のである。最初は違和感があるが、名調子(江戸言葉)に乗せてすすむ吉原話に引き込まれて、タイムスリップしてしまう・・・そんな作品である。
生きた浮世絵?生きている吉原?
生きた浮世絵?生きている吉原?
「伝統社会」というキーワード ― 2008/05/30
杉浦日向子の作品(『百日紅』・『二つ枕』・『どんでもねえ野郎』など)を楽しみながら、いつのまにか江戸人への愛情を共有することになります。しかし、現実には、江戸人はもはや存在しません。どうして、江戸人はいなくなっていったのかと思う先に、別の系列の作品が登場します。それは、明治初期を描いた作品(『東のエデン』)。これらのなかには、作者の惜別の思いを感じるのです。
杉浦作品のひとつひとつを読み終わるとき、井上勝生『幕末・維新』(岩波新書 シリーズ日本近現代史①)を読んだときの意外な気持ちを思い出すのです。
それは、内村鑑三が『代表的日本人』のなかで、「わが国民の持つ多くに美点」といっていることと重なる気もします。
私は、気ままに本を読んでいるのですが、気がつけば、似たようなラインの本を追い続けてきたような気もします。
杉浦作品のひとつひとつを読み終わるとき、井上勝生『幕末・維新』(岩波新書 シリーズ日本近現代史①)を読んだときの意外な気持ちを思い出すのです。
1980年代頃から、日本でも江戸時代後期の見方が新しく変わってきた。かつて日本は、欧米の文明に対して、半未開と位置づけられ、日本の側でも、維新政府以後は、そうした評価をすすんで受け容れてきたのであったが、それから、ようやく解き放たれたのである。ここで「伝統社会」という言葉でいわれているものの一端を、杉浦日向子の作品のなかで見たように思うのです。
とくに民衆史の研究で、伝統社会が新しく解明されている。・・・江戸期の民衆の訴訟を願いでる活動は、私たちの想像よりはるかに活発だった。・・・江戸時代、幕府や藩の支配には、成熟した柔軟な仕組みがあった。
欧米列強の圧力があったのは事実だが、それに対抗してではなく、逆にそれを追い風として、明治政府の外交政策が東アジアの隣国に対する侵略へと向かう道筋、そして、日本民衆が伝統社会に依拠して、新政府に対して激しい戦いを展開した事実を中心として、江華島事件の新史料などの近年の成果を紹介しつつ、維新史をあらたに描きなおしたいと思う。
それは、内村鑑三が『代表的日本人』のなかで、「わが国民の持つ多くに美点」といっていることと重なる気もします。
青年期に抱いていた、わが国に対する愛着はまったくさめているものの、わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできません。日本が、今もなお「わが祈り、わが望み、わが力を惜しみなく」注ぐ、唯一の国土であることには変わりありません。わが国民の持つ長所‐‐私どもにありがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のもの‐‐を外の世界に知らせる一助となることが、おそらく外国語による私の最後の書物となる本書の目的であります。
私は、気ままに本を読んでいるのですが、気がつけば、似たようなラインの本を追い続けてきたような気もします。
土鈴人形 ― 2008/05/30
ドール@旧トーマス住宅 ― 2008/05/30
暖炉の美学@風見鶏の館 ― 2008/05/30
(カメラが故障なので、これまで撮った写真を見ながら、記事を書いています)さて、「暖炉の美学」って、すこし大げさなタイトルですね。「風見鶏の館」では地味で実用的だった暖炉が、「萌黄の館」では、それぞれが部屋にあわせて、装飾されているってことが面白かったってことなのです。
上の写真は、「風見鶏の館」のもの。黒一色で重厚です。
どの部屋でもこのようでした。
管理されている方に、「暖炉だけでは寒くなかったでしょうか。天井も高いし、吹き抜けですから」と聞いてみました。その方は、「ええ、この暖炉だけでは、寒かったでしょうね。でも、吹き抜けですから、暖かい空気は上にあがるでしょ。二階は暖かいはずですから、二階におられたのではないでしょうか。」と笑顔でおっしゃいました。
人の姿が目に前に浮かぶような説明に納得しました。
上の写真は、「風見鶏の館」のもの。黒一色で重厚です。
どの部屋でもこのようでした。
管理されている方に、「暖炉だけでは寒くなかったでしょうか。天井も高いし、吹き抜けですから」と聞いてみました。その方は、「ええ、この暖炉だけでは、寒かったでしょうね。でも、吹き抜けですから、暖かい空気は上にあがるでしょ。二階は暖かいはずですから、二階におられたのではないでしょうか。」と笑顔でおっしゃいました。
人の姿が目に前に浮かぶような説明に納得しました。
暖炉の美学@「萌黄の館」 ― 2008/05/30
家永三郎『日本文化史』第二版(岩波新書) ― 2008/05/30
故家永三郎さんにどこかで会ったような気がしている。なぜかわからないけれど。それだけ、多く映像でお目にかかったからかも知れない。なによりも、教科書裁判の原告として。
ずいぶん前に、第一版を読んだことがある。
そのときは感じなかった違和感が今読むとある。
その理由は、あまりに見通しのよすぎる論理構成、有無を言わさぬ断定調にあるように思える。そんなに割り切っていいのかと思うのである。
ずいぶん前に、第一版を読んだことがある。
そのときは感じなかった違和感が今読むとある。
その理由は、あまりに見通しのよすぎる論理構成、有無を言わさぬ断定調にあるように思える。そんなに割り切っていいのかと思うのである。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)







最近のコメント