お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『大江健三郎全作品 1』 ― 2008/05/28
昔からもっていた本ではなくて、日曜日にまちの古本屋のワゴンのなかで見つけたのです。これは、6巻で完結。しかし、二つのワゴンにバラバラに入っていたのは、1から5まで。 6巻がありません。
値段は1冊400円。なんか呼んでいる気がして、買ってしまいました。 まず1巻を読んで、納得できたことがあります。
ひとつは、大江健三郎って人は、生来、自分のする行為について、倫理的に(ほかに的確な表現が見つかりません)確認しなければすまない人なんだってことです。それは、あっさりいうと誠実だろうし、文学者としては、自意識がとても強いということでしょうね。
『本当に文学が選ばれなければならないか?』という文章は、そのものずばりです。
こういう表現は、創作家の言葉ではなく、文学評論家のものではないかと思うのですが、この問いかけに立ち向かっているわけです。
これと似た文章を読んだことがあります。まえにも、繰り返し引用しているヴァレリー・アファナシェフ『ドッペルゲンガーの鏡像 音楽と文学の間』(論創社)の冒頭にあるものです。ここでは、疑問というよりも、直接的な賛歌になっていますが。
大江健三郎にしても、アファナシェフにしても、これらの問いかけに、肯定的な回答を下すことになりますが、ともに自らの生業に対して、本質的な突き詰め方をしないではいられないという点で共通しています。
そして、こういう性格のなかに、若い頃の文章であっても、「ああ、これは確かに大江健三郎」と納得できるものなのです。
もう一つわかったことは、大江氏の小説にある性的な表現の意味です。エイリアンの映画に登場するような粘液質の文章は、上記の本質的な問いかけと無縁ではなかったのです。私なりに「そういうことか」と納得できたのです。
値段は1冊400円。なんか呼んでいる気がして、買ってしまいました。 まず1巻を読んで、納得できたことがあります。
ひとつは、大江健三郎って人は、生来、自分のする行為について、倫理的に(ほかに的確な表現が見つかりません)確認しなければすまない人なんだってことです。それは、あっさりいうと誠実だろうし、文学者としては、自意識がとても強いということでしょうね。
『本当に文学が選ばれなければならないか?』という文章は、そのものずばりです。
本当に、文学が選ばれなければならないか?もし文学が存在しなければ、この現実世界に、確実にひとつの欠落が生じる、文学とは本当にそうしたものなのか?文学のかわりに、なにか他のもので代用できるといった、この現実世界にとって本質的に必要ではないものが文学ではないのか?
こういう表現は、創作家の言葉ではなく、文学評論家のものではないかと思うのですが、この問いかけに立ち向かっているわけです。
これと似た文章を読んだことがあります。まえにも、繰り返し引用しているヴァレリー・アファナシェフ『ドッペルゲンガーの鏡像 音楽と文学の間』(論創社)の冒頭にあるものです。ここでは、疑問というよりも、直接的な賛歌になっていますが。
音楽は何かに似るものなのか。音楽は「創造」の体系の中で特別の地位を占めているのか。人間は音楽にふさわしい存在か。音楽は神の贈り物か。・・・音楽なくして愛することがあろうか。音楽無くして死ぬことがあろうか。
大江健三郎にしても、アファナシェフにしても、これらの問いかけに、肯定的な回答を下すことになりますが、ともに自らの生業に対して、本質的な突き詰め方をしないではいられないという点で共通しています。
そして、こういう性格のなかに、若い頃の文章であっても、「ああ、これは確かに大江健三郎」と納得できるものなのです。
もう一つわかったことは、大江氏の小説にある性的な表現の意味です。エイリアンの映画に登場するような粘液質の文章は、上記の本質的な問いかけと無縁ではなかったのです。私なりに「そういうことか」と納得できたのです。
シロツメクサ?アカツメクサ?(本の題名ではありません) ― 2008/05/28
強い日差しに赤い葉は似合います ― 2008/05/28
花にしては変です、この雑草(名前募集) ― 2008/05/28
うつむいていて咲くから可憐? ― 2008/05/28
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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