お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
4コマで学べる天ぷら鍋火災の怖さ@防災訓練 ― 2008/05/24
防災訓練が24日(土)にありました。
なんども自治会から案内があり、参加しました。
何年か前にも、近畿一斉防災訓練がありましたが、まさにその日に大きな災害が起きていました。この日の防災訓練も、四川大地震の直後だけに、参加者は多数になりました。
さて、以下の写真4コマで、天ぷら鍋火災の怖さがわかります。
一番上の写真は、油の発火温度の説明ですが、この後で、「論より証拠」ですので、これから試します。といって、実験がはじまりました。
①このヒシャクを見てください。水が少ししかないでしょ。50ccもないですよ。ほらほら、ぼうやわかる?
②さて、天ぷら鍋はもう発火していますね。消そうと思って、水をかけたら、どうなるか。見てみましょう。
③ほんのわずかですよ。はい、水をかけます!!
④(見学者は「おお!!」のどよめき)
なんども自治会から案内があり、参加しました。
何年か前にも、近畿一斉防災訓練がありましたが、まさにその日に大きな災害が起きていました。この日の防災訓練も、四川大地震の直後だけに、参加者は多数になりました。
さて、以下の写真4コマで、天ぷら鍋火災の怖さがわかります。
一番上の写真は、油の発火温度の説明ですが、この後で、「論より証拠」ですので、これから試します。といって、実験がはじまりました。
①このヒシャクを見てください。水が少ししかないでしょ。50ccもないですよ。ほらほら、ぼうやわかる?
②さて、天ぷら鍋はもう発火していますね。消そうと思って、水をかけたら、どうなるか。見てみましょう。
③ほんのわずかですよ。はい、水をかけます!!
④(見学者は「おお!!」のどよめき)
「AEDは、どこにありますか?」 ― 2008/05/24
防災訓練のメニューのなかに、突然倒れた人の救命のための処理がありました。
①「もしもし、大丈夫ですか!」という、よびかけに始まり、②窒息を防止するための頭の位置を変えること、③大声で救援を求めて、「あなた、119番に電話してください」、「こちらのあなたは、AEDを○○支所から、取ってきてください。」という指示をすること、④AED到着までに、人工呼吸と心臓マッサージをすること、⑤AEDの操作、⑥人工呼吸+マッサージ+AED操作などの作業を交代で行うこと、などなど。
先日のペンギンさんでの訓練が生きてきましたねぇ。(心臓マッサージのテンポを保持するために歌う歌は、「アンパンマンの歌」、「世界でただ一つの花」ともう一つは「地上の星」でした)
一連の訓練が無事終了したあと、JR駅を通りがかったとき、AEDがどこにあるのか、確かめようという気になりました。
京阪三条の駅には、改札口の外にありますね。
ではJR大津駅はどこにあるんだろう?
改札口の外に見当たりませんから、(よせばいいのに・・・)、改札口に聴きに行きました。
「AEDは、どこにありますか?」
「それは・・・そうそうキオスクの裏手、あそこにあります。」
「改札口の中ですね。外で事故が起きたら、ここから入ればいいのですか?」
場所確認だけで引き下がらず、念押しをするものですから、駅の事務所から人が集まってきて、「だれか、AEDが必要な人がいるんですか!」とあわてた様子。
まあ、ふつうはここまで聞きませんよね。
「今日、防災訓練があったので、確かめたかったのです」と笑顔でいって、引き上げてきました。
そういう文脈が伝わっていないと変だと思われるはずですね。
遠くから見ていたカミさんは、話をきくと、大笑いでした。
まあ、「AEDどこですか」と聞けば、使うって思いますものね。
①「もしもし、大丈夫ですか!」という、よびかけに始まり、②窒息を防止するための頭の位置を変えること、③大声で救援を求めて、「あなた、119番に電話してください」、「こちらのあなたは、AEDを○○支所から、取ってきてください。」という指示をすること、④AED到着までに、人工呼吸と心臓マッサージをすること、⑤AEDの操作、⑥人工呼吸+マッサージ+AED操作などの作業を交代で行うこと、などなど。
先日のペンギンさんでの訓練が生きてきましたねぇ。(心臓マッサージのテンポを保持するために歌う歌は、「アンパンマンの歌」、「世界でただ一つの花」ともう一つは「地上の星」でした)
一連の訓練が無事終了したあと、JR駅を通りがかったとき、AEDがどこにあるのか、確かめようという気になりました。
京阪三条の駅には、改札口の外にありますね。
ではJR大津駅はどこにあるんだろう?
改札口の外に見当たりませんから、(よせばいいのに・・・)、改札口に聴きに行きました。
「AEDは、どこにありますか?」
「それは・・・そうそうキオスクの裏手、あそこにあります。」
「改札口の中ですね。外で事故が起きたら、ここから入ればいいのですか?」
場所確認だけで引き下がらず、念押しをするものですから、駅の事務所から人が集まってきて、「だれか、AEDが必要な人がいるんですか!」とあわてた様子。
まあ、ふつうはここまで聞きませんよね。
「今日、防災訓練があったので、確かめたかったのです」と笑顔でいって、引き上げてきました。
そういう文脈が伝わっていないと変だと思われるはずですね。
遠くから見ていたカミさんは、話をきくと、大笑いでした。
まあ、「AEDどこですか」と聞けば、使うって思いますものね。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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