
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
野口武彦『幕府歩兵隊 幕末を駆け抜けた兵士集団』(中公新書) ― 2008/10/16

野口武彦氏のこの著作を読んで最初に感じたのは、文章の力、その特色です。緻密な文章ですが、ストレートに感情に訴える一人称の文章とでもいうのでしょうか。
最後まで読み、「あとがき」で野口氏が史学出身者ではないことを知りました。次の文章は、読み終わった私には、なるほどと思い当たることが多々あります。
対象や内容にかかわらず、《活写》すればいいというものではありません。私が強い共感を覚えたのは、野口武彦氏が「幕府歩兵隊」の結論として述べておられることです。それは、私がいま調べている十八番大隊の兵卒と将校にもあてはまることです。
野口氏の他の著作も読んでみたくなりました。
最後まで読み、「あとがき」で野口氏が史学出身者ではないことを知りました。次の文章は、読み終わった私には、なるほどと思い当たることが多々あります。
この一冊は、学説でもなければ論考でもない。歴史の真理は臨場感に宿る。できるだけ《活写》することで、《真理》に近づけるのではないかというのが筆者の考えである。この考えには、前ふりがあります。
もちろん、日本史の専門家にはいくつも貴重な研究はあるのだが、文学畑からの私見では、何というか見てきたような感じが薄いのである。私はこの箇所ではじめて、文学畑の方であることを知ったわけです。
対象や内容にかかわらず、《活写》すればいいというものではありません。私が強い共感を覚えたのは、野口武彦氏が「幕府歩兵隊」の結論として述べておられることです。それは、私がいま調べている十八番大隊の兵卒と将校にもあてはまることです。
明治の帝国陸軍は幕府歩兵隊ばかりか、けっきょくは長州奇兵隊も薩摩小銃隊もないがしろにする発想で建軍された。徴兵制は、階級分化した農村社会を背景に職業軍人と兵役で駆り出される消耗品的な兵卒の群を作り出した。何か貴重な職人芸のようなものが見捨てられたのである。幕末に生まれた軍隊は、円満には近代軍隊と接続されなかった。明治三年(一八七〇)の奇兵隊の反乱、明治七年の佐賀の乱、明治十年の西南戦争などを一概に封建反動と片付けてはならない。士族反乱の影の一面には、疑いもなく、軍功を正当に報われなかった下層兵士の怨念が渦巻いていたはずである。
武士の甲冑から帝国陸軍のカーキ色の群への過渡期に、一種異様な風体で出現してすぐに消え去った幕府歩兵隊の残像は、しかしただ童話の鉛の兵隊のように歴史館に陳列されているだけの遺物ではない。なるほどその活動は一回的ではあったけれども、来るべき《国家一朝有事》のとき、誰のために誰が血を流すのかという永遠の問いかけを後世に発し続けているのである。竹橋事件への言及がないのは物足りませんが、歴史の描き方とともに、その視角はとても参考になりました。
野口氏の他の著作も読んでみたくなりました。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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