
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
神風特攻「菊水第一号作戦」の犠牲者の墓碑 ― 2009/06/25
旧大津陸軍墓地でやったように、
一人ひとりの墓碑から、可能な限り、
その人の生き様や死の模様を、
読み取ろうとしています。
先日ご紹介した「神風特攻隊」員の墓碑(大津市穴太)から、 はじめたいと思いました。
ご遺族のお話をお聞きするのが いいのでしょうけれど。
碑文で読み取れたのは、以下の文字でした。
アンダーラインの箇所を拡大したのは、上の写真です。
私は、日付からヒントを得ようと調べ始めました。
最初にわかったことは、この日付が、
「菊水第一号作戦」の開始日にあたることです。
この作戦は、沖縄への連合国の侵攻を阻止するのが目的。
戦艦大和も出撃した有名な作戦でした。
「菊水作戦」は第一号から第十号まで行われました。
第一号 1945(昭和20)年4月6日から11日
第二号 同年4月12日から15日
第三号 同年4月16日から17日
第四号 同年4月21日から29日
第五号 同年5月 3日から 9日
第六号 同年5月11日から14日
第七号 同年5月24日から25日
第八号 同年5月28日から29日
第九号 同年6月 3日から 7日
第十号 同年6月21日から22日
「菊水第一号作戦」に参加した海軍の特攻隊名。
神風特攻忠誠隊
神風特攻勇武隊
神風特攻第三建武隊
神風特攻第17神剣隊
神風特攻第一筑波隊
神風特攻第三御楯252隊
神風特攻第三御楯601隊
神風特攻第201彗星隊
神風特攻菊水天山隊
神風特攻第三御楯天山隊
神風特攻第一八幡隊
神風特攻第一護皇白鷺隊
神風特攻第一正統隊
神風特攻第一八幡護皇隊
神風特攻第一草薙隊
ゼロからでない場合は、読み取りは可能です。
写真の文字は「草薙」ですね。
やっと、入り口まで来たようですね。
先日ご紹介した「神風特攻隊」員の墓碑(大津市穴太)から、 はじめたいと思いました。
ご遺族のお話をお聞きするのが いいのでしょうけれど。
碑文で読み取れたのは、以下の文字でした。
昭和二十年四月六日 神風特別攻撃
●●特攻隊として南西諸島方面●戦死
アンダーラインの箇所を拡大したのは、上の写真です。
私は、日付からヒントを得ようと調べ始めました。
最初にわかったことは、この日付が、
「菊水第一号作戦」の開始日にあたることです。
この作戦は、沖縄への連合国の侵攻を阻止するのが目的。
戦艦大和も出撃した有名な作戦でした。
「菊水作戦」は第一号から第十号まで行われました。
第一号 1945(昭和20)年4月6日から11日
第二号 同年4月12日から15日
第三号 同年4月16日から17日
第四号 同年4月21日から29日
第五号 同年5月 3日から 9日
第六号 同年5月11日から14日
第七号 同年5月24日から25日
第八号 同年5月28日から29日
第九号 同年6月 3日から 7日
第十号 同年6月21日から22日
「菊水第一号作戦」に参加した海軍の特攻隊名。
神風特攻忠誠隊
神風特攻勇武隊
神風特攻第三建武隊
神風特攻第17神剣隊
神風特攻第一筑波隊
神風特攻第三御楯252隊
神風特攻第三御楯601隊
神風特攻第201彗星隊
神風特攻菊水天山隊
神風特攻第三御楯天山隊
神風特攻第一八幡隊
神風特攻第一護皇白鷺隊
神風特攻第一正統隊
神風特攻第一八幡護皇隊
神風特攻第一草薙隊
ゼロからでない場合は、読み取りは可能です。
写真の文字は「草薙」ですね。
やっと、入り口まで来たようですね。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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