お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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祭りまで毎晩、ちょうちんの灯りが町を照らします2009/09/18

祭りまで毎晩、ちょうちんの灯りが町を照らします
夕闇の町が浮き立って見えてきます。
そこかしこに、気づかなかったちょうちんの灯り。
灯りに目を奪われて歩きはじめると
少し離れたところから、軽快な鼓の音が聞こえ始めました。
今年も祭り(大津祭)が近づいているのです。
まもなく、笛の音も始まることでしょう。

今年(2009)の大津祭りの予定
山建 10月4日(日)、宵宮 10月10日(土)
そして、本祭 10月11日(日)

「宵宮」 ~一夜の賑わいに~2009/09/18

人はこの笛と太鼓tに引き寄せられてにやってきます
「宵宮」とは、要するに前夜祭のことです。
夕方から太鼓と笛の音につられるように人がまちに繰り出してきます。普段は灯の消えた街が、この夜ばかりは、昔の賑わいを取り戻します。 大人も子どもも夜遅くまで山車の並ぶ町をたむろして歩きます。
 私は、「宵宮」が好きですけれど、去年は、仕事でダメでした。今年は、もっと厳しい・・・。しかたないので、おととしの写真を並べて、「宵宮」気分を味わうことにしました。

しばらく図書館には行けません2009/09/18

休日を夜まで図書館で過ごしました
 図書館の行きかえりに街を歩きました。明るい時間に入って、暗い時間に出てくる・・・こんな時を忘れるようなぜいたくは当分できそうにありません。
 図書館で、ゆっくり本を読んでいたわけではないのです。資料室で、”これは必要”と思い定めたものをひたすらコピーしていました。読み込んだり、考えたりするのは、帰ってから。それも、仕事も終わった深夜にしかできません。そんな風ですから、図書館の側からすれば、落ち着かない利用者に見えたことでしょうね。
 そうそう、正直に言うと、私は、最近の司書さんたちを、あまり感じがいいとは思っていなかったのです。数年前までは、十数年来の顔なじみの方がいたのです。挨拶もかわすし、にこやかに対応していただいたからです。今は、コピーひとつでも、口うるさく感じてしまい、「ハイハイ、わかりました」とつい応じてしまうのです。非常識な利用者さんもいるので、仕方がないとは思うし、冷たい対応ではいけないと反省はしているのですけれど・・・。 そういえば、「え!?」と思うようなこともありました。たとえば、コンピュータの検索画面で、サイトを見るだけじゃなくて、紙を取り出して、その絵をなぞるように写しているとか・・・思ってもみない利用方法。周囲がどう思うかおかまいなしという様子でした。
 その日も6時が過ぎていました。そろそろ閉館。自力ではこれ以上無理だとおもったので、最後に、司書さんの助けを借りることにしました。頼みはしたのですが、あまり期待していませんでした(すみません!)。自分の席にもどり、資料から必要な箇所を写していると、本の山が生まれていました。コピーの手続きのために、そこを横切ると、その山こそ、司書さんの努力の結果だとわかったのです。
 気持ちを込めて礼をいうと、司書さんの表情も和らいで見えたました。な~んだ、やさしい人だったんですね。職務を果たしただけなんでしょうけれど、私はこう感じました(笑)。図書館も信頼関係が大事な気がします。繰り返し、行くと顔なじみになれるし、どういうものを探しているかもわかってもらえるのでしょうね。次行けるとしたら、10月の末。通う時間がないのが残念です。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)