お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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千野の展望台から琵琶湖を見下ろす2009/09/12

千野の展望台から琵琶湖を見下ろす
一つ前の日記の写真は、千野の南部。
これは、北部で、バイパス沿いの高台。
雄琴の歓楽街と琵琶湖が見えます。

以前に同じアングルで撮ったときよりも、
住宅が広がっていますね。

対岸は守山市でしょうか。


琵琶湖(南湖)を千野から眺める2009/09/12

琵琶湖(南湖)を千野から眺める
大津市の中央部の湖岸には、
高層マンションが並び、
琵琶湖が近くにあっても、
その存在が感じられません。

高台にあるわが家もそうです。

中央部を離れ、唐崎、坂本、日吉と北上。

千野の天満宮の近くに、
琵琶湖が遠望できるスポットがありました。
この風景を残したいと思い
記念撮影。

琵琶湖にろうそくのように
立っているのは、プリンスホテル。

ある「足跡」に2009/04/11

これは、どんなトリの足跡なんでしょうね。
今年の3月はじめに一人で琵琶湖岸を歩きました。
そして、砂浜に足跡を見つけました。

灰色の砂浜に、スジ状の痕跡。
トリの姿は見えないし、
まもなく消えていくんでしょうね・・・。

日常的な光景のはずなのに、
私は、大発見したような気持ちになり、
あちこち見て回りました。

こんな生き物の痕跡さえ、
私には新鮮に思えたのです。

同じ琵琶湖でも北湖はいいなぁ。

↓これが北湖の湖岸。


こっち↓は南湖の「なぎさ公園」(人工)

2008/11/26

岬から虹に空に伸びていました
大津市から湖西道路を北上すると、
美しい紅葉が広がっています。
写真が撮れないのが残念だといつも思います。

高島市に入ったとき、虹が見えました。
虹は、湖岸縁から弧を描いています。
いつもの湖岸に立ったときは、
岬の先に。

夜明けに浮かぶ竹生島2008/11/15

夜明けに浮かぶ竹生島
滋賀県に住みながら、竹生島に上陸した記憶がありません。
今朝、夜明け前から浜にでて湖岸を眺めていました。
暗い湖面から小さな島が浮かびあがってきました。
そうそうあれは竹生島。



今津港から船で往復する便がありますので、
そこに滞在する間に、機会を見つけて湖面を渡りたいと
同僚のTS氏と話しています。
そんな余裕があればいいのですけれど。

琵琶湖(北湖)の夜明け2008/11/15

琵琶湖(北湖)の夜明け
高島市は近すぎて泊まる機会は多くありませんでした。
これから仕事でその機会は劇的に(笑)増えそうです。



琵琶湖岸の夜明けを見るのは本当に久しぶり。

水鳥の飛翔2008/11/02

水鳥の飛翔
高島市の「新旭水鳥観察センター」から見えた光景。
クリックしないとわかりませんので、よろしく。



水鳥の観察ができるだけではなくて、
食事もできる場所です。

今津川河口で水が跳ねる音がしました2008/09/23

今津川河口。突き出た岸の川側で音がしました
私が車を停めたところから、湖岸を歩いて北上。
今津川の河口まで。
川の水が琵琶湖にむかって流れ込み
溶け合う姿を眺めていました。

ところが、人がいるわけではないのに、
なんか騒がしい。

薄暗いので、河口から上流20メートル
ぐらいの範囲しか見えません。
岸の方々で、バチャバチャという音。

じっと見ていても、よくわかりません。

上の写真は、右手が琵琶湖。
今津川は左から右へ流れ込んでいます。

堤防みたいに突き出ている岸の左手。
ただしくリズムを刻むわけではないのですが、
頻繁にバチャバチャいっています。

最初は、ぼんやりと、不思議だなぁくらいで見ていました。
私は季節にとても疎いんだと思いました。
これだけで、わかる方はきっと
いるんでしょうね。

そのとき、足元の水が跳ねました。



やっと、生き物・・・魚だって気がついたのです。

そして、姿が見えました。



つぎつぎと跳ねています。

夕暮れの琵琶湖@今津2008/09/23

夕暮れの琵琶湖@今津
夕暮れ時、今津で浜に出ました。
手前から鳥が飛び立ちました。
なんの鳥だったのでしょうか。
サギかな。
沖に、エリとボートが見えます。
ここは、マハさんがよく知っている場所ですね。

左を見ればこの風景。



右を見れば・・・。

なぎさの水面から@琵琶湖(南湖)2008/09/09

岸近くで泳ぐ魚の姿が見えました@琵琶湖(南湖)
午前、それほど早朝ではありませんが、
なぎさ公園を歩きました。
月曜日ですから、人手はほんとうにまばら。
2kmぐらい見通せる湖岸なのに。



時間に余裕があるので、
仕事場にのんびり歩いて向かう途中でした。

石積みの湖岸を歩けば、
水は意外に澄んでいます。



打ち上げらた水草と湖水にゆらぐ水草。
そんな姿を見ていたら、魚の姿が
目に付きました。



あ、いるんだ!

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)