お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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まもなく戦車など軍事車両のパレードがはじまります2007/09/23

戦車パレードを期待する観客
 自衛隊の海外派兵や防衛庁の防衛省への昇格などを褒め称える主賓あいさつの間、スタンドはざわざわ。
 最初のほうで、「君が代演奏のために、ご起立ください」というアナウンスがありましたが、ひな壇はともかく、離れた土手の観客席では、意識的に立つ人はごく少ないのです。
 私の目の前に、家族ずれが何組もいましたが、座ったまま。カメラマニアも座った(立っている人は変化なしですね)ままです。あえて立ち上がる人が一人いましたが、なんか浮いていました。

 しかし、観閲式や式辞の時間は、手持ち無沙汰な感じのスタンドは、パレードとなると一変。ほとんどが立ち上がって、カメラを構えています。
 ・・・これが目的みたいですね。
 そのあとの射撃訓練も含めて。

戦車パレードの開始。会場に轟音と粉塵。2007/09/23

戦車バレードがはじまりました
今津駐屯地の創立55周年の記念式典。2007年9月23日。

第10戦車大隊の第74式戦車2007/09/23

第10戦戦車大隊の74式戦車
兵器を普段目にしない場合には、珍しさもあり、
かっこよく見えるのかも知れません。
兵器であることを忘れて見物しているようにも見えます。

自衛隊基地を変質させる兵器 そのマークはこれ2007/09/23

 米軍再編により米軍との一体化を強める自衛隊。
その姿を示すのが、パトリオット・ミサイル。
 これは、PAC2ですが、PAC3の配備の計画もあります。

高島市議の森脇さんは以下のように警告しています。

『 新型ミサイルの配備は、市内を日常的に戦時体制におき、部隊は毎日、市民に見抜かれない訓練を日常化することとなる。演習か本番どうか、見抜かれていないか、猜疑心で市民をみること必至です。情報部隊は、そうした市民情報をもえる、役割をになうのでは、と市民の不安が広がっている。』

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/06/1560475

このマークが張られていたのは、ペイトリオット・ミサイルの発射台。
その姿は次に。

ペイトリオット・ミサイル発射装置の全体2007/09/23

ペイトリオット・ミサイルの発射台
 自衛隊饗庭野基地に、2009年をめどに配備が予定されているPAC3。
その一世代まえがこのPAC2。

 実は、ミサイル発射システム全体が、今日展示されているのではありません。ここに置かれているのは、発射装置だけです。

 Wikipediaには、いろいろ問題がありますが、その記述では「システムは複数の機材から構成されており、有線・無線によるインターフェイスにより連動している」として、以下のものが挙げられています。
 いい参考になります。

● レーダー装置

航空自衛隊のAN/MPQ-53フェーズドアレイレーダーレーダー装置(Radar Set、RS)の形式名称はAN/MPQ-53(Config.2形態以前)又はAN/MPQ-65(Config.3形態以降)。RSはC-Band帯の電波を用いる、フェーズドアレイ・多機能レーダーである。目標の捜索・追尾の他、IFF、ミサイル誘導なども行う。1高射隊(FU:Fire Unit)当たり1台のRSが配備される。運用中は無人となる。


●射撃管制装置
射撃管制装置(Engagement Control Station、ECS)の形式名称はAN/MSQ-104(Config.2形態以前)又はAN/MSQ-132(Config.3形態以降)。1射撃中隊に1台が配備され、RSからの情報を処理し要撃命令を下す。ECSはM927 5tカーゴトラックまたは軽中量戦術車両(Light Medium Tactical Vehicle 、LMTV)カーゴトラックの荷台に搭載された状態で運用され、2名のオペレーターが操作する。

主要な機器は兵器操作コンピュータ(Weapons Control Computer、WCC)、通信リンク・ターミナル(Data Link Terminal 、DLT)、UHF通信機(UHF communications array)、デジタル通信ルーター・インターフェース(Routing Logic Radio Interface Unit、RLRIU)、2人分の操作コンソールである。

最大16台の発射機を接続でき、同時に8台の発射機を制御する。発射機との通信はVHF無線または光ファイバーによって行われる。RSとは有線でインターフェイスする。


●AN/MPQ-53 フェーズド・アレイ・レーダー
情報調整装置(Information Cordination Central、ICC)の形式名称はAN/MSQ-116(Config.2形態以前)又はAN/MSQ-133(Config.3形態以降)。1高射群(BN:Battarion)に1台のICCが配備され、隷下に6台のECSを置く。ECSと外観はほぼ同様であり、2名のオペレーター(指揮官)が搭乗する。上位組織及びAWACSとの連接が可能(日本ではさらに自動警戒管制システムBADGEとの連接が可能なように改修されている)。ECSとはUHF無線によってインターフェイスする。


●無線中継装置
無線中継装置(Communication Relay Group、CRG)の形式名称はAN/MRC-137(Config.2形態以前)又はAN/MRC-147(Config.3形態以降)。ECS-ICC間の通信でUHF無線の見通しが取れない場合、CRGを間に挟んで通信を中継する。ECS-ICC間の通信はPADILというフォーマットで行われており、音声・データ(航跡情報等)が多重化されている。なお日本では山岳地であることを考慮して、有線接続にてECS-ICC間の通信ができるよう独自改修が行われている。


●アンテナ・マスト
アンテナ・マスト・グループ(Antenna Mast Group、AMG)の形式名称はOE-349/MRC。ECS、ICC及びCRGはそれ単体ではUHF無線通信が行えない。AMGはいわば外付けのUHFアンテナであり、それぞれに接続されて運用される。


●発射機

航空自衛隊のM901発射機発射機(Lancher Station、LS)の形式名称はM901。M901発射機では最大4発のミサイル(STD弾、PAC-2弾、SOJC弾、GEM弾)、M902発射機では最大16発のPAC-3弾を搭載する(M902発射機にSTD弾、PAC-2弾、SOJC弾、GEM弾は搭載できるが、PAC-3弾との混載は不可)。ECSとは(SINCGARS)VHF無線または光ファイバによって通信リンク・ターミナル(DLT)を通してインターフェイスする。15KW-400Hz発電機を1基持つ。 1パトリオット中隊は5~8基の発射機を運用する。LSは専用の発電機を搭載している。


●発電機
EPP-III発電プラント。M977 HEMTTに搭載。 150KW 208V-400HzACを供給するディーゼルエンジンが2基。283.9リッターの燃料タンク2個。太い給電ケーブル。 ECSとRSには、EPP-III(Electric Power Plant-III)により電力を供給する。 ICCとCRGには、EPU(Electric Power Unit)により電力を供給する。 またAMGには、接続されているECS、ICC又はCRGから電力供給を受ける。

解説パネル「高射部隊対空戦闘概要」2007/09/23

ペイトリオット・ミサイル発射台の近くに置かれた解説パネル。

解説パネル・ペイトリオット・ミサイル「発射装置」2007/09/23

自衛隊今津駐屯地創立55周年記念式典。
その会場の展示兵器のなかでも、目を引いたのがパトリオット・ミサイル発射装置。
その解説パネルがこれ。

解説パネル「誘導弾」2007/09/23

自衛隊今津駐屯地創立55周年記念式典。
ペイトリオット・ミサイル発射装置につけられていた三つのパネルの一つ。

自衛隊記念式典・・・私の感想2007/09/23

 近畿最大の演習場をもつ自衛隊今津駐屯地。
 この創立55周年の記念行事ですから、まずは、お祝いです。会場に悲壮感もなければ、緊張感も見受けることはできません。
 防衛庁が防衛省に昇格したはじめての式典だからといって、変わりはないように思えます。
 わかりやすくいえば、自衛隊員の家族などが見に来る運動会のような雰囲気です。模擬店もあるし、パレードもあります。
 そして、会場に多く集まっている自衛隊マニアの人たち。
 私が模擬店に自衛隊グッズがあるのを珍しげに見ていたときです。
売り子を勤める若い自衛隊員の男女3名がお客無視して会話中。
 「もういっぱいいっぱい買っていく人がいるんよ」(女性)
 「それはさあ、自衛隊オタク」
 「え!?」
 「ほら見てごらん、格好ですぐわかる。あれだよ、あれ」
 「ああ、あれね」
 私も振り返って確認。
そういう人がカメラをもって集まる場でもあるらしいのです。
 OBの人にとっても、胸にバラつけてもらう晴れ舞台。

そういう意味では、一般市民が参加するという性格のものではありません。ですから、身内っぽくて、穏やかなんでしょうね。
 全体に高齢者は少数で、中堅どころから子ども連れの家族が多いのです。若い女性の姿も目立ちました。

 しかし、米軍とともに海外で戦争ができる軍隊への変質は、確実に進行しています。その姿をこの会場で捉えるのは困難でしたが、たとえば、上の写真。これは、前回(10年ほど前)私が来たときには、考えられない顕彰の品です。
 つまり、イラクへの復興支援という名の海外派兵。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)