お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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旧大津陸軍墓地調査 : ブロックごとに数を確定しました2007/09/24

湖西バイパス開通にともなう陸軍墓地改葬「記念碑」の裏
 イオンモールの出店反対やバス問題の運動などは、いろんな人たちと協力して進める楽しみがあります。しかし、陸軍墓地の調査だけは別。まったく、個人としてはじめたことです。
 粘り強くやれば、一人でもなんとかなるという思いが一方にあるし、他方は、激しく変わる社会のなかで、生きている人の暮らしの改善にこそ力をあわせるべきだと思うのです。
 死んでいった人たちには申し訳ありませんが、生きている人のことこそが大事です。

(そうはいっていても、関心を持たれた方や協力していただける方は大歓迎します)

●ブロックごとのお墓の数の確定

        柱
Aブロック  20
Bブロック  15
Cブロック  18
Dブロック  19
Eブロック 207
Fブロック  33
Gブロック   1
Kブロック 139(改葬)
Lブロック  98(改葬)
Mブロック  10
合計    559
  *改葬分の合計は、237

上の写真の黒い石碑が書いている数とぴったり合いました。

 これで、女性の墓を含むMブロックも陸軍墓地に属すると考えられていることがわかりました。

旧大津陸軍墓地 : Mブロックの墓石配置2007/09/24

旧大津陸軍墓地 Mブロックの墓石配置図(BIN★作成)
旧大津陸軍墓地。
上層には、AとMブロックで、30柱。
下層には、B、C、D、E、F、G、K、Lのブロックで529柱。

Aは将校の墓。Mは女性をふくむお墓。
このMの墓には、なぜ女性が多いのでしょうか。
その女性はどういう人であって、なぜ、ここに葬られているのでしょうか?

配置は、一番左にぽつんと一つ(もっともAブロックに近い位置)
その次に3,3,2と比較的くっついている墓が8つ。
向きが違う墓が1つ。
合計10柱です。

旧大津陸軍墓地 : Lブロックの墓石配置2007/09/24

旧大津陸軍墓地 Lブロック
 Lブロックは、湖西バイパスによって、旧来の埋葬地から、別の埋葬地(現在地)に改葬された個人の墓碑がならんでいるところです。
 改葬された墓碑数の合計は、237柱。
 そのうちの、98柱があるブロックです。

上の写真の左のブロック。
タテに並んでいるのがLです。

見ての通り、均等ではなく、以下のように配置されています。

6行目  3柱
5行目 15柱
4行目 20柱
3行目 20柱
2行目 20柱
1行目 20柱
  ↓
 正面(写真では右手)

旧大津陸軍墓地 : Kブロックの墓石配置2007/09/24

旧大津陸軍墓地 Kブロック
Kブロックは、改葬された237柱のうち、139柱があるところ。
上の写真でいけば、白い大きな記念碑から見えるほうが正面です。
要するに、中央の白い碑に立てば、墓石の名前が見えるようになっているんです。白い碑にむかって整列しているという印象。

9行目  9
8行目 14
7行目 14
6行目 17
5行目 17
4行目 17
3行目 17
2行目 17
1行目 17
     ↓
 白い記念碑(広場中央)

旧大津陸軍墓地 : Fブロックの墓石配置2007/09/24

旧大津陸軍墓地 手前が最大のEブロック。大木の向こうの33の墓碑をFブロックと名づました
全部で559柱が眠る旧大津陸軍墓地。
いくつかの場所に分かれて、配置されています。
その成り立ちは、さしあたり、現在ある墓石の碑を手がかりにするしかありません。

一番数の多い場所をEブロックとなずけました。
ここには、日清戦争とその直後の台湾出兵の戦死者が葬られています。
それに隣接しているのが、Fブロック。
上の写真でいけば、
Eブロックが山手(手前)、Fブロックが琵琶湖側(写真の奥)です。
大きな木のむこうがFブロックです。
横から撮った写真は、↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810953

Eブロックのお墓が画一的な形と墓碑銘をしているのに対して、
Fブロックのお墓は、それぞれが個性的です。
それだけに、日清戦争よりも、古いものだと思われます。
つまり、第九連隊ができてから演習や病気で亡くなった人、西南戦争でなくなった人のお墓ではないのかと思っています。

それぞれのブロックが別々の方向を正面としています。
このブロックは、南側が正面。

そこに立つと、奥にLブロック、右手に琵琶湖、左手にEブロック。
後ろにお地蔵さん。

第5行目  8柱
第4行目  8柱
第3行目  8柱
第2行目  8柱
第1行目  5柱
合計  33柱

旧大津陸軍墓地 : Eブロックの墓石配置2007/09/24

旧大津陸軍墓地 Eブロック
上の写真では、左手(左斜め上かな)が正面です。

ここはかなり均質に並んでいます。
基本的に、ヨコ18柱×タテ11柱の形。
しかし、写真中央に例外的に大きな墓が一つあり、
それが、6柱分の敷地をひとつで占めています。

11行目 18柱
10行目 18柱
 9行目 18柱
 8行目 15柱
 7行目 16柱
 6行目 18柱
 5行目 18柱
 4行目 18柱
 3行目 18柱
 2行目 18柱
 1行目 18柱
  合計 207柱

花粉を顔いっぱいにつけたハチ2007/09/24

花粉を顔につけたハチ
今日も仕事です。
お昼ご飯を食べたあと、なぎさ公園へ。
食後の運動をかねて、歩きます。

どんより曇った空。琵琶湖には、つり舟が2、3出ているだけ。
釣り人もいますが、なにか活気がない。
夏の強い日差しがないせいでしょうか。
そのかわり、小さな子どもをつれた家族ずれが何組か、お弁当を
食べています。

もう一週間で、10月になります。
いつの間にか、せみの声は聞こえなくなっていましたね。
それでも、蒸し暑い。

なにを撮るでもなしに、湖岸の石垣に座ってすごしました。
石垣の上には、草が生えています。

その小さな世界に注目すると、なかなかの活気があります。

今日は、短い時間ですが、その世界を撮ってみることにしました。

小さな葉っぱが巨大に見えます、ミクロのハチ??2007/09/24

小さな小さなハチ??
とても小さくてどんな虫なのか、レンズごしにもわかりませんでした。
飛んでいるところを撮りたかったのですが、ピントがあいません。
葉っぱにとまったところをやっと・・・。

葉っぱも小さいんですよ。
それなのに、虫くんはこのサイズ。

これって、ハチ??

ミクロのハチ君の飛ぶ姿を捉えたかな2007/09/24

ミクロのハチ(?)君の飛ぶ姿です
ミクロのハチ(?)くん。
何枚かの写真を後で見ました。
なんとか飛ぶ姿がわかる写真がありました。
これでどうでしょうか?

虫たちの世界から2007/09/24

ハチが飛んでいますが見えますか?
湖岸の数個分の石の上で展開されている虫たちの
活気ある世界。

もう仕事に戻る時間ですね。

さて虫の空間から、人の空間へ。
人間の普通の視野では、さっきの大きい方のハチさんは
こんなサイズです。

見えますか?
しっかりピント合わせているんですけど。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)