お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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スクリャービンの左手のための2つの小品 作品92007/11/29

●館野泉さんの復活物語

今日は休日。どこへも出かけなかった。
TVものんびり見ていると、
「アンビリーバボー」で、
ピアニストの館野泉さんの
復活物語を取り上げていた。

館野さんは、半身不随となり、
ピアニストにとって致命的なダメージを受けた。
つまり、右手が使えなくなったのだ。
数年前のことである。
この物語は、BS2で見たことがある。
改めて館野さんの苦悩を追体験することになった。

私は、まだ館野さんが倒れる前に、
近くの「びわこホール」で演奏をきくチャンスがあった。
チケットを買おうと思いながら、
仕事のことを考えて、決心できなかった。
倒れられたというニュースが流れたとき、
自分の決断のなさを恨んだ。
そのときのプログラムは得意の北欧の音楽。
しかし、私が買ってもっている館野さんのCDは、
シューベルトの後期ピアノソナタ集。

●スクリャービンの左手のための曲

TVを見ながら、ひとつだけ、気になったことがあった。
それが、館野さんが復活後、
演奏会で弾いた
スクリャービンの左手のための曲。
「そんなのがあったんだ」と思う反面、
「あれ??聴いたことがある気がする」とういうもの。

二三ヶ月前に新しい書棚を入れたので、
CDの位置がかわっていて、
思うように見つけることができない。
3000枚はある。
自慢というより、買いすぎて後悔。
見つけたCDは、Stanislav Neuhaus edition vol.6。
Denon COCQ-83018。
タイトルのとおり演奏者は、
スタニスラフ・ネイガウス(1927-1980)。
リヒテルの恩師であり
名ピアニストでもあった
ゲンリヒ(ハインリヒ)・ネイガウスの
実の息子である。

●初期の作品か

ロシア革命前夜にあらわれたスクリャービン。
1872-1915。
早熟で濃厚なロマンティシズムから出発し、
神秘主義へ傾倒。
ピアニスティックな面白みがある。
私は、神秘主義時代の作品には、なじめない。
左手のための作品は、どうやら作品9だけらしい。
だから、館野さんが演奏したのは、
これにまちがいない。
作品番号からいくと、初期のものだ。
私が気に入っているのは、24の前奏曲集 作品11。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)