お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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湖岸のランドマーク=琵琶湖文化館に廃館の危機2007/12/07

中央郵便局に用事があり立ち寄りました。
近くに、建設中のビルと琵琶湖文化館がありますが、
それぞれ注目すべきときにきているので、
近くで見てみることにしました。
大津市のランドマークの役割と琵琶湖に
親しむ役割を演じてきた琵琶湖文化館。
いまは、水族館としての機能を琵琶湖博物館に移し、
残っているのは、滋賀の文化を展示する役割。
それが、県の財政危機、つまり、
今後3年間で400億円を越す歳入不足のために
廃館の対象になっているのです。
この歳入不足をどう見るのか、
どう打開するのかは
今後の県民生活にとって、重大な分岐となります。

コメント

_ にゃこりん ― 2007年12月07日 18時31分45秒

ご無礼を承知で言わせてください。
こんな美しくないものがランドマークだったのですか?
ホントに琵琶湖に親しむ役割を演じてきたのですか?
滋賀の文化を展示してるったって、
一度訪れたら二度と足を運ぶことはないでしょうに。
考えればわかることです!
だいたい、こんなものを作るのに市民の意見を聞いたのでしょうか?
知らないところで要らない物がどんどん建っていく現状。
一般市民が参加できるのは選挙をして議員を選ぶことですが、
市民の総意が通じているのかどうか・・・
スミマセン、批判的で。

_ BIN★ ― 2007年12月08日 09時07分14秒

 曇り空に浮かぶ建物は、たしかに美しくないですね。
 自分で撮影しながら、コンクリートの色がむき出しの姿にある複雑な感慨を覚えたのです。
 この文化館のサイトがあって、そこには次のように書かれています。建物の中身は見えないので、読んでいただきたいと思います。
『 昭和36(1961)年に開館、絵画、彫刻、工芸、書跡、典籍などの近江を代表する文化財が、仏教美術作品を中心に収蔵されている。国宝・重要文化財の収蔵数は全国第6位で、総数1647件(4999点)のうち県指定以上の文化財は120件(2169点)があり、日本を代表する美術博物館である。
 また、5階の展望閣からは360度の視界が開け、近くにはさざ波の宮「古都大津」の街並みをはじめ、信仰の山である比叡山や三上山が望める。天気に恵まれれば遠くの伊吹山や霊仙山を見ることができ、四季折々の湖上の景色を楽しむことができる。』
 ここに書かれていないのは、市民の思いだと思います。
 大津市の琵琶湖岸には、琵琶湖と親しむ施設が意外なことになかったのです。大津城や膳所城は明治になくなり、米軍基地が幅をきかせていましたから。それで、1961年にできたこの施設は、かつてあったはずの城の姿をしていただけでなく、琵琶湖の魚が集められていて(とくに琵琶湖オオナマズがいて人気でした)、楽しい展示だったのです。家族が自分たちの子どもをつれて行くには、ちょうどよい距離と中身だったのです。
 いまでこそ、大きなビルがありますが、当時は、他を圧する大きさで、5階からの眺望には、目を見張りました。
 さきほど複雑な感慨といいましたが、それは、そういう長年の役割への愛着とともに、いまの目から見たらけっして美しくない姿というこの現実が心に交差したからです。
 もう半世紀になるんですね。この施設。
 でも、汚いからいらんわというのではなく、この建物が果たしてくれていた役割に敬意をもちながら、その未来について、一方的に決めるのではなく、みんなで考えたらいいんじゃないというのが私の思いです。

_ にゃこりん ― 2007年12月08日 14時02分39秒

半世紀も前のセンスだったら、こういう建築物でも不思議ではありませんね。
私が間違っておりました。
まだ新しい施設かと思ったものですから。
琵琶湖と親しむ施設が他にないのでしたら、長い間頑張ってくれていたのですね。
こういう施設を作ったら、半永久的に営業活動をして、人を呼べるようにリフォームもし、使い続けなければそれこそ無駄になります。
お役所は営業活動はしないですものね・・・

_ BIN★ ― 2007年12月09日 02時30分36秒

いえいえ、こちらこそ反省したのです。
曇り空のもとで見たこの建物は、やはり、老朽化しているのを感じたのです。そういう疑問があって、あえてこの日の写真をアップした気がします。
客観的に見て、コンクリートは感じがよくありませんね。
今なら、もっと時代の特徴を生かして造ったはずです。
この建物が画期的だったのは、親子連れが楽しめる施設がまったくなかったからです。この建物内の水族館が人気だったのは、そういうことだと思います。今見渡しても、浜大津港や競艇場はあるし、アーカス(京阪が開発した娯楽ビル=ゲームセンター、ボーリング、カラオケ、レンタルビデオ)はありますが、小学生までのいい子たちが楽しめる施設はほかにないのです。でも、それって大切なことですよね。
今の建物をもっと客観的に見て、考えたいと思いました。
ありがとうございます。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)