
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
けっして不名誉の看板ではないはず ― 2007/12/11
ブログを書いていて、
「この人たちに読んでほしい」
と思うときはあるのです。
でも、家族のプライバシーなどを考えて、
このブログを知り合いにも、
紹介してきませんでした。
知っている人なら、
話す機会もあるし、
仕事の合間で、つづくかどうわからないし、
なによりお気軽に書いていこうと
思っていたからです。
それがいつのまにか、
自分にとって大切なツールとなり、
思いを深めるものとなってきたのです。
●壊れたタテ看板になにをみるか
「JR」「国鉄」という
二つのエンブレムを紹介したあと、
最後にお見せしたかったのは、
この壊れたたて看板です。
「社宅内において、会社の許可なく
演説または印刷物を配布・掲(?)・・・」
とまでしか読めません。
私は、この看板の内容が「不当だ」とか、
「いや当然」とかいう議論をしようと思いません。
ときは移り、市民の感覚も変わってきたからです。
私の目に浮かんだのは、
国鉄の労働者であることを
いまなお誇りにし、
大切な節目ごとに、
その服に身をつつんで(もしくはそのつもりで)登場する
老戦士(失礼!)の人たちの顔です。
志賀町のNさん、滋賀のNさん、膳所のSさん、
大江のNさん、瀬田のKさん・・・。
この人たちの仲間のがんばりが、
戦った相手側の看板の形で残っているのは、
皮肉なことかも知れません。
私は、この看板の前を通るたびに、
大切な記念碑だと感じるのです。
いつまでこのままかわからないものですが。
「この人たちに読んでほしい」
と思うときはあるのです。
でも、家族のプライバシーなどを考えて、
このブログを知り合いにも、
紹介してきませんでした。
知っている人なら、
話す機会もあるし、
仕事の合間で、つづくかどうわからないし、
なによりお気軽に書いていこうと
思っていたからです。
それがいつのまにか、
自分にとって大切なツールとなり、
思いを深めるものとなってきたのです。
●壊れたタテ看板になにをみるか
「JR」「国鉄」という
二つのエンブレムを紹介したあと、
最後にお見せしたかったのは、
この壊れたたて看板です。
「社宅内において、会社の許可なく
演説または印刷物を配布・掲(?)・・・」
とまでしか読めません。
私は、この看板の内容が「不当だ」とか、
「いや当然」とかいう議論をしようと思いません。
ときは移り、市民の感覚も変わってきたからです。
私の目に浮かんだのは、
国鉄の労働者であることを
いまなお誇りにし、
大切な節目ごとに、
その服に身をつつんで(もしくはそのつもりで)登場する
老戦士(失礼!)の人たちの顔です。
志賀町のNさん、滋賀のNさん、膳所のSさん、
大江のNさん、瀬田のKさん・・・。
この人たちの仲間のがんばりが、
戦った相手側の看板の形で残っているのは、
皮肉なことかも知れません。
私は、この看板の前を通るたびに、
大切な記念碑だと感じるのです。
いつまでこのままかわからないものですが。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/12/11/2502927/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。