
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
危機という言葉の二つの顔 ― 2007/12/11
親しい団体さんを回って事務所に帰ってきました。
一休みの時間に、 朝、新聞を読みながら、
考えていたことをメモしておこうと思います。
●朝日新聞の記事から
昨晩は宿直。朝食は、喫茶店のモーニングでした。
朝日新聞が置いていましたので、目を通していたのです。
いくつかの記事を読んだところで、
共通する言葉が使われていることに気がつきました。
それが「危機」という言葉であり、内容も共通していました。
ひとつの記事は、社説。「岡田監督 オシム流を生かしつつ」
もうひとつは、アル・ゴア元米国副大統領の
ノーベル平和賞受賞のスピーチを扱った記事です。
●「岡田監督 オシム流を生かしつつ」
オシムはいうまでもなく、
脳梗塞で倒れたサッカー日本代表監督。
祖国ユーゴスラビアの崩壊の時代を生きて、
鋭い知性と妥協のない辛口の話に、
私自身がカルチャーショックを受けた人です。
この社説は、つぎのように結ばれています。
「危機は常に次の成長への好機である」
●「炭素の夏」
ゴア(Albert Arnold Gore, Jr.)氏は、
ドキュメンタリー映画「不都合な真実 An Inconvenient Truth)
などでの環境問題での啓発活動を評価され、
ノーベル平和賞を受賞しました。
受賞講演のなかでも、
「炭素の夏」(二酸化炭素排出による温暖化)を訴えています。
そして、つぎの言葉が出てくるのです。
「日本語と中国語で『クライシス(危機)は
『危険』と『機会』を意味する漢字二文字で表現する」
●「新たなる財政構造改革プログラム」
「危機」をめぐり、同じ内容の
メッセージをもつ記事を読んだあとで、
嘉田滋賀県知事が上記のプログラムを発表し、
それに対して、県市長会が要望書を10日に提出した
という内容の記事を読みました。
.県がこれまでのムダ使いのツケによる借金返しと、
三位一体の改革による
毎年100億円の地方交付金削減のもとで、
福祉医療費や私学助成金などを削る
のが上記のプログラム。
市長会ら四団体の要望は、
県の一方的な削減に反対だというものです。
●危機は中途半端を許さない
私は、県民のくらし、市民のくらしを考えれば、
中途半端は許されない、
そういう時代認識が必要だと思うのです。
県政も、市政も同様です。
つまり、一方で、ダム(県)や新庁舎建設(市)などの
大型事業を推進しながら、
他方で、県民・市民の暮らしも守るなんて
できない時期だということです。
県の「財政構造改革プログラム」は
警察本庁の建設計画のテンポはそのまま、
しかし福祉は容赦なく削ることで、
正直にそれを告げているのです。
しかし、危機は好機。
別のオプションが存在します。
これまでのムダ使いの流れを断ち切って、
市民の暮らしを守ることに徹すること、
そのうえで、防衛費の水増し請求などのムダや
大企業・資産家減税をつづける
国の政治の方向を変える、
それしかないと思います。
行政の長自らの人件費を削るのは
当然でしょうけれど、
肝心なところに手をつける勇気がないと
責任を果たしたとはいえないのです。
一休みの時間に、 朝、新聞を読みながら、
考えていたことをメモしておこうと思います。
●朝日新聞の記事から
昨晩は宿直。朝食は、喫茶店のモーニングでした。
朝日新聞が置いていましたので、目を通していたのです。
いくつかの記事を読んだところで、
共通する言葉が使われていることに気がつきました。
それが「危機」という言葉であり、内容も共通していました。
ひとつの記事は、社説。「岡田監督 オシム流を生かしつつ」
もうひとつは、アル・ゴア元米国副大統領の
ノーベル平和賞受賞のスピーチを扱った記事です。
●「岡田監督 オシム流を生かしつつ」
オシムはいうまでもなく、
脳梗塞で倒れたサッカー日本代表監督。
祖国ユーゴスラビアの崩壊の時代を生きて、
鋭い知性と妥協のない辛口の話に、
私自身がカルチャーショックを受けた人です。
この社説は、つぎのように結ばれています。
「危機は常に次の成長への好機である」
●「炭素の夏」
ゴア(Albert Arnold Gore, Jr.)氏は、
ドキュメンタリー映画「不都合な真実 An Inconvenient Truth)
などでの環境問題での啓発活動を評価され、
ノーベル平和賞を受賞しました。
受賞講演のなかでも、
「炭素の夏」(二酸化炭素排出による温暖化)を訴えています。
そして、つぎの言葉が出てくるのです。
「日本語と中国語で『クライシス(危機)は
『危険』と『機会』を意味する漢字二文字で表現する」
●「新たなる財政構造改革プログラム」
「危機」をめぐり、同じ内容の
メッセージをもつ記事を読んだあとで、
嘉田滋賀県知事が上記のプログラムを発表し、
それに対して、県市長会が要望書を10日に提出した
という内容の記事を読みました。
.県がこれまでのムダ使いのツケによる借金返しと、
三位一体の改革による
毎年100億円の地方交付金削減のもとで、
福祉医療費や私学助成金などを削る
のが上記のプログラム。
市長会ら四団体の要望は、
県の一方的な削減に反対だというものです。
●危機は中途半端を許さない
私は、県民のくらし、市民のくらしを考えれば、
中途半端は許されない、
そういう時代認識が必要だと思うのです。
県政も、市政も同様です。
つまり、一方で、ダム(県)や新庁舎建設(市)などの
大型事業を推進しながら、
他方で、県民・市民の暮らしも守るなんて
できない時期だということです。
県の「財政構造改革プログラム」は
警察本庁の建設計画のテンポはそのまま、
しかし福祉は容赦なく削ることで、
正直にそれを告げているのです。
しかし、危機は好機。
別のオプションが存在します。
これまでのムダ使いの流れを断ち切って、
市民の暮らしを守ることに徹すること、
そのうえで、防衛費の水増し請求などのムダや
大企業・資産家減税をつづける
国の政治の方向を変える、
それしかないと思います。
行政の長自らの人件費を削るのは
当然でしょうけれど、
肝心なところに手をつける勇気がないと
責任を果たしたとはいえないのです。
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_ 岡田武史サッカー日本代表監督 - 2007年12月12日 21時46分54秒
岡田武史氏は日本代表監督を初め、札幌や横浜FMなどいくつかのチームの監督を務めてきました。そんな岡田武史にとっての「監督業」とはどう映っているのでしょうか。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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