
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
歩道の手すりに巻きついていた花(?) ― 2008/05/04
ピンクとブルーの色違いがきれいですね :勿忘草(ワスレナグサ) ― 2008/05/04
5月のサクラ ― 2008/05/04
シラン ― 2008/05/04
これもヤマブキ? 夕暮れ時でした : 「モッコウバラ」でした ― 2008/05/04
先日、真昼の輝くようなヤマブキを撮りました。
今度は夕暮れどき。場所もちがいます。
これも、同じヤマブキなんでしょうか?
色も薄らぎ、落ち着いて見えました。

*******************************************
「モッコウバラ」だそうです。
訂正しておきます。
今度は夕暮れどき。場所もちがいます。
これも、同じヤマブキなんでしょうか?
色も薄らぎ、落ち着いて見えました。

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「モッコウバラ」だそうです。
訂正しておきます。
蔵馬工房さん ― 2008/05/05
今日は、奈良に行ってきました。天気予報が、曇りのち雨。早朝から、明日香村に行くつもりでしたが、雨では自転車に乗って回れないと思って、奈良市内にしました。
旧いまちなみを残している一角をぶらぶらと散策。そのなかに、「蔵馬工房」さんのお店がありました。はじめて見る絵でしたけれど、とても気に入りました。
見ての通り和むのです。
まちなかを行きつ戻りつしながら、絵がどうしても欲しくなって、自分で文言を考えて、それを木片に絵とともに描いてもらいました。
描いてもらった木片といっしょに、ご主人の大久保雅生さんの写真を撮られてもらいました。

それを受け取って帰宅すると、宣伝のチラシが入っていました。
そうそうこんな感じの絵がありました。

それを見ているうちに、もう一枚注文したくなって、電話しました。届くのが楽しみです。
旧いまちなみを残している一角をぶらぶらと散策。そのなかに、「蔵馬工房」さんのお店がありました。はじめて見る絵でしたけれど、とても気に入りました。
見ての通り和むのです。
まちなかを行きつ戻りつしながら、絵がどうしても欲しくなって、自分で文言を考えて、それを木片に絵とともに描いてもらいました。
描いてもらった木片といっしょに、ご主人の大久保雅生さんの写真を撮られてもらいました。

それを受け取って帰宅すると、宣伝のチラシが入っていました。
そうそうこんな感じの絵がありました。

それを見ているうちに、もう一枚注文したくなって、電話しました。届くのが楽しみです。
ケナーによるアランフェス協奏曲@近鉄奈良駅 ― 2008/05/05
午後11時ちかくにようやくJR大津駅から出発。JR京都駅で、近鉄に乗り換えて、近鉄奈良駅へ。お昼を過ぎていました。
地下から地上に昇ると、音楽が聞こえはじめました。
それは、とても懐かしい響きでした。
民族楽器ケナーの素朴であたたかみのある音色にのって、ロドリーゴのアランフェス協奏曲(有名な2楽章です)が流れてきました。私は、家族に置いてきぼりにされながら、少しでも長く聴いていたいと思いました。
初めての子どもを失ったロドリーゴの悲しみが伝わってくるようでした。
三人組さんに、わずかですけれど、カンパをしてその場を離れました。不意打ちに出会う名曲には、忘れがたい印象をもつものです。
せっかくだから帰りに出会えたら、このトリオの方々のCDを買おうかと思っていたんです。
出会えなくて残念。グループ名もみないままでした。
ご本人たちはもちろんですが、わかる方いらっしゃったら、連絡ください。
地下から地上に昇ると、音楽が聞こえはじめました。
それは、とても懐かしい響きでした。
民族楽器ケナーの素朴であたたかみのある音色にのって、ロドリーゴのアランフェス協奏曲(有名な2楽章です)が流れてきました。私は、家族に置いてきぼりにされながら、少しでも長く聴いていたいと思いました。
初めての子どもを失ったロドリーゴの悲しみが伝わってくるようでした。
三人組さんに、わずかですけれど、カンパをしてその場を離れました。不意打ちに出会う名曲には、忘れがたい印象をもつものです。
せっかくだから帰りに出会えたら、このトリオの方々のCDを買おうかと思っていたんです。
出会えなくて残念。グループ名もみないままでした。
ご本人たちはもちろんですが、わかる方いらっしゃったら、連絡ください。
鹿せんべいから逃げる鹿@奈良公園 ― 2008/05/05
まちなかの散策のあと、奈良公園に着いた頃には、雨が降り出しました。それで、すぐに退散することにしました。
せっかく来たのだからと、入り口で「鹿せんべい」(150円)を買って、鹿さんにプレゼントと思っていたのですが、鹿がいません!?
国立博物館までに、数匹みかけたのですが、どこへいったんでしょうねぇ。きっと奥にいるんでしょうね。
連休中は、たくさんの人出です。
かなりの人たちが、鹿せんべいを買っているはず。そうなると、供給過剰になるだろうなぁ。
そう思って、観察すると、たくさんの人たちの目に同時にはいったんでしょうね、いろんな方向から1匹の雌鹿に人が殺到しています。手にはもちろん鹿せんべい。
鹿はもううんざりというように見向きもせずに、逃げていきます。
あ、やっぱりそうなんだ。
無理やりあげるのもよくないと思っているので、せっかくの鹿せんべいが、1枚も手元から消えてくれません。
やっと見つけた1匹の雌鹿を見つけて、差し出すと、いやいや(?)1枚くわえて去っていきました。それでも、われわれは、1枚なくなったことに喜んでいたら、その鹿にまたもや鹿せんべいを手にした人間が殺到。
足元を見ると、鹿のウンチとはおもえない形がくずれたものがほうぼうにちらばっていました。
鹿のウンチって、本来、正露丸を大きくしたようなものでしょう。散らばっているウンチは、牛か馬のウンチみたいに、ドカッとしています。これって、下痢?
ですから、もうあきらめて駅の方に歩き出しました。
息子のK君は、せんべいを捨てるのに抵抗があるので、けんめいに鹿をさがして、別ルートで駅に向かうことになりました。
それでも、結局、会うことができません。
Ashes to ashes。土にもどすことがこの場合一番だと思いましたので、公園の最後の一角に置くようにいいました。しかし、そこを見ると、先客の鹿せんべいがいらっしゃいました。
ああ、みなさん、考えることは同じだったんですねぇ。
雨が降り、人出が多かったので、写真を撮る気にはなりませんでした。鹿さんの写真がないのは、ほとんど見かけなかったせいです。あしからず。
せっかく来たのだからと、入り口で「鹿せんべい」(150円)を買って、鹿さんにプレゼントと思っていたのですが、鹿がいません!?
国立博物館までに、数匹みかけたのですが、どこへいったんでしょうねぇ。きっと奥にいるんでしょうね。
連休中は、たくさんの人出です。
かなりの人たちが、鹿せんべいを買っているはず。そうなると、供給過剰になるだろうなぁ。
そう思って、観察すると、たくさんの人たちの目に同時にはいったんでしょうね、いろんな方向から1匹の雌鹿に人が殺到しています。手にはもちろん鹿せんべい。
鹿はもううんざりというように見向きもせずに、逃げていきます。
あ、やっぱりそうなんだ。
無理やりあげるのもよくないと思っているので、せっかくの鹿せんべいが、1枚も手元から消えてくれません。
やっと見つけた1匹の雌鹿を見つけて、差し出すと、いやいや(?)1枚くわえて去っていきました。それでも、われわれは、1枚なくなったことに喜んでいたら、その鹿にまたもや鹿せんべいを手にした人間が殺到。
足元を見ると、鹿のウンチとはおもえない形がくずれたものがほうぼうにちらばっていました。
鹿のウンチって、本来、正露丸を大きくしたようなものでしょう。散らばっているウンチは、牛か馬のウンチみたいに、ドカッとしています。これって、下痢?
ですから、もうあきらめて駅の方に歩き出しました。
息子のK君は、せんべいを捨てるのに抵抗があるので、けんめいに鹿をさがして、別ルートで駅に向かうことになりました。
それでも、結局、会うことができません。
Ashes to ashes。土にもどすことがこの場合一番だと思いましたので、公園の最後の一角に置くようにいいました。しかし、そこを見ると、先客の鹿せんべいがいらっしゃいました。
ああ、みなさん、考えることは同じだったんですねぇ。
雨が降り、人出が多かったので、写真を撮る気にはなりませんでした。鹿さんの写真がないのは、ほとんど見かけなかったせいです。あしからず。
アサガオの親戚でしょうね、この花 →ペチュニア ― 2008/05/05
20年ぶりに明日香村へ ― 2008/05/06
上の写真は、高松塚古墳の遠望です。
さて6日は、明日香村へ。もともと5日に行く予定だったのですが、天気予報が雨でしたから、1日ずらしたのです。風邪気H君は、残念ながら、参加を見合わせました。
明日香村は、20年ほど前に行ったことがありました。そのときの印象は強烈でした。異文化に接した気持ちになったのです。
今回は、どうでしょうか?
JR大津駅からJR京都駅へ。近鉄に乗り換えて、橿原神宮前駅で下車。そこからレンタサイクル(1台1000円。別の場所での乗り換えは、200円の追加料金)に乗り換えて、明日香村へ向かいました。
飛鳥駅下車でもいいのですが、乗り継ぎの電車に乗り遅れたので、橿原神宮前駅から、出発しました。
10数分ぐらい自転車をこいでいくと、「明日香村」の標識が見えました。前回とは逆の順路から、明日香村のお寺や遺跡を巡ることになりました。
自転車に乗り出して、すこし後悔。カミさんにも、K君にも、坂道で追いつくのは大変。
最初に見学したのは、「明日香村埋蔵文化財展示室」。職員さんの親切な対応に感激しました。このような対応は、村中どこへ行っても感じられたことです。

ただ、これまでになかった施設が増えたこと、全体的に観光地化し、洗練されたと思いました。
それでも、巨石遺跡の迫力と空想力を刺激するパワーは変わっていませんでした。新たに、亀形遺跡も発見されたことですし、いっそう興味深い場所になったと思いました。
明日香村滞在の時間帯のほとんどすべてが、自転車での移動時間。感想を語り合う時間がもてず、もうすこし急がず回りたいと思いました。
**********************************
これで、5日と6日の連休は、それぞれ日帰りでしたが、平城京と飛鳥で過ごしたことになります。往復は、これまでのようにマイカーを使わずに公共交通機関を利用しました。その往復時間、私は、澤地久枝さんの『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)を読み終わりました。カミさんはを大和和紀『あさきゆめみし』を3巻まで読んだそうです。
さて6日は、明日香村へ。もともと5日に行く予定だったのですが、天気予報が雨でしたから、1日ずらしたのです。風邪気H君は、残念ながら、参加を見合わせました。
明日香村は、20年ほど前に行ったことがありました。そのときの印象は強烈でした。異文化に接した気持ちになったのです。
今回は、どうでしょうか?
JR大津駅からJR京都駅へ。近鉄に乗り換えて、橿原神宮前駅で下車。そこからレンタサイクル(1台1000円。別の場所での乗り換えは、200円の追加料金)に乗り換えて、明日香村へ向かいました。
飛鳥駅下車でもいいのですが、乗り継ぎの電車に乗り遅れたので、橿原神宮前駅から、出発しました。
10数分ぐらい自転車をこいでいくと、「明日香村」の標識が見えました。前回とは逆の順路から、明日香村のお寺や遺跡を巡ることになりました。
自転車に乗り出して、すこし後悔。カミさんにも、K君にも、坂道で追いつくのは大変。
最初に見学したのは、「明日香村埋蔵文化財展示室」。職員さんの親切な対応に感激しました。このような対応は、村中どこへ行っても感じられたことです。

ただ、これまでになかった施設が増えたこと、全体的に観光地化し、洗練されたと思いました。
それでも、巨石遺跡の迫力と空想力を刺激するパワーは変わっていませんでした。新たに、亀形遺跡も発見されたことですし、いっそう興味深い場所になったと思いました。
明日香村滞在の時間帯のほとんどすべてが、自転車での移動時間。感想を語り合う時間がもてず、もうすこし急がず回りたいと思いました。
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これで、5日と6日の連休は、それぞれ日帰りでしたが、平城京と飛鳥で過ごしたことになります。往復は、これまでのようにマイカーを使わずに公共交通機関を利用しました。その往復時間、私は、澤地久枝さんの『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)を読み終わりました。カミさんはを大和和紀『あさきゆめみし』を3巻まで読んだそうです。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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